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宇多丸・高橋芳朗・渡辺志保 2010年代のヒップホップを語る

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宇多丸さん、高橋芳朗さん、DJ YANATAKEさん、渡辺志保さんがNHK FM『今日は一日”RAP”三昧』の中でラップ・ヒップホップの歴史を振り返り。2010年代のラップ・ヒップホップのさらなる進化について話していました。



(宇多丸)さあ、現在に至るまでの現在進行系のヒップホップの話を聞きましょう。

(高橋芳朗)2008年から行きます。2008年というと、オバマ大統領が誕生したタイミングですね。あと、インターネットで音楽を聞く環境がもうばっちり整備されてきて。たとえばSoundCloudとかBandcampとか。あとSpotifyがヨーロッパで立ち上がったのが2008年です。

(宇多丸)ああ、そうなんだ!

(高橋芳朗)アメリカでサービスを開始したのは2011年ですけど、ヨーロッパではもう2008年から始まっていたという。

(宇多丸)なかなかね、インターネットでどうやって音楽を流通させるかとかね、そのあたりはちょっと揺れ動いた時期もあったけど、だいぶそのへんで固まってきたと。

(高橋芳朗)で、ここのセクションの頭、一発目でかけたいのは、カニエ・ウェスト。さっきも『Gold Digger』をかけましたけども。彼はね、どのアルバムでもひとつ山を作っているので。

(宇多丸)常にトレンドセッターですね。

(高橋芳朗)どのタイミングで紹介をしてもいいぐらいなんですけど、あえてここでカニエ・ウェストの『808s & Heartbreak』を。まあ、出た時はちょっとかなり問題作と……。

(渡辺志保)私は結構、「えっ? どこがいいのかちょっとわからない!」みたいな反応だったのを覚えています。

(高橋芳朗)全編、さっきも話しましたオートチューンがかかった声で、しかもほぼ歌ってるような。いま、後ろでね、『Love Lockdown』という曲がかかっていますけども。



(渡辺志保)ラップをしていないっていう。

(高橋芳朗)ただ、たしかにこのアルバムのどこに良さがあるのか? みたいにちょっと戸惑いもあったんですけど……いまから振り返ってみれば、間違いなくここ10年でいちばん影響力のあるアルバムだったと。

(宇多丸)たとえばオートチューンでラップと歌の境界線を行き交うようなボーカルスタイル。

(高橋芳朗)エモーショナルな。あと、内省的な歌詞世界。

(渡辺志保)これ、アルバムを作った動機が自分のお母さんの死。あと、自分がその時に付き合っていたフィアンセとの別れっていうのがきっかけになっているんですよ。なのでとにかく暗い。

(高橋芳朗)しみったれた感じね(笑)。

(渡辺志保)そう! しみったれた感じなんですけど、でもそれに影響されて、後々にキッド・カディとかね、出てきたりするわけなんで。ちょっとそういうエモっぽいラップの原型かもしれないですね。

(高橋芳朗)あと、酩酊感のあるトラック。ちょっとアンビエントっぽい感じとか。

(宇多丸)はいはい。アンビエントっぽい感じはもういまのね、まさにあれですしね。

(高橋芳朗)で、もうヒップホップに留まらず、以降のR&B。たとえばザ・ウィーケンドとかフランク・オーシャン、あとインディー・ロック。ボン・イヴェールとかジェイムス・ブレイクとか。

(渡辺志保)たしかにね、ボン・イヴェールもいち早くカニエが使っていましたからね。

(高橋芳朗)もうそのへんに強力な影響を与えた超問題作ですね。

(宇多丸)それでは、カニエ・ウェスト『808s & Heartbreak』から何を?

(高橋芳朗)アルバムのオープニング曲ですね。このビートの感じだと思います。カニエ・ウェスト『Say You Will』です。

Kanye West『Say You Will』



(宇多丸)はい。カニエ・ウェストの……。

(高橋芳朗)『Say You Will』。2008年。

(渡辺志保)暗い!っていう感じがしますね。

(宇多丸)暗いし、今日は一応『”RAP”三昧』なんだけど、もはやラップではないという。

(高橋芳朗)フハハハハッ! たしかに。

(渡辺志保)メロディーが全編についているという。

(宇多丸)ということなんですよね。でもやっぱり、いま聞くと、以降の音楽像のね。

(高橋芳朗)決定づけた感じがありますよね。

(宇多丸)「っぽい」。いろんなところが、「っぽい」。

(渡辺志保)2018年に聞いても「っぽい」っていうね。

(宇多丸)そういう感じがありますよね。さすがカニエというかね。

(高橋芳朗)で、この流れを組んで出てきた人がカナダ・トロントから来たドレイク。

(宇多丸)来ました! ドレイクは「ドレイク以降」っていうのがまた、ねえ。大きいですよね。ドレイクってどういう人ですか? もう1回、わかりやすく。

(高橋芳朗)カナダ・トロント出身なんですけども。もともと、子役かなんかで?

(渡辺志保)そうなんですよ。もともとは『Degrassi』っていう学園ドラマで、車椅子に乗っている男の子の役だったんですけど。もともと、なんでエンタメ業界にはいた人なんですよね。



(高橋芳朗)で、2009年に『So Far Gone』というミックステープ、ストリートアルバムで出てきたわけです。これが、いままでのミックステープっていうのは割とコンピレーションっぽいというか。新曲がバラバラと入っていたんだけど、この『So Far Gone』は非常にコンセプチュアルなミックステープで。

(宇多丸)もう作品として完成されていた。

(高橋芳朗)そう。トータル性がすごいあったんですね。ここから、『Best I Ever Had』という曲が大ヒットするんですけど。なにが衝撃だったかって、この『So Far Gone』というミックステープは当然、インターネットで無料で入手できるんですよ。で、『Best I Ever Had』という曲が全米チャートで2位まで上がるような大ヒットになった。

(宇多丸)無料で手に入れられる曲が!

(高橋芳朗)そう!

(渡辺志保)売ってないのに。

(宇多丸)要するに、配信のみですよね。

(渡辺志保)配信もタダで聞けるという。

(高橋芳朗)だからCD屋さん、タワーレコードとかに行って「すいません。ドレイクの『Best I Ever Had』ください」って言ったら、ないんですよ!

(宇多丸)だから、なんていうの? 「チャートってなんだ?」っていうか。

(高橋芳朗)そうそう。

(渡辺志保)だからラジオのエアプレイとかで数を稼いで。アメリカのチャートはすごい複合的ですから、そういったところでポイントを稼いでチャート上位に上がったという。

(宇多丸)だから売上チャートだったら全く……。

(渡辺志保)ゼロです。はい。

(宇多丸)恐ろしいキャリアの。

(高橋芳朗)衝撃です(笑)。

(渡辺志保)本当に衝撃的でした。

(宇多丸)でもそんぐらい……でも、タダで音楽をやっている人なんかいくらでもいるのに、そんぐらいのものだったっていうことですよね?

(高橋芳朗)そうですね。

(DJ YANATAKE)アメリカのニュースサイトみたいなのを見ていたら、出た瞬間にすごいバーッて話題になったんだけど。まだ、日本ではそういうミックステープみたいなのの盛り上がり方がいまいちわからないぐらいの時だったと思うんだけど……KREVAがね、すっごい出た瞬間に激押ししていたんですよ。

(高橋芳朗)ブログでね、上げていた。

(宇多丸)実はね、KREVAっていう男は本当にすごい男で。まあ、バトルをやらせれば(『B BOY PARK』で)三連覇。普通にポップグループとして売れてしまう。そして、オートチューン混じりのほぼほぼ歌のヒップホップチューン、内省的な……彼ははっきり言ってカニエよりも早くやってますけど?っていうことでもあったりして。まあ、恐ろしい男KREVA。『KREVA三昧』も楽しみにしていただきたい。あと、1人武道館とか完全にどうかしているとしか思えないことをやるなど、大変な男です。1000円くれないかといまだに思っていますけどもね。

(DJ YANATAKE)フフフ(笑)。

(高橋芳朗)で、まさにドレイクは歌とラップの両刀遣いというか、境界線を行き交うようなスタイルで。

(DJ YANATAKE)ひょっとしたら今日、日本語ラップしか聞いてないとかいう人はすごい洋楽の聞きやすい入り口になるかもしれないですね。

(渡辺志保)これ以前は、先ほども言っていたような50セントだったりリック・ロスだったり、結構マッチョで悪そうなラッパーというのが第一線だったんですけど。

(宇多丸)結局ね、それが主流だったんだよね。

(渡辺志保)でも彼の登場とか、カニエ・ウェストのブレイクによって、そういう悪そうなやつでなくてもいいんだ、みたいな。それこそPSG、PUNPEEくんとかが出てきたような感じで、アメリカも同じような転換期にあったんじゃないかと。

(宇多丸)デ・ラ・ソウルの時の開放感みたいなのがまた再び、そういうことがあるということですかね。

(高橋芳朗)しかも、この曲は女の子に優しいんだよね。

(宇多丸)『Best I Ever Had』。

(渡辺志保)そうなんですよ。めっちゃ優しいんですよ。これも本当にア↑コガレの世界ですよ。本当に。

(高橋芳朗)フハハハハッ!

(宇多丸)あ、女性としては?

(渡辺志保)はい。ア↑コガレの世界。

(高橋芳朗)だって「髪を結んですっぴんにスウェットパンツでリラックスしている普段の君こそがいちばんかわいい(weatpants, hair tied, chillin’ with no make-up on
That’s when you’re the prettiest)」とか。

(渡辺志保)そうなんですよ。あと、「君の家に行くから、もし家を空けていたら鍵はドアマットの下に入れておいてくれ(Put the key under the mat and you know I be over there)」みたいな。

(高橋芳朗)甘酸っぺー!

(渡辺志保)甘酸っぺー! 鍵、入れたい! みたいな(笑)。

(宇多丸・高橋)フハハハハッ!

(高橋芳朗)だからやっぱり、ヒップホップって女性蔑視みたいなそういうのもあったじゃないですか。

(渡辺志保)そうそう。やっぱりハードコアでナンボ、みたいなのがあったんですけど。

(宇多丸)すいません。時刻はもう午後8時44分なんで。これまでのヒップホップの女性のノリを8時44分なんで、NHK FMらしからぬ感じで言うとね、「おい、しゃぶれ!」みたいな。この感じだったわけです。いままでは。

(渡辺志保)まあ、そうですね。

(宇多丸)それが……。

(高橋芳朗)「すっぴんの君が素敵だよ」。

(宇多丸)「鍵、入れておいて」。

(渡辺志保)そう。だからやっぱり、ドレイクは見る人が見たらすごい甘いマスクなので。

(高橋芳朗)フハハハハッ!

(宇多丸)なんで微妙な言い方するの?(笑)。

(渡辺志保)いやいや、彼をイケメンとするか、しないかは結構……(笑)。

(宇多丸)論争があるわけね。

(高橋芳朗)眉毛がね。

(渡辺志保)そうそう。眉毛がセクシーだったりするので。またそういうところの票もバーッと獲得してポップヒットにつながるっていうのは、やっぱりそれこそいまにつながるような流れですけども。ドレイクはそこでは先駆者であったかなと。

(宇多丸)売れ方もそうだけど、内容もそうだしっていうことですよね。じゃあ、ちゃんと聞きましょうか。

(高橋芳朗)ドレイクで『Best I Ever Had』です。

Drake『Best I Ever Had』



(宇多丸)はい。ドレイクで『Best I Ever Had』。

(渡辺志保)聞いていただきました。ア↑コガレ甘酸っぱチューン。ちなみにドレイクはちゃんと音楽的バックボーンもあって。お母さんはトロント出身で、お父さんはメンフィスの出身。かつ、おじさんがあのラリー・グラハムなんですよね。

(宇多丸)あ、マジで!?



(渡辺志保)なので、彼、CDのクレジットとかを見ると載っているんですけど、本名はグラハムさんなんですね。名字が。なので、そういったところで。

(宇多丸)じゃあ、結構サラブレッドではあるんだ。

(渡辺志保)そうなんです、そうなんです。なるべくしてなったという感じがするし。結構この時代、リル・ウェイン率いるヤング・マネーというレーベルが台頭していったんですけど。リル・ウェインも結構自分と同じ毛色のラッパーを集めるのではなくて、こういうドレイクとか、あとニッキー・ミナージュとかね。自分とは全く逆のタイプのMCをバーッと引き入れてヤング・マネー帝国を作ったという。

(高橋芳朗)そうだね。言われみれば。だってリル・ウェインはニューオリンズでドレイクはカナダで、ニッキー・ミナージュはニューヨークで。バラバラなんだよね。



(宇多丸)ねえ。この番組の最初のあたりの雰囲気を思い出していただくと、やっぱりインターネットなのか知らないけど、ヒップホップというのがもう地域性からも解き放たれて。いろんなものからどんどんと……。

(高橋芳朗)ドラフトでいろんなところから優れたラッパーをピックアップしていくみたいな、そんな感じだよね。

(渡辺志保)クロスオーバー化していくっていう感じがすごくしますね。

(宇多丸)そしてインターネットを通じた様々なものが盛り上がっていくんですね。

(高橋芳朗)そうですね。インターネットのミックステープシーンからもう続々とスターが誕生して。タイラー・ザ・クリエイター。2009年の『Bastard』っていうミックステープが出て。

(宇多丸)2009年になるんだ。

(高橋芳朗)あとウィズ・カリファ。2010年の『Kush and OJ』。エイサップ・ロッキー。2011年の『Live. Love. ASAP』。まあ、ちょっとR&Bですけどフランク・オーシャン。2011年の『Nostalgia, Ultra』。

(宇多丸)フランク・オーシャンは後ほど話しますけど、デカいですね。フランク・オーシャンもね。非常に大きい話です。

(高橋芳朗)で、この頃、疑問だったのがこの人たち、タダでミックステープをバンバン出していて、食っていけるのかな?って。

(宇多丸)本当ですよ。「1000円くれ」とか言いながらね……。

(高橋芳朗)フハハハハッ!

(宇多丸)そういう私のような生活の立て方をしているのか?

(高橋芳朗)で、もちろんお金を得ることも大事なんだけど、この頃のジェネレーションの人たちになると、売れることも大事なんだけど、100%のクリエイティブ・コントロールが自分たちにあることの方が大事だったりね。

(宇多丸)必要以上のお金なんかあってもしょうがないぐらいの感じかな? ひょっとしたらね。

(渡辺志保)かつ、自分たちでプロモーションがネットを媒介にすれば瞬時にできますから。

(宇多丸)要は音源で、著作権料でナントカっていうよりは、ライブとかマーチャンダイズとかトータルで設けられるというか。そういう算段がつくような感じになっているのかな?

(高橋芳朗)だからタイラー・ザ・クリエイター率いるオッド・フューチャーなんかは結構マーチャンダイズとかで。

(渡辺志保)ねえ、当時ね。まあ、いまでも人気ですけどね。うんうん。

(高橋芳朗)その収益で十分にやっていけたんじゃないか。そういう収入があったんじゃないかなと思いますね。

(宇多丸)っていうかいまの音楽家というか、音楽を生業にする人の収入サイクルみたいなのはほぼほぼそういうようなことですよ。やっぱり。音源というよりは……っていうね。

(渡辺志保)まあね。ツアーでグッズを売って……とかね。

(宇多丸)そうそう。という感じだと思うけどね。

(高橋芳朗)あと、さっき言ったウィズ・カリファなんかは1回、ワーナー・ブラザースと契約してシングルを出すんだけど、売れなくてドロップ、落とされちゃうんですよ。その後に、さっき言った『Kush and OJ』っていうミックステープを出して、それで話題になってまたアトランティックと再契約をして、いきなり全米ナンバーワンヒットを出すという。

(宇多丸)はー!

(高橋芳朗)その時になんか、僕はすごいインパクトがあったのが、なんかの音楽誌だかでウィズ・カリファの成り上がりっぷりを「From Zero To Hero」って書いていたんですよ。

(宇多丸)「From Zero To Hero」。

(高橋芳朗)だからインターネットが主戦場になったことによって、誰にでも公平にチャンスが開かれているような印象を受けるようになった。実際はなんか政治が働いているのかもしれないけど、受け取る側としては、もう誰でもスターになれるんじゃないかと。

(宇多丸)でも少なくとも、中身がよくないとそんな成功は絶対にできるわけがないんだから。もちろんそれは実力ですよね。いや、すごいですね。ウィズ・カリファ、そうかそうか。っていうかさ、再成功組が意外とヒップホップ、多くない? 実は。別にこの時代に限らず。まあ、インターネット普及の前だってさ、ウータン・クランのリーダーのRZAだってさ、一度プリンス・ラキームとして苦いデビューを果たしたわけだし。

(高橋芳朗)GZAもそうですね。

(宇多丸)50セントだってそうだしさ。

(高橋芳朗)DMXも。

(宇多丸)そうそう。だから割と……。

(渡辺志保)ねえ。だからそういうチャンスをいくらでも掴み取れる状況に持っていきやすいと言うと、あれですけどね。

(宇多丸)再チャンス組に優しいヒップホップということもあるかもしれない。まあ、かっこよければいいんだってことだからね。

(高橋芳朗)あと、ミックステープから出てきたのだとエイサップ・ロッキーですね。ニューヨーク、ハーレムの人なんだけど、南部ラップのマナー……スクリューとかをね、バンバンに取り入れて。

(宇多丸)サウスって先ほどから出ているけど、要はニューヨークという非常に都会的な洗練された、アーバンの感じからいきなり南部のドロッと、陽気な連中がチキチキしたあれで。

(渡辺志保)チキチキしたあれで方言丸出しで。

(宇多丸)もしくはコデインかなんか飲んでね……。

(高橋芳朗)フハハハハッ!

(渡辺志保)わかんないけどね(笑)。

(宇多丸)そういう感じなのを、ニューヨーク流に昇華したというか。

(渡辺志保)で、結構私が衝撃的だったのは、これまでニューヨークのラッパーがニューヨーク以外のエリアのサウンドを真似るってタブーっていうか……。

(宇多丸)まあ、あえて言えばジェイ・Zが上手くそのへんのをやっていたぐらいで。

(渡辺志保)そうそう。ジェイ・Zぐらいだったら選べる立場にいるけど、若い子がサウスのネタをニューヨークまで引っ張ってきて。それでブレイクするっていうのはすごく当時、衝撃的でしたね。いまはすごく普通ですけどね。

(高橋芳朗)たしかになー。

(宇多丸)だからここで、歴史が……でもやっぱり同時に、ニューヨークのラッパーがやるとこんなにかっこいいものになるのかっていう気もちょっとしましたけどね。じゃあ、エイサップ・ロッキー。これはブレイク作なのかな?

(渡辺志保)じゃあ、聞いてください。エイサップ・ロッキーで『Peso』。

A$AP Rocky『Peso』



(宇多丸)はい。エイサップ・ロッキー『Peso』。2011年の曲です。渡辺志保さん、『Peso』。これは何のことを歌っているんですか?

(渡辺志保)そうですね。『Peso』も金の単位が「ペソ」でして……。

(宇多丸)アハハハハッ! また金か!

(渡辺志保)結局カネ。でも、エイサップ・ロッキーはここの冒頭でもかかってまして、クリーンバージョンなんで「ん?」ってなっていましたけど、「俺はプリティー・マザーファッカーだ」っていう風に言っているんですよ。結構これ、カニエが打ち立てたものでもあるんですけど、あんまり男の人のラッパーが自分のことを「プリティー」とか、あと彼は『Pretty Flacko』っていう曲もあるんですけど。「Flack」ってスペイン語で「痩せた男」っていう意味なんですよ。なので「俺はイケてる痩せた男だぜ」とか、そういう言ったら女々しい感じで自分のことを表しているんですね。



(宇多丸)うんうん。

(渡辺志保)で、さっきも繰り返したように、ヒップホップって本当にガチムチ一派というか、そういうのが正義とされていたんですけども、だんだんドレイクが出てきて、エイサップ・ロッキーが出てきて。もうダボダボの服とかも誰も着なくなっちゃって。タイトな服で、リック・オウエンスとかね、結構ハイブランドの服も着るという。だんだん、この頃からまたより一段とトランスフォーム化が進んでいった印象がすごくありますね。

(高橋芳朗)エイサップ・ロッキーなんて普通に『GQ』とかでね、取り上げられるぐらいおしゃれだからね。


(渡辺志保)そうなんですよ。で、彼女も超一流のモデルちゃんだったりもするので。

(宇多丸)だからイケてる像の改革もありましたね。

(高橋芳朗)うんうん。

(宇多丸)なので、みんなが思っている「ヒップホップってこういうのがかっこいいと思っているんでしょ?」っていう像もすでにとっくに変化しているということですよね。はい。エイサップ・ロッキー『Peso』をお聞きいただきました。さあ、どんどん行きましょう。

(高橋芳朗)これで無料のミックステープとかストリーミングとかで活動するアーティストが当たり前になってきたんですけど、完全にそれで商品として自分の作品を出さないでやりぬく人がいよいよ出てくるんです。

(宇多丸)一度も売らない?

(高橋芳朗)はい。それが2013年。さっきのエイサップ・ロッキー『Peso』は2011年なんですが、2013年に『Acid Rap』でブレイクしたチャンス・ザ・ラッパー。

(宇多丸)チャンス・ザ・ラッパー。ねえ。

(高橋芳朗)シカゴのラッパーになりますね。

(宇多丸)すごいですね。

(高橋芳朗)本当にいま言った通り、無料ダウンロードとかストリーミング配信だけで自分の作品をリリースし続けて。

(宇多丸)だから本当にさ、昔の定義で言ったら、「それってアマチュアじゃないの?」みたいなさ。

(高橋芳朗)うんうん。たしかにね。

(宇多丸)みたいなことになっちゃんだけど……。

(DJ YANATAKE)でも、2017年中頃の記録ですけど、いちばん稼いだラッパーランキングみたいなのの3位とか4位とかに入っているぐらい。それはアップルとの独占契約の契約金とか、どっかの企業のCMの契約金とかが莫大なぐらい、人気者になっていて。

(宇多丸)だからやっぱり、音源1枚売ってナンボとか、そういうことではなく。

(DJ YANATAKE)もうバズッて人気が出さえすれば、もう企業が寄ってくるみたいな。

(宇多丸)なるほど。すごい新しい感じの成功のモデルというか。

(渡辺志保)チャンス・ザ・ラッパーは結構チャリティー活動とかにも熱心で。地元の学校に寄付したりとか、そういったこともしていますし。新しいタイプのロールモデルという感じがすごいしますよね。

(高橋芳朗)で、いよいよ、彼はグラミー賞の規程を変えちゃったんですよね。

(渡辺志保)そうそう。去年ね。

(宇多丸)グラミーは、これまでの規程は?

(高橋芳朗)いままではアメリカにおいて一般的な流通形態で商業的にリリースされたもの。だから、お金を取るもの。有料で売り出されて購入できる作品じゃないと……。

(宇多丸)まあ、ある意味当然だけどね。

(高橋芳朗)そうじゃないと評価の対象にならなかったんですよ。でもチャンス・ザ・ラッパーはビルボード誌とかに広告を打って、「なんとか俺もノミネート対象にしてくれよ!」って。

(宇多丸)「これは有料だ!」と。「ある意味!」っていう。

(高橋芳朗)フフフ(笑)。

(宇多丸)っていうか、要は音楽の流通の仕方なんて、ある意味時代によって変わるわけじゃない。音源を買って……っていうのが音楽の歴史全体から見たらものすごく特殊な時代かもしれないし。だから当然、見直したりするのはアリだと思いますけどね。ということで、グラミーで最優秀新人賞を受賞してしまった。

(高橋芳朗)そうですね。ストリーム時代のヒーローって言っていいと思いますけどね。

(宇多丸)ちなみにさ、チャンスくんっていくつなの?

(渡辺志保)まだ25才以下ですね。

(宇多丸)おおー、なるほど。さすが新世代でございます。

(高橋芳朗)お父さんがオバマの上院議員時代の代理人だったんだよね。

(渡辺志保)そうそう。シカゴでね。

(宇多丸)ぬーなー! 24才で、ねえ。……1000円くれないかな?

(高橋・渡辺)フハハハハッ!

(高橋芳朗)いや、くれると思いますよ(笑)。

(宇多丸)合間合間でこれが入ってきますけども。だいぶ疲れてきた証拠でございます。

(高橋芳朗)時代的には飛ぶんですけど、一昨年リリースされたチャンス・ザ・ラッパーの『Coloring Book』というアルバムから1曲、紹介したいと思います。チャンス・ザ・ラッパー『No Problem ft. 2 Chainz & Lil Wayne』。

Chance The Rapper『No Problem ft. 2 Chainz & Lil Wayne』



(宇多丸)チャンス・ザ・ラッパー。上がりますね。やっぱり。

(高橋芳朗)チャンス・ザ・ラッパー『No Problem ft. 2 Chainz & Lil Wayne』。2016年の作品でした。

(DJ YANATAKE)これ、もう1年以上クラブでかかり続けていて。かかったらみんなもう大合唱。いまだにね。

(渡辺志保)爆発してますね。

(高橋芳朗)なんか楽しいもんね!

(渡辺志保)楽しい。ハッピー。

(宇多丸)あのさ、ノリやすいよ。上がりますよ。カップリフティングですよ。はい。チャンス・ザ・ラッパー。名前がすごいね。チャンス・ザ・ラッパーって……。なんちゅう名前なんだよ!(笑)。

(高橋芳朗)アハハハハッ!

(宇多丸)いいですよね。で、どんどんどんどんと、かっこいいのロールモデルというかあり方がどんどん変わってきているという。これ、もういまもさ、別にヒップホップ、ラップに限らず、意識の変化というか。ちょっと前だったらなんとなく、なあなあでなってきたことがもう無しよっていう。まあ、ワインスタインショックとかもそうだけど。

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(高橋芳朗)うんうん。

(宇多丸)どんどんどんどん変わってきている。それがヒップホップが反映しているというか。

(高橋芳朗)そうですね。まあ、ヒップホップの価値観とかルールがすっごい変わったなって思う象徴的な出来事が、LGBTを容認するような機運がグンと高まって。

(宇多丸)これは本当に、全く褒められたもんじゃない話……さっきから言っているようにヒップホップ、ザ・マッチョ。ザ・マチズモ文化ですよ。だからこそ、女性蔑視的なリリックとかも、もうある種必要悪として。

(渡辺志保)まあまあ、容認されてきたというか。

(宇多丸)そして、ホモフォビア。「ホモみたいな……」って言ったり。これはひとつのポーズというかスタイルとして。っていうか、そうじゃないと、こっちがいじめられちゃうみたいな。まあ、誰とは言いませんが日本のラッパーと僕はよく、それですっごいケンカになっていたので。「そういうことをアメリカのラッパーとかが言うから」って……「そんなこと、言うものじゃないよ! まともな常識人が言ったらバカだと思われるよ?」って言ったら、そういうのでケンカになったりしていたんですけども。そういう人は、さあこの時代の変化にどう感じるのか!?

(一同)アハハハハッ!

(渡辺志保)まあ、そうですね。聞いてみたいところですね。

(宇多丸)要は、LGBTを容認するというか、そういうことをちゃんと意識高く歌うアーティストが増えてきたということで。

(高橋芳朗)そうですね。やっぱり2012年にオバマ大統領がアメリカの大統領としてはじめて、同性婚への支持を表明したことを受けて、オッド・フューチャーに所属しているR&Bシンガーのフランク・オーシャンがカミングアウトしたんですよね。で、これをビヨンセとかジェイ・Zとか、あとはヒップホップ外ですけどもレディ・ガガとかも一気に支持をして。それでヒップホップの世界でも、LGBTを認めていこうじゃないかというのが一気に高まったという。

(渡辺志保)まあ、それが普通になっていった感じですよね。

(高橋芳朗)そうですね。でも、カニエ・ウェストみたいな、セレブ界隈で活動をしていたりとか、あとはエイサップ・ロッキーみたいなファッション業界に食い込んでいる人からすれば、ホモフォビアとかもう言ってられないんだよね。

(宇多丸)周りはね、特にファッション業界なんか。

(高橋芳朗)うんうん。

(宇多丸)で、それを象徴するようなアーティスト、楽曲、作品が。

(高橋芳朗)では、聞いてみましょう。

(宇多丸)これはグラミーでも?

(高橋芳朗)賞を受賞していますね。ワシントン州シアトルから出てきた……。

(宇多丸)やっぱり土地がもう全然ね。まずもう、すごい。「シアトルか!」っていう。

(高橋芳朗)はい。白人ヒップホップデュオ、マックルモア&ライアン・ルイスで『Same Love』です。

MACKLEMORE & RYAN LEWIS『SAME LOVE feat. MARY LAMBERT』



(宇多丸)はい。マックルモア&ライアン・ルイスで『Same Love』を聞いていただいております。

(高橋芳朗)グラミー賞でパフォーマンスした時はマドンナが出てきて『Open Your Heart』を歌ってね。

(渡辺志保)そうですね。あと、クイーン・ラティファもこの時に出てきて。

(高橋芳朗)感動的でしたけども。ちょっと、どんなことを歌っているのか、ほんの一部分ですけども、言いますね。「もし俺がゲイだったら、ヒップホップに嫌われていただろう。YouTubeのコメント欄には毎日のように『なんだよ、ゲイみてえだな』なんて書き込まれる。ヒップホップは抑圧から生まれた文化なはずなのに、俺たちは同性愛者を受け入れようとしない。みんなは相手を罵倒する時、『ホモ野郎』なんて言うけど、ヒップホップの世界ではそんな最低な言葉を使っても誰も気に留めやしない」。これはかなりやっぱり勇気のいるリリックだと思います。

(宇多丸)まさに僕がさっき言った、いままでのヒップホップの体質みたいなのを結構真正面から批判して。しかもそれがきっちり評価される時代になったということだと思いますけども。

(高橋芳朗)で、LGBTみたいな話でいうと、たとえばオッド・フューチャーはフランク・オーシャンもそうだけど、シド。

(渡辺志保)ああ、シド・ザ・キッド。

(高橋芳朗)シンガーですけども、彼女もレズビアンだったり。あと、最近タイラーもなんか15才の時に男の子に恋をしていたって告白していたり。

(渡辺志保)新しいアルバム『Flower Boy』の中でそういうリリックがあったりとか。

(高橋芳朗)すごい多様性のあるクルーだなって感じなんだけど。

(宇多丸)本当だね。

(渡辺志保)あと、裏でかかっているヤング・M.A.。彼女もね、ニューヨーク出身の女性ラッパーですけど。彼女は体は女。だけども、中身は男性の心を持ったっていう、そういうラッパーですね。



(宇多丸)ああ、なるほど。

(渡辺志保)でも、そういうアーティストたちが普通に活動するようなシーンですし。チャンス・ザ・ラッパーもお兄さんが同性愛者だということをカミングアウトしていたり。

(宇多丸)それはそうなんですよ。だからね、非常に健全な形になったのと同時に、長年ヒップホップシーンを見てきた者としてはもうね、アメリカの……だから音源とかアーティストの作品の変化もさることながら、やっぱりここまでちゃんと進化したか!っていう。そこは結構根深くて、あまりにも根深くて、難しいのかな?って思っていたら……いやいや、もう全然。大したもんですね。

(渡辺志保)そうですね。受容をしながら進化、変化していくっていうのはすごいヒップホップの強いところかなっていう風に思いますね。

(宇多丸)素晴らしいことだと思います。だからそれこそ『ムーンライト』のあの感じなんかもそういう時代の変化みたいなものを反映しての作品だっていう感じがしましたね。さあ、そして?

(高橋芳朗)社会情勢を反映しているという意味では、2014年の夏にミズーリ州ファーガソンの事件(白人警官が丸腰の黒人少年を射殺した事件9を発端に……まあ、ずっとあったことではあるんですけども。

(宇多丸)そうですよね。それこそね、ちょっと触れる時間がなかったけど、92年にはLA暴動があって。あれはロドニー・キング殴打事件。まさにそういうブルータル・ポリスというか。そういう問題があったわけだから。

(高橋芳朗)ポリス・ハラスメントという、白人警官による無抵抗の黒人の殺害事件みたいなのが多発して。そういう中で、新しい公民権運動などとも言われた差別撤廃の「Black Lives Matter(黒人の命だって大切だ)」っていうムーブメントが全米各地で勃発して。まあ、こうした動きを後押しするメッセージソングがバンバンに出るようになると。

高橋芳朗 黒人差別問題とブラックミュージックを語る
音楽ジャーナリストの高橋芳朗さんがTBSラジオ『荒川強啓デイ・キャッチ!』に出演。いまなお続くアメリカの黒人に対する人種差別問題と、ブラックミュージックというテーマでキング牧師が殺...

(渡辺志保)はい。

(宇多丸)ひさぶさにね、要するにヒップホップが割と政治的なというか、意識が高いといいますか、コンシャスな感じのことって、結構パブリック・エネミーの時代以降、ずっと廃れていたというか。割とワルでひどいことを歌うっていう感じが流行っていたんだけど、また再びコンシャスなラップの時代になってきたという。

(高橋芳朗)その時のデモのシュプレヒコールで使われたのがケンドリック・ラマー。コンプトンから出てきたケンドリック・ラマーの『Alright』という曲だったんですよ。


(宇多丸)これがすごい。コンプトンから出てきたケンドリック・ラマー。もう、すごいですね。まさにギャングスタ・ラップのN.W.A.の出身地。もう「意識高いとか知ったことか!」っていうようなグループから来た……N.W.A.の『ストレイト・アウタ・コンプトン』で描かれるN.W.A.像は微妙に現在のポリス・ハラスメントの時代にちょっと……コンシャスなグループにちょっとだけズラして描かれている。味付けされているというあたりもね、面白かったですよね。

(高橋芳朗)でも、コンプトンのイメージを上手く使いましたよね。アルバムも『Good Kid, M.A.A.D City(イカれた街から出てきた優等生)』って。

(渡辺志保)ケンドリック・ラマーのアルバムタイトルがその『Good Kid, M.A.A.D City』ということで。

(宇多丸)そして、その『Alright』が入っているのが『To Pimp A Butterfly』という、これはもうとてつもない……。

(高橋芳朗)破格の傑作でしたね。

(渡辺志保)ねえ。それこそロバート・グラスパーとかサンダーキャットとか、そういうジャズシーンも。サウンド的にもすごくクロスオーバーしていますし。作り込み方が半端ないという。

(宇多丸)テーマがね。内省的というか、自分の中で突き詰めて。最後にそれがガッと昇華する感とか、公正が見事で。

(渡辺志保)本当に一人芝居を聞いているような感じだったりもするので。

(高橋芳朗)うんうん。

(宇多丸)あと2パックとの仮想共演とか。

(渡辺志保)いちばん最後にね。

(宇多丸)そういうこと、やるかね?っていうことまでやっていて、面白いですよね。

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(DJ YANATAKE)あと、これはあれですね。日本でも配信、ダウンロード販売では日本でも1位になったんで。

(渡辺志保)それだけ多くの方に聞かれたと。

(宇多丸)このケンドリック・ラマーのアルバムは、日本人にも聞きやすい。音楽的にも聞きやすいところがあるというか。豊かなアルバムなので。

(高橋芳朗)なんか黒人音楽史を俯瞰するような感じもありましたね。

(渡辺志保)ファンクの要素であったり、ジャズとかね。

(宇多丸)じゃあ、聞きますか。

(高橋芳朗)ケンドリック・ラマーの傑作『To Pimp A Butterfly』から『Alright』です。

Kendrick Lamar『Alright』



(宇多丸)はい。ケンドリック・ラマー『Alright』を聞いていただきました。これ、サビではね、「we gon’ be alright」って。明るい感じのことを言ってるようなサビだけど、バースで言っていることは全然大丈夫じゃねえよ!っていう。

(高橋芳朗)うんうん

(渡辺志保)そうなんですよね。だからもう、「警察たちは俺らが道でのたれ死ぬのを見たいんだろ?(Nigga, and we hate po-po Wanna kill us dead in the street fo sho’)」っていう、そういうことを言っていたりとか。あと、サビの部分も「gon’ be」は「going to be」で未来のことを表しますから。

(宇多丸)「いつかきっと大丈夫になる」っていう。

(渡辺志保)そうそう。だから「いまは大丈夫じゃない」っていうことをケンドリックは歌っているんですよね。


(宇多丸)だから実はすごく重層的というか。すごく複雑だし。アルバム全体なんかさらにそうだけど、本当にめちゃくちゃ知的なと言うか。そういう作品ですよね。ぜひぜひ、そうね。最近の作品とかであんまり慣れていない、ヒップホップをこれから聞こうっていう人とかは『To Pimp A Butterfly』とか。

(高橋芳朗)おすすめですね。

(渡辺志保)あと本当にに初っ端に(『HUMBLE.』を)流していただいてましたけどもね。彼の最新アルバム『DAMN.』なんかもすごくいいので。もともとケンドリックは2パックにすごく影響を受けたということで。で、その2パックはシェイクスピアにすごく大きな影響を受けたりもしていますから。いろいろとね、重ねて聞くと面白い発見があるかなと思います。



(宇多丸)はい。

(高橋芳朗)これ、ファレル・ウィリアムスがプロデュースなんですよね。

(宇多丸)ああ、これファレルですか? まいったな、ファレルはいいんだよ。ファレルはいつもいいんですよ。

(渡辺志保)『Super Thug』を流していたのが遠い昔のようですね(笑)。

(高橋芳朗)アハハハハッ!



(宇多丸)そう。だからね、映画『ドリーム(Hidden Figures)』。あれの音楽もファレルで。そうですよ。『Super Thug』のプロデューサーでもあるファレル。こんな意識高い系アーティストになるか!っていうね。




(高橋芳朗)テディ・ライリーの弟子がね。

(渡辺志保)あれはね、舞台も自分の故郷であるバージニア州でしたからね。

(宇多丸)素晴らしい映画でございます。さあ、そんな話をしている場合じゃないですよ。どんどん、大急ぎで。

(高橋芳朗)2000年代初頭から、さっきも話しましたアトランタ・ヒップホップシーンのキーワードになっていました。T.I.の『Trap Muzik』というアルバムがありましたけども、トラップ。これが一大トレンドに。

(宇多丸)はい。いまはもうトラップがね。さあ、トラップとはなんぞや?

(渡辺志保)猫も杓子もトラップですけども。さっきもちょっと言いましたが、ドラッグディーラーがドラッグディールすることを「トラップ」って言うんですよね。なんで、「トラップ」とか「トラッパー」っていうと、その職業・生業を表すことなんですよね。そういう、日頃お薬を売りさばいたりしているような人たちがラップをする。もしくは、そういった情景をラップする音楽のことを「トラップミュージック」という。まあ、そういうひとつの概念みたいなものがあって。かつ、トラップミュージックの特徴的なところは「チキチキチキチキ……」っていう、その高速ハイハット。高音のドラムの鳴り、パーカッションに響きであるとか、あとはすごく深いベースラインがあるとか。そういったところがサウンドの特徴的な面です。

(高橋芳朗)うんうん。

(渡辺志保)そういうのが複合的に合わさってトラップというのがね、トレンドに。

(宇多丸)いま一大トレンドということで。ちょっとどういうのかはね、聞いてもらった方が早いです。聞いてもらいましょう。

(渡辺志保)じゃあ、トラップといえば2016年・2017年にかけて大ヒットして。もう去年はこれをクラブに行って聞かない日はなかったと言ってもいいぐらいなんですけども。アトランタ出身のトリオ、ミーゴス。

(宇多丸)グループも久しぶりの感じじゃない?

(渡辺志保)そうかもしれないですね。そのミーゴスに、これもまたいま新しいラップの潮流を作り出しているリル・ウージー・ヴァートという若いラッパーがいるんですけど。ミーゴスとそのリル・ウージー・ヴァートが放った特大シングル『Bad and Boujee』を聞いてください。

Migos『Bad and Boujee ft Lil Uzi Vert』



(宇多丸)はい。ミーゴス。

(高橋芳朗)『Bad and Boujee ft Lil Uzi Vert』。2016年。

(宇多丸)もうメインでラップしている人の後ろではしゃいでいる人の方が目立つみたいな。フフフ(笑)。

(渡辺志保)アハハハハッ! 「よいしょ!」って。

(宇多丸)「よいしょ!」「よっ!」って。

(渡辺志保)「もう一丁!」って。

(宇多丸)合いの手が決め手。合いの手が注目されるという。

(渡辺志保)そうそう。合いの手ラップなんで。いいんですよ、それで。

(宇多丸)盛り上がりやすいですよね。

(高橋芳朗)で、このトラップ時代の最重要アーティストというか、トラップの音楽像を決定づけた人といえるのが、フューチャーですかね。

(渡辺志保)おおっ、素晴らしい! フューチャー!

(高橋芳朗)ダンジョンファミリーの人なんですよね?

(渡辺志保)そうなんです。ダンジョンファミリーにリコ・ウェイドっていう人がいるんですけど、その従兄弟なんですよね。だから結構、2000年代初期ぐらいから他のアトランタのラッパーのソングライティングに携わっていたりもしていて。なんで、歌心がすごくあるんですよ。

(宇多丸)ふんふん。じゃあ、フューチャー。曲を聞いてみましょうか。

(高橋芳朗)行ってみましょう。フューチャーで『Mask Off』です。

Future『Mask Off』



(宇多丸)はい。フューチャー、2017年の曲で『Mask Off』を聞いていただいております。さあ、ということでついにアメリカパート、ラストです!

(高橋芳朗)トラップの流行でさ、「マンブルラップ(Mumble Rap)」っていうさ、モゴモゴモゴモゴする……。

(宇多丸)「マンブル」ってなに?

(渡辺志保)モゴモゴしゃべるっていう。

(宇多丸)モゴモゴ喋る。

(高橋芳朗)ベテランの人たちが「モゴモゴしてやがる。はっきりラップせんかい!」みたいな。

(宇多丸)アハハハハッ!

(渡辺志保)そうそう。それがいま、プチ論争を呼んでまして。それこそ、エミネムと一緒にフリースタイルバトルなんかで台頭したジョー・バドゥンっていう切れ者ラッパーがいますけども。彼らがこういうミーゴスとか新世代のラッパーに対して、「お前ら、もっと内容のあることをラップせなアカンぞ!」とか「お前ら、モゴモゴしすぎだ!」みたいなことを……。

(宇多丸)これ、でもね、たとえば昔もEPMDっていうね、ラップグループがいまして。本当に、もう少しで寝るのかな?っていうぐらいの感じのテンションで。



(一同)アハハハハッ!

(宇多丸)で、それをパロッた曲が出たぐらいで。そん時もやっぱりね、「寝てるような声でやってんじゃねえよ!」とか。まあラキムも落ち着いた声でラップしたら、周りから「もっとはっきり言え」って言われたり。なんかね、そういうのは前からあるんですよ。別にそんなのは。

(高橋芳朗)インターネットでやりましたよね? ヤング・サグっていうラッパーが何を言っているのかを当てる、みたいなね。

(渡辺志保)あ、そうそう。解説動画みたいなのがありましたし。



(宇多丸)フフフ(笑)。

(渡辺志保)で、最近はよろしくないことですが、そういう若手ラッパーがそういうジョー・バドゥンに中指を突き立てるようなメッセージが描かれたお洋服をお召しになるようなこともあって。ちょっとね、ザワザワッとしているような状態でございますが。

(宇多丸)まあでもその旧世代との対決みたいなところも、これはどっちも面白いっていうか。どっちも……ヒップホップっていうのはスタイルウォーズだからね。旧世代は旧世代で、うるさ型はうるさ型でその調子でやってくださいよと。

(高橋芳朗)たしかにね。

(宇多丸)まあまあ、いいんじゃないでしょうか。元気でよろしい!

(高橋芳朗)あと、結構「エモラップ」と言われるようなものも。

(渡辺志保)そうですね。ちょっとグランジっぽいものだったり。



(高橋芳朗)もうカート・コバーンとかを崇拝しているラッパーとか。

(宇多丸)これはすごいですね。ヒップホップ、ラップっていうのはそういう自己破滅型みたいなのとはちょっと違う感じがありましたけども。やっぱり白人キッズとかに感覚が近づいてきたっていうことなのかしら?

(渡辺志保)うん。なんで本当、何十年か前にビースティ・ボーイズがやったようなことを、もしかしたらいまのそういう若い子たちはやっているのかもしれないですしね。

(宇多丸)まあでも、なにがかっこいいかの基準なんて当然、時代によって変わりますし。特にここんところは急激に変わっているんで。っていうか今日ね、10時間ずっと聞いてくれた方はわかると思いますけど。その、「また変わるの!?」とか。「またガラッと変わるの?」って。これがやっぱり楽しいわけですから。

(高橋芳朗)うんうん。

(渡辺志保)たしかにね。

(宇多丸)だから逆に言えばマンブルだって、「てめえ、なにモゴモゴ言ってるんだよ!」っていう若い世代が出てくるかもしれませんし。

(渡辺志保)もしかしたら2、3年後はもうめちゃめちゃハキハキしゃべるみたいな。

(宇多丸)メリー・メルみたいなラップが流行るかもしれないの?(笑)。

(高橋芳朗)「キビキビしてんなー!」っていう(笑)。

(宇多丸)「滑舌、いいぞ!」って(笑)。わからないから。こんなのは。

(高橋芳朗)でも、そんな中でも2017年はアメリカの音楽売上のシェアでヒップホップ・R&Bがついにロックを上回ったんですよ。

(渡辺志保)よいしょー!

(宇多丸)よいしょー!

(高橋芳朗)おめでとう!(拍手)。

(宇多丸)ほーら! 言わんこっちゃない! いとうせいこうさんが86年の時点で「これからは絶対に文化全体がヒップホップ中心になっていくんだ」って予言されていましたけど。いとうさん、当たってました! 世界的に当たっていました。よかったですね。僕に恨まれなくて。

(高橋芳朗)まさにね、昨日フォーブスの記事で上がっていたんですけども。見出しが「アメリカ音楽業界はヒップホップが一人勝ち。ロックは衰退傾向」という。

音楽業界ではストリーミングの利用者が急増するなかで、ジャンル的にはヒップホップが最も勢力を拡大していることが明らかになった。ニールセンのデータによると、2017年に米国人は6億3600万ユニット(ユニットは従来の“アルバム&rd

(宇多丸)うんうん。

(高橋芳朗)2017年にアメリカの音楽消費に占めるヒップホップの割合は24.5%と過去最高を記録。ヒップホップはストリーミングの利用率が高く、好きなアーティストの楽曲をノンストップで楽しんでいるという。で、ロックは20.7%で2位になったそうです。

(宇多丸)ねえ。日本もこれに追いつく日が来るのかどうか?

(渡辺志保)楽しみでございます。

(宇多丸)さあ、じゃあアメリカ。ついに最後に来てしまいました。さっきのは昨日の記事ですからね。1973年8月11日から始まって、昨日の記事まで来ましたから!

(高橋芳朗)で、このアメリカの歴史を追っていくの、最初はみなさん、覚えてますでしょうか? ブロンクスで始まりましたよね?

(宇多丸)はい。サウス・ブロンクスが中心地って言われていましたけど、住所はなんだっけ? ウエスト・ブロンクス。住所、もう1回言おうか? フハハハハッ!

(高橋芳朗)こっちは特定しているんだ!(笑)。

(宇多丸)ヒップホップが生まれた住所、もう1回言いますよ。メモってください。1973年8月11日。ニューヨーク、ウエスト・ブロンクス。モーリスハイツ地区セジウィック通り1520番地に位置するプロジェクト(公営住宅)の娯楽室ということで。

(DJ YANATAKE)僕、ヒップホップと同い年だ(笑)。

(高橋芳朗)すげーな!

(宇多丸)から、再びブロンクスに戻ってきて。

(高橋芳朗)じゃあ、最後はブロンクス出身のラッパーで。これは志保ちゃんに紹介してほしいなと。どんなラッパーかも含めて。

(渡辺志保)いまから集会するのは、みなさんもしかしたら聞いたことがないかもしれないですけど、カーディ・Bという名前の非常におちゃめな女の子なんです。彼女はブロンクス出身。そして若い頃からストリップバーで働いていた。そういうヤンチャな過去もあるんですけども。彼女がブレイクした理由というのがひとつ、Instagram。SNSですね。そこで(ストリップバーの)嫌な男性客の愚痴なんかを、嫌な客あるあるみたいなのをひたすら動画配信していたんですよ。

(宇多丸)それはラップで?

(渡辺志保)それは普通の愚痴。で、それがだんだんバイラルヒット。口コミで、「この女の子、おもろいよ」みたいな感じになって。その後にリアリティーショー。日本にもいくつかありますけど、役者さんとかは立てず、本当に一般市民のおもろいお姉ちゃんを集めてその生活をドキュメンタリーチックに面白おかしく撮るみたいな。

(宇多丸)アメリカは人気ですからね。

(渡辺志保)それで頭角を現してからのラップデビューをしたと。

(宇多丸)ああ、そういうことなんだ。じゃあ、割と最初からネットからのテレビ有名人みたいなのからの、あれなんだ。はー!

(渡辺志保)そうなんです。なので、日本でもたとえばバラエティー番組で面白いことを言っているお姉ちゃんがラップをしてみたらすっごい当たっちゃったみたいな感じで。

(宇多丸)藤田ニコルさんがめっちゃラップ上手いみたいな?

(渡辺志保)とかね、そういう感じの(笑)。で、かつ、それもラップが当たり。先ほどもかけましたミーゴスというラップグループがいますけど、いま彼らがアメリカでいちばん売れているラップグループで。その中の花形メンバー、オフセットが婚約者なんですね。去年、大きいアリーナのライブの途中に、いきなりオフセットがひざまずいて、「Will You Marry Me?(結婚してくれますか?)」とでっかいダイヤの指輪を、何万人が見ている中で贈ったという。

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(宇多丸)アハハハハッ! なるほど。

(渡辺志保)なので去年、2017年にカーディ・Bは1年のうちにビルボードのNo.1ヒットも獲得する。メジャーのレコード会社の契約も獲得する。イケてる男から婚約指輪をもらうと、もう全てが揃った超爆裂シンデレラガールみたいな。

(宇多丸)なるほど。超爆裂シンデレラガール。いいですねー。

(高橋芳朗)で、いまブルーノ・マーズとコラボしちゃってますからね。

(渡辺志保)そう。新年早々にブルーノ・マーズの『Finesse』という曲のリミックスにカーディが参加して。で、またカーディ・Bってそれこそマンブルラップに近いような、あんまりそんなスキルフルなラップじゃないんですよ。本当にラップが上手い人からしたら、「なんでこんなのが売れてるんだろう?」みたいなラップなんですけど。でも、そのブルーノ・マーズに参加している曲なんかはしっかりブルーノの世界観に合わせたラップを披露していて。彼女の開けられてなかった引き出しをまたここでバーッと開けることにもなりまして。2018年は絶対にこれ以上に日本でもブレイクするんじゃないかなと。



(宇多丸)じゃあ、これから日本でも名前を知られてくるかもしれない。カーディ・B。

(渡辺志保)と、思います。で、かつさっきもおっしゃっていたけども、ブロンクス出身で。結構いま、ニューヨーク出身のラッパーというのがまた戻ってきたという感じがしていまして。昨年、亡くなってしまいましたが、リル・ピープであるとか。

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(渡辺志保)あとは、彼もすごいヤンチャなんですけど、テカシ・69っていうラッパーがいるんですけど。

(高橋芳朗)彼はすごいね。



(渡辺志保)ねえ(笑)。結構ニューヨークの若手がいま、去年ぐらいから結構ザワザワッとしていますけども。またヒップホップの遷都じゃないですけども(笑)。

(高橋芳朗)遷都(笑)、

(渡辺志保)幾度かの遷都を繰り返して、またニューヨークが面白くなっていくんじゃないかなと思っていますね。

(宇多丸)いいですね。じゃあ、そのカーディ・Bさんを聞いてみましょうか。

(渡辺志保)では、カーディ・Bのナンバーワンヒットシングルです。『Bodak Yellow』。

Cardi B – Bodak Yellow



(宇多丸)はい。カーディ・Bさん。『Bodak Yellow』。

(渡辺志保)聞いていただいております。

(高橋芳朗)そういえばカーディ・B、オフセットの誕生日にでっかいロールスロイスをあげていたよね?

(渡辺志保)そうそう。そうなんですよ。で、それもちゃんとリリックで言っているんですよね。ロールスロイスのレイスっていう最高級のがあるんですけど。それがラップのリリックに出てきていて。それをちゃんと彼氏にプレゼントするという。



(高橋芳朗)甘酸っぱいですねー(笑)。

(渡辺志保)甘酸っぱい! 私も旦那にロールスロイスをプレゼントする日がくればいいんですけどね(笑)。

(宇多丸)そっち?(笑)。

(高橋芳朗)フハハハハッ!

(宇多丸)ということで、みなさん、アメリカのヒップホップの歴史。1973年からずっとたどってきましたが、ついに! 一応現在にやってきて終わりでございます。いやー、こんな時が来るんですね! さっきまでスプーニー・Gとか聞いていたのに、カーディ・Bまで来ちゃったから!

(高橋芳朗)アハハハハッ!

(宇多丸)ありがとうございます。

<書き起こしおわり>
NHK FM『今日は一日”RAP”三昧』書き起こし記事まとめ
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宇多丸・DJ YANATAKE・渡辺志保 2010年代の日本ヒップホップを語る

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宇多丸さん、高橋芳朗さん、DJ YANATAKEさん、渡辺志保さんがNHK FM『今日は一日”RAP”三昧』の中でラップ・ヒップホップの歴史を振り返り。2010年代の日本のラップ・ヒップホップのさらなる進化について話していました。



(宇多丸)さあ、といったあたりで最後はいま、現在進行系の日本のヒップホップは? というあたりでございます。現在進行系、2010年代という感じですかね。日本のヒップホップはその頃、どうなっているか? という話をしましょう。

(DJ YANATAKE)若干最初に補足しておきたいんですけども。さっき、漢くんの話がすごい面白かったんで。もっといっぱい触れたいアーティスト、いっぱいいたんです。裏でかけたりしていたんですけども。SEEDAの『花と雨』の話はしましたけども。SCARSとかね。


(宇多丸)SCARS!

(DJ YANATAKE)ANARCHYが出てきたりとか。NORIKIYOくんとか。



(宇多丸)NORIKIYOね。SD JUNKSTA周りがありますよ。

(DJ YANATAKE)BESとか般若ももちろんそうですけども。あと、妄想族とかね。DS455とかね。

(宇多丸)ああ、DS455。とか、OZROSAURUSもありますからね。日本のそういう日本のウエストコーストスタイルな人たちというのもあります。MACCHOっていうね、日本でもトップクラスのスーパーかっこいいMCがいるわけですから。



(DJ YANATAKE)いまだ現役バリバリで。で、2010年代に入ってきて、日本もだいぶインターネットの時代に完全に突入するかなという感じになります。さっきの、もうストリートがインターネットになったというような感じで。この番組中、何回も出てきていますけども、特に「ビートジャック」っていうのがすごく流行ったというか。1個、ヒット曲が出たらその曲の替え歌合戦を全国みんなでやりましょうよというところで。いま、バックで流れていますね。ANARCHYとRino Latina IIと漢くんとMACCHOがやった『24 Bars To Kill』っていう。この曲が流行って。これを本当に全国でみんながビートジャックして。この曲自体も盛り上がっていくということにもなりましたし。



(宇多丸)はい。

(DJ YANATAKE)ライムスターもね、『Once Again』が。

(宇多丸)そうね。一応私どももね、全然現役バリバリでやらせていただいて。復活シングルの『Once Again』でみんなが各地で『Once Again』をビートジャックしてくれたのがありました。ありがとうございます。

(DJ YANATAKE)そういうのが動画配信サイトを中心に盛り上がって。曲が流行れば全国各地のみんなが応援してくれるような形にもなるし。地方の人たちもそこに上手く乗っかって……みたいな構図で曲が盛り上がっていくようになります。だから、それ自体も発売しているものじゃないですよね。ビートジャックしている側はね。でも、そこでなんとかいい波に乗っかって、俺も一発当ててやろうという。

(宇多丸)やっぱり名前を売って、「こいつはヤバい、かっこいいラッパーだ」ということをまず知られることから。

(渡辺志保)アテンションをね。

(宇多丸)だからそういう意味では、もう最近のUSの動きと……まあわかるけど、音源とかもかなりUSの動きにシンクロしているし。結構雰囲気としては変わらないよね。

(DJ YANATAKE)もう完全に同じだと思います。それでさらに日本でもミックステープ。さっきも出ましたけど、無料で配信するアルバムっていうんですかね。まあ、無料で配信するので、中身は割と自由に作るっていう。さらには、お手軽・お気軽に作るっていうのもあると思うんですけど。その無料のアルバムを配信して名前を上げてくるような人もだいぶ登場してくるという。

(渡辺志保)ニュータイプですね。

(DJ YANATAKE)やっぱりここで上げられるのはAKLO、KLOOZ、そのへんがかなり頑張っていて。とにかく売れた曲のビートジャックを全部やっているっていう感じですよね。で、やっぱりそのへんを追いかけている、いわゆる「ヘッズ」っていうのがね。

(宇多丸)ヒップホップの熱心なファンということで。ヘッズ。

(DJ YANATAKE)熱心なファンたちはそういうのを追いかけていると、「ああ、この曲もビートジャックをやっているし、この曲もやっている。でも、全部クオリティーが高いやつがいるな」と思ったら、それがAKLOだったりっていうことで注目をされるようになって。で、フリーのアルバムを出したら、AKLOのアルバムがボーン! とインターネット上で話題になって有名人になるという。

(宇多丸)これもでも、やっぱり昔のキングギドラのデモテープとかペイジャーのデモテープが先に……音源化されるよりも先にシーンに出回って。ものすごいプロップスが上がった状態でアルバムが出るとか。やっぱりね、あるんですよね。そういうヒップホップのストリートプロモーションの流儀っていうのがあるんですよね。

(DJ YANATAKE)で、そうやって地固めの終わったところで、いよいよこのAKLOがデビューということになるわけなんですけども。そのデビューシングルが出た時はもうバーン!って。かなり大きいバズが起きましたし、宇多丸さん、その曲の評価として、「ラップの歌い方としては日本語ラップの最高の……」って。

(宇多丸)日本語ラップっていうか、「日本語を西洋的なポップミュージックのビートに合わせる実験の現状の最高峰だ」って言いました。

(DJ YANATAKE)そうですね。といった曲をまず聞いていただいてもよろしいでしょうか? それでは2012年に発表されたAKLOの正式なデビュー曲となります。AKLOの『RED PILL』を聞いてください。

AKLO『RED PILL』



(宇多丸)はい。AKLOで『RED PILL』。2012年のデビュー曲ということで。

(DJ YANATAKE)そうですね。

(渡辺志保)進化っぷりが半端ないですね。

(宇多丸)あのね、すごいラップが聞こえとして日本語離れした感じなのに100%聞き取れるし。非常にスキルフルで素晴らしいと思います。

(DJ YANATAKE)そうですね。で、このAKLOの前に同じ年なんですけどSALUっていうラッパーもデビューして。



(宇多丸)SALUもね、これまた素晴らしい。天才的な。

(DJ YANATAKE)この2人はONE YEAR WAR MUSICっていうレーベルからデビューしたんですけども。BACHLOGICの。

(宇多丸)BACHLOGIC。我々の『Once Again』とか、何度も組んでいるプロデューサーですね。

(渡辺志保)スーパープロデューサー。

(DJ YANATAKE)当時は「BL詐欺」っていうのがあったぐらい流行っていて。

(宇多丸)えっ? BL詐欺?

(DJ YANATAKE)顔を出していないから、BACHLOGICの名を語ってビートを売るっていうことがあったらしいんですよ。

(宇多丸)ええーっ? そんな……でもビートのクオリティーでバレるだろ、そんなの?

(DJ YANATAKE)そうそう。バレるんですけど。でもやっぱりそれぐらい……。

(渡辺志保)謎に包まれていながらも、クオリティーが半端ないっていうね。

(DJ YANATAKE)なんですけども、SALUくんの登場もなかなかセンセーショナルでしたが。さらにまた新しい世代。いよいよ、そのトラップの日本の本格派と呼べるアーティストが出てきたという。それがKOHHくんですね。

(宇多丸)これはね、宇多田ヒカルさんのアルバムに参加でみなさん、もはや知っている方もいるんじゃないですかね。

宇多田ヒカル KOHHとの共演を語る
宇多田ヒカルさんがシェアラジオ特別番組『宇多田ヒカルのファントーム・アワー』の中でラッパー、KOHHとの共演と楽曲制作について話していました。 (宇多田ヒカル)じゃあもう1曲...

(DJ YANATAKE)彼は東京都北区王子の団地に生まれ育ったということなんですけども、実は僕、同じ団地生まれ。

(宇多丸)ああ、マジで?

(DJ YANATAKE)そうなんです。あと、Y’sっていうラッパーとMonyHorseも同じ団地で。MonyHorseのおじいちゃんは僕の少年野球の監督さんという。

(宇多丸)へー!

(DJ YANATAKE)まあまあ、僕からしてみると「あんなところからこんな子たちが出てくるんだ!」っていうように非常にうれしくて、陰ながら応援しているんですけども。まあでも、そんなことは置いておいて……。

(宇多丸)『結局地元』の地元だったわけですね。



(DJ YANATAKE)そうなんですね。で、KOHHくん、いまからかける曲は『JUNJI TAKADA』っていう。高田純次さん、みなさんご存知かと思うんですけど。彼をモチーフにした曲を作るんです。実はアメリカではね、そういう手法もその時に結構流行っていたりして。有名人に自分をたとえて自分の凄さを表すのが流行っていて。

(宇多丸)なるほど。じゃあ、そのスタイルを置き換えたわけだ。

(DJ YANATAKE)うまく日本に置き換えて。「えっ、高田純次?」っていうんですけど、これまた歌詞を聞いていると面白いという。

(宇多丸)これ、高田純次さんご本人の耳にも届いた?

(DJ YANATAKE)で、高田純次さんのラジオでもオンエアーされたということで(笑)。

(宇多丸)フフフ(笑)。いや、でもKOHHはさらに日本語ラップのやり方に新しい地平、次元というか。

(渡辺志保)更新したっていうことですね。

(DJ YANATAKE)どうでした? 最初。KOHHくんを聞いて。

(宇多丸)いやいや、衝撃でした。「ああ、こんなやり方があるのか! これ、ありなのか!」っていう。この非常に平易な言葉で……ただ、この乗せ方をするのは実は考え抜かれていると思う。なにも考えていない乗せ方をしているように見えて、すごく考え抜かれているんだけど、とにかく、こんなに日本語を……逆にだからUSのやり方をものすごく研究してトレースした結果、ものすごくドメスティックな表現としても自然なものになっているというか。

(渡辺志保)それこそシンプルな言葉遣いで聞き取れるんですよね。KOHHくんのラップは。

(宇多丸)だから日本語ラップとしてすごく自然になっているし、USのモードとも合っているし。だから俺にはすごく勇気がいるタイプのラップなのね。だから、ゴイスーです。1000円ください。

(DJ YANATAKE)フフフ(笑)。で、いまはね、もうヨーロッパツアーやアメリカでライブしたりして満員になるぐらい。本当に世界的に人気があるアーティストに成長していて。



(宇多丸)うんうん。

(DJ YANATAKE)今年ね、なんか新しい動きがあるみたいなんでね。非常に楽しみに待っております。というわけで、KOHHの2013年に発表された曲になります。『JUNJI TAKADA』。

KOHH『JUNJI TAKADA』



(宇多丸)はい。KOHHくんの『JUNJI TAKADA』をお送りしております。でもちょっと前の曲だからね。KOHHくんはまたその後もモードをどんどん。

(渡辺志保)進化を遂げて。

(DJ YANATAKE)また最近もどんどんかっこよくなっていますから。

(宇多丸)これね、まさにUSのヒップホップの歴史と日本のヒップホップの歴史を並行してお聞かせしてきましたけど。KOHHくんのこれとかは、もしそんなにヒップホップをそんなに聞いていない、明るくない人だったらなんで急にこういうスタイルになるのか、わからないじゃないですか。だからUSと並行して聞いていくことで、なぜこういう表現になるのか? わかっていただけたんじゃないでしょうか。

(渡辺志保)そうですね。

(DJ YANATAKE)絶対に一緒に聞いた方が面白く聞けます。で、ですね、最後。去年の話になってきますけど、『フリースタイルダンジョン』がバーッと盛り上がって、MCバトルブームがあって。

(宇多丸)『フリースタイルダンジョン』は2015年放送スタート。結構前なんだね。ずいぶん経つんだね。

(DJ YANATAKE)でも、さっきも話に出ましたけども、バトルMCでなかなかヒットが生まれないなんて言っていたんですが、Dungeon Monstersっていう『フリースタイルダンジョン』出演のモンスター。MCバトルの強い人のゴレンジャーみたいな。

(宇多丸)さっきの漢くんも含めて。サイプレス上野とかいろいろといて。

(DJ YANATAKE)それが『MONSTER VISION』という曲を出して、某配信ダウンロードサイトの総合1位。軒並みJ-POPの強いやつらよりも上にバーン!って行って。某テレビ局の……。

(宇多丸)もういいだろ、別に?(笑)。『ミュージックステーション』だよ!

宇多丸 Dungeon Monster『Mステ』出演の素晴らしさを語る
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(DJ YANATAKE)に、出演するという。すごいリマーカブルな出来事が起きましたので。こちらも近年の日本語ラップの代表曲としてかけさせてください。Dungeon Monsters『MONSTER VISION』。

Dungeon Monsters『MONSTER VISION』



(宇多丸)はい。Dungeon Monsters『MONSTER VISION』でした。

(DJ YANATAKE)とにかくこれも盛り上がったんですが、日本語ラップで大きな出来事といえば、JP THE WAVYくん。もう彗星のように現れて。

(渡辺志保)彗星のように。去年の出来事ですね。

(DJ YANATAKE)去年、2017年。インターネットを使ったバズ。

(宇多丸)バイラルヒット。

(DJ YANATAKE)バイラルヒット。真似をして動画をアップするとか、一緒にダンスを踊った動画をアップするとかね。そういう手法がありますけども。本当に、これが自然発生的に上手く行って、それが結果的に全国を巻き込んで大ヒットになった、本当にいちばん最初の形になった例といえるんじゃないですかね。『Cho Wavy De Gomenne』という曲がありまして。

(宇多丸)まさに2017年を代表する。

(DJ YANATAKE)はい。ナンバーワンソングのひとつと言っていいんじゃないでしょうかね。こちらを近年の日本語ラップ……おっ、最後の曲だ!

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渡辺志保さんがblock.fm『INSIDE OUT』に注目の若手ラッパーJP THE WAVYさんを迎え、バイラルヒット中の『#超WAVYでごめんね』についてトークしていました。...

(宇多丸)ああ、そうだ。これを日本語ラップシーンの……この後にBAD HOPはライブをやりますけども。日本語ラップコーナーの最後とさせていただきたいと思います。

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DJ YANATAKEさん、渡辺志保さん、サイプレス上野さん、BAD HOPのYZERRさんがTBSラジオ『タマフル』に出演。宇多丸さんと過去に例がないほどの大豊作となって盛り上が...

(DJ YANATAKE)いとうせいこうさんからここまで来ました!

(宇多丸)スネークマンショーからここまで来ましたということですからね。

(DJ YANATAKE)Awichとかいろいろとかけたかったんですけども。



(渡辺志保)本当ね。

(DJ YANATAKE)今日、ここではJP THE WAVYをかけさせていただきたいと思います。JP THE WAVYで『Cho Wavy De Gomenne』。これ、いま知らないとヤバいぜ!

JP THE WAVY『Cho Wavy De Gomenne』



(宇多丸)はい。『Cho Wavy De Gomenne』。これ、「超○○でごめんね」みたいなのをね。

(DJ YANATAKE)そういう使い方ですね。




(宇多丸)あれですよね。直接会ったことはないんですけども。JP THE WAVYさん、もともとはダンサーで。ダンスとかも振り付けとかがあって、それを真似しやすいっていうのもあったりとか。

(DJ YANATAKE)踊れるラッパーっていうのも珍しい。

(渡辺志保)彼はすごいおしゃれで、自分のアパレルの仕事をやった経験もお持ちだから。本当に全てを兼ね備えたスターラッパーという感じがしますね。

(宇多丸)はい。ということでございます。さあ……。

(DJ YANATAKE)おおっ、ここまで来た~!(笑)。

(宇多丸)ということで、日本のヒップホップの歴史。意外と早くから始まっていた。『 Rapper’s Delight』に即座に、直で影響を受けた『咲坂と桃内のごきげんいかが1・2・3』からJP THE WAVYの『Cho Wavy De Gomenne』まで一気に駆け抜けてまいりました~!

<書き起こしおわり>
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宇野維正 2018年グラミー賞を振り返る

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宇野維正さんがニッポン放送『イマ旬!サタデーナイト』にゲスト出演。古坂大魔王さん、宇野実彩子さんと2018年のグラミー賞を振り返り、2018年の音楽シーンのトレンドなどを話していました。


(宇野実彩子)今日、取り上げるテーマは「グラミー賞振り返り。2018年のイマ旬サウンドとは?」。

(古坂大魔王)こんなに近い期間で2回来てもらうっていうのは本当にはじめてで。きっとそれぐらい、うちのスタッフさんは何か一言物申したかったんだろうなと(笑)。

(宇野維正)アハハハハッ!

(古坂大魔王)「おい、こら! どうなってんだ?」っていうことなのかもしれませんけども。楽しみです。本日のゲスト、音楽ジャーナリストの宇野維正さんです。

(宇野維正)よろしくお願いします。

(古坂大魔王)あっという間の2回目。

(宇野維正)そうですね。ラジオだとわからないと思いますが、この間はたしかケンドリック・ラマーのパーカーを着てきましたけど、今日はさすがに着ちゃいけないなと思って。

(宇野実彩子)アハハハハッ!

(古坂大魔王)しかも、帽子まで脱いじゃいましたね(笑)。

(宇野維正)そうですね(笑)。

(古坂大魔王)ちょっと待ってくださいよ。グラミー賞、終わりました。で、あの時(前回のゲスト出演時)には「ケンドリック・ラマーで行きます。新人賞もSZAが行っちゃいますよ」って……。

(宇野維正)「これは固いでしょう」って言ってましたね。

(宇野実彩子)言ったらっしゃいました。

(古坂大魔王)「SZAに関しては置いておきましょう」ぐらいの感じで言っていました。まさかの、ブルーノ・マーズが主要3部門を独占という。あれはないですよ。あれは違いますもんって感じでブルーノ・マーズを置いてましたもんね?

(宇野維正)そうですね……。

(古坂大魔王)ねえ。これに関して、見解を……。

(宇野維正)まず、基本に帰って「グラミー賞とは何なのか?」という話を……。

(古坂大魔王)アハハハハッ!

(宇野実彩子)なるほど。そこから入りますか。

グラミー賞の前提

(宇野維正)させていただきたいんですけども。ええと、まず2つ、大きな……一般の人に「グラミー賞」って言ってもあまりよくわかっていない要素があって。ひとつは、作品の対象期間というのがあって。いまは2年前の10月1日から前年の9月末までの1年間にリリースされた作品が対象になるんですよね。

(古坂大魔王)リリースが対象になるんですね。

(宇野維正)だから、一昨年前の10月から昨年の9月までだから、それこそいわゆる「旬」な作品を取りこぼすというか。たとえば、今年で言うとテイラー・スウィフト(『Reputation』・2017年11月10日リリース)だとかあのへんの作品というのは来年の対象になるんですよね。

(古坂大魔王)ああ、なるほど。

(宇野維正)要するに、去年の10月以降に出たやつは。だから、いまの音楽シーンって移り変わりが早い中で、3ヶ月前は(対象となる)前年ですらないというところが割とひとつ、ポイントとして見過ごしがちで。それこそ、去年のグラミー賞ではアデルが取ったじゃないですか。アデルもちょうど去年から考えると2年前の作品で。(アデル『25』・2015年11月20日リリース)。

(古坂大魔王)ああ、アデルもそうだったんですか。

(宇野維正)だからアデルもブルーノ・マーズも取るっていうのは当たり前の部分もあるんですけど、ただグラミー賞の時点では「えっ、いまさら?」っていう感覚が常につきまとうという。それがまず、ひとつですね。で、もうひとつ言い訳をさせていただくと、グラミー賞っていまのシステムだとNARAS(全米録音芸術科学アカデミー)というところの会員が投票をするんですね。それが、それこそX JAPANのYOSHIKIさんも会員なのかな? 5000人ぐらいいるんですよ。

(古坂大魔王)へー!

(宇野維正)で、5000人ぐらいいる会員の投票で決まるんですけども、それが基本的にはそれぞれが得意分野、あるじゃないですか。全然ジャズしかわからない人とか、クラシックしかわからない人もその中にはいるわけで。で、会員がそれぞれ、自分の得意とする15部門について部門を選んで投票するシステムなんですよ。ただ、主要4部門に関しては、全員が投票できるんですよ。だから、それが主要4部門のちょっと特別なところで。

(古坂大魔王)そうか。たとえばジャズアルバム、カントリーアルバムとかいうのはそれ専門の方がやるわけですね。

(宇野維正)はい。だから最優秀楽曲賞、最優秀レコード賞、最優秀新人賞、最優秀アルバム賞の主要4部門は、全員投票しなきゃいけないわけじゃないんだけど、全員投票権があるんですね。選ぶ15部門とは違って。だから、そう考えると単純に「ワシはラップはわからん」っていうおじさんやおじいさんがいても全然おかしくはない。ただ、主要部門だから、やっぱり投票ができるならしたいじゃないですか。そういう時、やっぱり今年で言うとブルーノ・マーズ。去年で言うとアデルみたいな、ああいう人を選ばない音楽というのが選ばれがちなんですよ。

(宇野実彩子)「万人に……」っていうかね。

(古坂大魔王)ただね、宇野さんはこれを全部知った上で、「ケンドリック・ラマー」と……。

(宇野維正)そう(笑)。だから人間やっぱり、しゃべる時って希望が入るんだなって(笑)。

(古坂大魔王)アハハハハッ!

(宇野実彩子)ああ、なるほど(笑)。

(宇野維正)でも僕も、もちろんこのブルーノ・マーズの曲ってまあ耳にしたし。

(宇野実彩子)めちゃめちゃ聞いた!

(古坂大魔王)僕、当日に見た時に「まあ、そりゃそうだよね」って思ったけど……「けど、なあ。宇野さん、違うこと言ってたし……」って。

(宇野実彩子)そうそう(笑)。宇野さんの意見が結構この辺にずっとあったよね(笑)。

(古坂大魔王)僕ら、会った人間はすぐに味方だと思うんで。「いや、宇野さんが正しいと思うんだけど……」って。

(宇野維正)けど、ほら。ケンドリック・ラマー(のパフォーマンス)で始まったじゃないですか。「ああ、これは最初から最後までケンドリック・ラマーの年なんだな」って思いますよね? で、あの時点で最初にまず取って……だから彼は結局7部門にノミネートされたうち、5部門を取っているんですよね。



(古坂大魔王)ああー。

(宇野維正)だから、別に全然大活躍だったんですけども。ただやっぱり主要部門を取らなかったというね。で、その裏にはそういうからくりというか。全員が投票しちゃうのが主要部門っていうのがあるんですよ。

(宇野実彩子)なるほど!

(古坂大魔王)なんか一時期、言われていましたもんね。会員の中の人種の比率がおかしいんじゃないか? とか。男女比率がおかしいんじゃないか?って。そこの問題はまだ、やっぱりあるはあるんですか?

(宇野維正)ちょっとずつ改善してきていて。だからそこれそ、ノミネートを決めるのも割と詳しい人が投票できるような、ノミネーションをするような形にちょっとずつ変わってきているんですよ。だから、今年とかはノミネーションはすごく現実の音楽シーンを反映したものだったんですけども……やっぱりけど、アカデミー賞ですら、対象は前年の12月までなんですよ。そう考えた時に、だって映画を見るよりも音楽を聞く方が時間は楽じゃないですか。3分や4分で聞けるわけでしょう? だったら、なんでアカデミー賞が前年の12月まで対象にしているのに、グラミーはいまだに9月末なのか、よくわかんないんですよ。

(古坂大魔王)まあね、淡い夢ですよ。淡い夢で、ピコ太郎がああいう風になってグラミーとかって、まかり間違って遊びで呼ばれねえかな?って。特にね、コメディーアルバム(ベスト・コメディーアルバム賞)とかってあるじゃないですか。そういうのとかあったから、「ねえかな?」って思っていたら、ジャスティン・ビーバーがリツイートしてくれたのが9月27日なんですよ。で、CDを出したのが12月で。しかも、全世界配信もしていないし。で、ネットもあるんですよね。ネットのビルボードと同じチャートのやつもあったりしたから。一応、世界で3週間1位を取ったから、なんかあるかな?って思ったけど、「無理じゃない?」って言われて。

(宇野実彩子)へー!

(宇野維正)でもね、みんなだからリリース日を考えるんですよ。今年で言うと、テイラー・スウィフトがそうでしょう。サム・スミスがそうでしょう。で、U2もそうなんですよ。みんな9月にアルバムができちゃっていても、「これ、グラミーがあるからちょっとずらそう」みたいなことはみんな考えていて。

(古坂大魔王)ああ、そうか。それ、うちらは考えねえわ。

(宇野維正)で、もうひとつ。ブルーノ・マーズが取ったのは、去年のグラミーで彼はプリンス・トリビュートをやったじゃないですか。プリンス・トリビュートってみんな、はっきり言ってやりたくないんですよ。「やりたくない」っていうのは、プリンスが偉大すぎてやっぱり矢面に立っちゃうんですよ。

(古坂大魔王)なるほど。マイケル・ジャクソンと一緒ですね。マイケル・トリビュートをするとすげー文句を言われるみたいな。

(宇野維正)そうそう。それを、けどグラミーとしてはプリンスにトリビュートせざるを得ないわけで。それをやってくれたブルーノ・マーズって、ひとつ貸しを作っているんですよね。



(古坂大魔王)すごいよかったですもんね。トリビュートでいちばんよかったですよ。

(宇野維正)そう。すごくよかったです。で、今年を見てみるとわかるように、サム・スミスが歌っているでしょう? U2が歌っているでしょう? あれは、要するに来年のグラミーに向けて「わかっているよね?」っていうような、いわゆるアーティストの……。

(宇野実彩子)裏のストーリー。

(宇野維正)そうなんですよ。だから受賞ものだけじゃなくて、パフォーマンスを見ると翌年が占えるというね。だからサム・スミス、U2あたりはノミネートはされていくだろうなっていう感じは。

(宇野実彩子)おおーっ!

(宇野維正)だって、やっぱりただでさえ、本当におじいさんたちが、まあ見るじゃないですか。サム・スミスやU2を。別にそれは全然裏取引とかじゃなくて、単純にすごいアピールになるんですよね。

(古坂大魔王)紅白で歌った曲が売れるみたいなもんですよね。

(宇野維正)そうそうそう。

(古坂大魔王)じゃあ、このブルーノ・マーズは宇野さん的には主要3部門……最優秀アルバム、レコード、楽曲賞。これはもう、納得ですか?

(宇野維正)納得です(笑)。

(古坂大魔王)フハハハハッ!

(宇野実彩子)アハハハハッ!

(古坂大魔王)待ちなさい!(笑)。

現在の音楽シーンの2つの傾向

(宇野維正)けど、今年の大きな傾向はブルーノ・マーズもハマッていて。また2つ、言いますと、いまの音楽シーンの2つの傾向というのは、ブルーノ・マーズはたしかプエルトリコ系とフィリピン系なんですけども。いわゆる「カラード」じゃないですか。だから、黒人というよりは非白人。カラードのアーティストが強いっていうのと、もうひとつは、これもノミネートを見た時、この間も言ったかもしれないですけど、男性のソロアーティストが強いんですよ。

(古坂大魔王)ああーっ! たしかに。

(宇野維正)今年のノミネートも軒並み、カラードの男性のソロアーティストなんですよね。

(古坂大魔王)これ、全く日本とは違いますもんね。全く違う。で、また……僕はそこはだからすごい悔しいなと思うところは、日本はちょっとガラパゴス化しすぎているなとも思うんですよね。グラミー賞、僕はちゃんとは見れていないんですよ。その日、ダメで。ハードディスクがいっぱいで撮れてなくて、超ショックで。まあ、ちゃんと見れてはいないから、いろいろと動画系とかで見たんだけども。でも、やっぱり最高峰ですもんね。ケシャとか……。

(宇野維正)はいはい。ケシャね。

(古坂大魔王)とかも、あの……自分のマイノリティーだったり、あんまり言わなくてもいいことも言いながら、映画のような数分間を作っているという。

(宇野実彩子)わかる! その1人が作り上げる世界観がもう壮大で、すごいですよね。

(古坂大魔王)今年、宇野さん的にはなにが印象に残りました?

(宇野維正)だからね、今年僕が印象に残ったのはやっぱりケンドリック・ラマーなんですけども。あと、チャイルディッシュ・ガンビーノですね。なんですけども、やっぱり今年はブルーノ・マーズが取ったことはあまり文句は言われてないんですよ。ただ、言われているのはやっぱり、「#metoo」とか「Time’s Up」とかこうやって女性たちのムーブメントみたいなものをみんな花(白いバラ)を飾ってやっていた割には、女性アーティストの受賞が少ないんじゃないか?って言われていて。

(古坂大魔王)なるほど。

(宇野維正)ただ、それは……それを言うんだったらグラミーがどうこうというよりも、いまシーン自体が本当にカラードの男性ソロアーティストの時代になっちゃっているというので。それは別にグラミーが悪いとは思わないんだけど。ただ、結果的に女性アーティストが、それこそちょっと前までのレディ・ガガ、ケイティ・ペリー、あとテイラーは来年はわからないけど、テイラー・スウィフトみたいな女性ソロの時代があったんですよね。そのへんの時代があったんだけど、いまはちょっとそれが変わってきちゃっていて。それと、女性たちのそういうムーブメントみたいなものが結果的にチグハグになっちゃったなっていうのがひとつ。

(古坂大魔王)それはでも、しょうがないですよね。

(宇野維正)しょうがないですよね。

(古坂大魔王)これは、だって本当の男女平等を言うならば、そこを文句言うのはおかしいですからね。まあ、性被害のあれはやった男はクズだと思いますけども。これはでも、見ていったらたしかにそうなるなっていう。で、僕1個だけ質問したかったんですけど、このコメディーアルバム賞ってあるじゃないですか。これ、はじめて知ったんですけど、どういうことなんですか? コミックソングを歌っているんですか? なんなんですか?

(宇野維正)アメリカって、伝統的にスタンダップコメディの作品をCD化するというか、音盤化するという文化があって。

(古坂大魔王)綾小路きみまろさんのCDみたいなもんですか?

(宇野維正)そうです、そうです。綾小路きみまろさんはもう完全にグローバル・スタンダードですよ。

(古坂大魔王)ああ、そうなんですか。

(宇野維正)で、今回それがテレビの放送でやったのは、ケンドリック・ラマーのステージがあまりにも強烈だったので、それを中和するためにデイヴ・シャペルが出たんですよ。それでデイヴ・シャペルに出てもらうから、デイヴ・シャペルが賞を取るやつの授賞式をテレビの放送時間内にやろうっていうような配慮があったんで。まあ、グラミーって本当に何百個も賞があって。テレビのショーが始まる前にもずっとやっているんですよ。それを今回、持ってきたから目立ったけど、伝統的にそういうレコード、音源化としてのお笑いというのは……。

(古坂大魔王)超うらやましいですよ。そういう世界。日本のレコード大賞にもほしい! 漫談とかネタがレコード……いまだったらDVDでもいいですよ。「本能寺の変」とか「ラッスンゴレライ」でいいような……それがあったら全然違うと思うんだけどな。M-1とかじゃない、また。このへんがアメリカ、いいよなって。

(宇野維正)まあ実際にDVDのセールスって結構お笑いがかなり占めてますからね。音楽業界にも貢献しているはずなんですよね。本当は日本でもね。

(古坂大魔王)ああ、そうか。レコードという意味ではね。で、いまYouTubeとかあれば、YouTubeで再生回数をミュージックビデオと捉えれば、結構行ったかもしれない。そんな中で、いまグラミーはこうなりました。今後、ライブを見てでもいいですけども。今後、宇野さんが注目するというのは? もちろん、いまいるアーティストでもいいです。ジャスティン・ティンバーレイクも出しました。そういう中で、宇野さん。この前も「SZA」とか言われて、やっぱり見ちゃいましたもん。

2018年 注目のトレンド

(宇野維正)まあ、SZAの曲とかもそうですけど、これからいま流行っているのが、ギターが見直されているんですよ。

(古坂大魔王)へー!

(宇野維正)要は、ソウルっぽい曲でも、それこそジャスティン・ティンバーレイクもクリス・ステイプルトンっていうカントリーのすごい大人気の人がギターを弾いたりとか。あと、カミラ・カベロっていうすごい人気あるアーティスト。彼女の作品も音が薄くて、ギターが結構メインになっているじゃないですか。



(宇野実彩子)ああ、うんうん。

(宇野維正)ロックは復活していないんですが、ギターは復活しているんですよ。で、そのギターの音というのが、エド・シーランとかもそうですけど、面白いのが80年代ぐらいまでの、あんまりエフェクトをかけていない……だからスマートスピーカーとかで聞いても耳に入ってくるみたいな、そういうクリアなギターの音が流行っているんですよね。それこそ90年以降のニルヴァーナとか、あとハードロック的なディストーションギターのギャーン!っていう音ではないんですよ。

(宇野実彩子)なるほど。クリアなギターの音。

(宇野維正)そこがポイントなんですよね。で、いまはだから流行りの音っていうと、そのギターの音を上手く……要は、ずっとEDMとかの時代にギターの生音って見過ごされてきた数年間があった中で。

(古坂大魔王)それのアンチテーゼですよね。

(宇野維正)だから、やっぱり時代は回っていくんですよ。さっきも「男性ソロアーティストの時代」って言いましたけど、また女性の時代もくるだろうし。カミラ・カベロとか、まさにね、今年に入ってからずっとチャートもトップだし。だから、象徴的なんですけども。あと、音楽的にはギターの音をどう、おしゃれに使うのか?っていうのがポイントと。もうひとつは、人口比的に絶対にこの流行は変わらないと思うんですけども。今年、(ルイス・フォンシ&ダディー・ヤンキー)『Despacito』が結局賞は逃したけど、シングルとしてはいちばんヒットしたじゃないですか。



(宇野実彩子)めちゃめちゃ聞きましたね!

(宇野維正)カミラ・カベロの『Havana』もスパニッシュな要素もあるんですけど、そういうスペイン語文化圏というのはアメリカでは白人とほぼ拮抗するぐらいの人口比にどんどんなってきていて。実は、黒人よりも多かったりするので。だから、さっき「黒人」というよりも「カラード」って言ったのも、そこも含めて、かならずしもスペイン語で歌っていなくても、そういうラテン系の人たちにアピールをするという。で、たぶんギターが流行っているっていうのもそこなんですよ。フラメンコとかもそれこそ、ギターの要素なんですよ。どちらかと言うと。

(宇野実彩子)へー!

(宇野維正)だからトロピカルハウスとかも、言ってみればそういうラテン的なリズムの要素に乗りやすいギターなんで。

(古坂大魔王)やっぱり人口なのかな? 日本の津軽三味線が世界に流行ればいいなと思って、僕は一生懸命三味線をEDMに入れているんですけど。やっぱり人口比率的に少ないっちゃあ少ないですもんね。

(宇野維正)けど日本って昔、こういうラテン歌謡みたいなもの、結構ポピュラーだったじゃないですか。

(古坂大魔王)それこそ『メキシカンロック』を橋幸夫さんが普通に歌ったりね。

(宇野維正)そうそう。だから、アメリカだけじゃなくてワールドワイドフィットということを……アップルミュージックとかSpotifyとかストリーミングでそのままわかるようになってくると、世界中の人口も考えたらスペイン語の人ってめちゃくちゃ多いじゃないですか。だから、全世界ラテン化みたいなものは着々と進んでいる感じはします。

(古坂大魔王)ラテン系がまた来ると。

(宇野実彩子)楽しみ!

(古坂大魔王)いまのが来はじめなのか、流行りなのかっていうところかもしれないですね。

(宇野維正)だからギターが来たので、ロックかと思ったらラテンだったというね、そういうところなんですよね。

(古坂大魔王)ふーん! たしかに。面白いですね。もうグラミーがある限り、宇野さんは仕事がなくなりませんから。そのうち、名前も「グラミー宇野」に変えるんじゃないかな?って(笑)。本当に勉強になりました。ぜひ、またグラミー近辺以外でも、おすすめ洋楽系を教えてもらえればと思いますので、よろしくお願いします。

(宇野維正)よろしくお願いします。

(古坂大魔王)で、この後に聞いてもらう曲。これはどうしても宇野さんが「これは一押しだ!」ということで、持ってきていただいて。なんて曲ですか?

(宇野維正)『Pray For Me』というケンドリック・ラマーとザ・ウィーケンドの『ブラックパンサー』という、日本だと3月の頭。アメリカだと2月16日に公開される映画のテーマソングっていうかエンドロールでかけられる曲らしいんですけども。

(古坂大魔王)へー!

(宇野維正)ちょっとね、『ブラックパンサー』ブームが今年、とんでもないことになりそうなんですよ。

(古坂大魔王)えっ?

(宇野維正)もうマーベルのあらゆる映画の前売券記録を全部塗り替えていて。

(古坂大魔王)ごめんなさい。僕はあんまり詳しくないんですけど。それは何系ですか? スーパーマン系ですか?

(宇野維正)そうです。だから、要するに初の黒人ヒーロー映画なんですよ。で、去年DCで、最近では初の女性ヒーロー映画の『ワンダーウーマン』が大ヒットしたじゃないですか。

(古坂大魔王)最高でした! もう俺、大好きです!

(宇野維正)『ジャスティス・リーグ』よりも『ワンダーウーマン』の方が全然当たっちゃったっていう。それと同じで、マーベルも今回『アベンジャーズ/インフィニティ・ウォー』っていうのがあるんですけど、それよりも当たるんじゃないか?って言われているのがこの黒人ヒーローの『ブラックパンサー』なんですよ。

(宇野実彩子)これ、盛り上がってますよ。

(宇野維正)で、実はサントラを全部ケンドリック・ラマーがプロデュースしていて。そこにザ・ウィーケンドを呼んでやっているこの曲なんですけども。ちょっとケタ外れの大ヒットになるのと、いまの今日話したような、要するにカラードが文化の中心の象徴的な存在になっていくという……だからヒーロー映画もこういう風に、女性だったり黒人だったりがヒーローになっていくという、象徴的な曲です。

(古坂大魔王)じゃあ今度、映画の方でもまた絡んできていただければと思います。うち、 コトブキっていうやつがいるんですけど、もう止めて宇野さんに……(笑)。

(宇野維正)フフフ(笑)。

(古坂大魔王)素晴らしい。じゃあまたぜひともお越しください。今日の「イマ旬バックストーリー」、ゲストは音楽ジャーナリストの宇野維正さんでした。

(宇野実彩子)ザ・ウィーケンド、ケンドリック・ラマーで『Pray For Me』。

The Weeknd, Kendrick Lamar『Pray For Me』



<書き起こしおわり>

オードリー若林 極寒のミネソタで1人で朝マックした話

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オードリーの若林さんがニッポン放送『オードリーのオールナイトニッポン』の中で、スーパーボウル取材で訪れたミネソタで空き時間の朝に1人で散歩して朝マックをした話をしていました。


(若林正恭)まあまあまあ、そんな綾部くんと一緒に仕事できて。春日と3人でいろいろと回ったりして楽しかったんですけども。ちょっとね、朝早く起きて。集合時間よりね。で、歩いて10分ぐらい離れたところにマクドナルドがあるなっていうのは車でホテルに帰る時に見ていて。

(春日俊彰)ああ、あったあった。

(若林正恭)1人でマクドナルドに行きたいなと思って、朝起きてさ。朝だから25度よ。

(春日俊彰)ああ、マイナスのね。

(若林正恭)で、開いているかどうかわかんないけど、行ってみたくてさ。まあまあ、「ぶってるんじゃねえよ!」ってなっちゃうのかな? うーん……知らない街を1人で歩くの、好きなんだよね。俺ね。

(春日俊彰)うん。ぶってるんじゃないよ!

(若林正恭)まあまあまあ。そうやってね、冷笑するのが日本のお笑い芸人の文化なんでしょうけども……。

(春日俊彰)「冷笑」って! いやいや、宣言するからさ。

(若林正恭)いやいや、いい、いい。それが面白いのはわかるし、うん。リスナーも満足だわ。「1人歩きを楽しむ」なんつってね、笑っているのがいいと思うよ。それで。で……。

(春日俊彰)いや、そっちが言うからさ。「『ぶってるんじゃねえ』って言われるかも」って言うからさ。

(若林正恭)いや、いい、いい。笑ってくださいよ。で、歩いていたんですよね。1人で。で、ちょっとね……10分歩くとなると、凶暴な寒さだから。もうやっぱり日本の寒いとは違うんだよね。ギュン!って来るっていうか。マイナス20度って。で、メガネが曇るじゃない? 日本だと。でも、メガネの内側が曇って凍るのよ。すぐに。

(春日俊彰)はー、なるほど。

(若林正恭)だから手袋をつけた指で拭って、氷を割ってね。もう50メートルぐらい歩くたびにやんなきゃいけないぐらい。すぐに、鼻の中も凍って。で、後々聞いたんだけど。「若林さん、それマスクしなきゃダメでしたよ」って言われたんだけど。咳がすげー出て。俺、風邪ひいたのかな?って思ったら、空気の中に凍っている氷の粒を吸い込むらしいんだよね。あれ、危ないらしいのよ。よくないんだって。

(春日俊彰)なるほど。肺に氷を入れるみたいな感じなんだね。

(若林正恭)そうそう。で、まあまあ、「ぶってるんじゃねえ」って言われるかな? やっぱり。うん。リスナーだったらね、うん。深夜ラジオのリスナーだったら「ぶってるんじゃねえ」っていうような感じ、好きだから言うかもしれないけど。あの、ラッパーが好きでさ。USのラッパーが好きで……

(春日俊彰)ぶってるんじゃないよ!

(若林正恭)いいよ。どうぞ、どうぞ。冷笑して。

(春日俊彰)いやいや、言うからね……。

(若林正恭)どうぞ、どうぞ。

(春日俊彰)「USの」っていうのはちょっとぶってたね。

(若林正恭)USのラッパーが結構好きで。うん。で、『ミネソタ(Minnesota)』っていう曲があるんですよ。

(春日俊彰)好きなラッパーの曲で?

(若林正恭)好きなラッパーの曲で。それでその『Minnesota』を聞きながら、ミネソタを歩いていたんですね。朝。マクドナルドに行って。

Lil Yachty『Minnesota ft. Quavo, Skippa da Flippa』



(春日俊彰)ああ、まさに。

(若林正恭)それでなんか、歩いていって。マクドナルド、開いてるかな?って思ったら、開いていて。で、朝マックのメニューがあるんですよ。アメリカにもね。で、たのんでさ。ほいで、食べて。それで店員さんにセットと単品が伝わらなくて。「Hash potato and drink and egg muffin, all, set!」みたいなことを言ったら伝わって。で、「お前、どこから来たんだ?」みたいに聞かれて。「チャイニーズ?」みたいな。「いや、ジャパニーズです」っつって。「スーパーボウル」っつって。「ああ、スーパーボウル、見に来たの?」って。そしたら厨房からなんか、「おい、みんな集まれ! こいつ、日本からスーパーボウル見に来たらしいぜ、おい!」みたいな。

(春日俊彰)ああーっ、すごいね。

(若林正恭)で、サービスされるかな?って思ったら、まあ何もなかったですけども。

(春日俊彰)フフフ(笑)。それとは別だったのね。

(若林正恭)で、「あのミネソタの曲、いいな」って思って、歌詞をグーグル翻訳で翻訳してみたら……まあUSのヒップホップだからさ、歌詞が結構ギャングスターなんだよね。やっぱり。

(春日俊彰)ああ、ちょっと過激な?

(若林正恭)過激で。訳してみたら。で、怖くなってすぐにホテルに帰ったんですけども(笑)。


(春日俊彰)なにやってんだよ!(笑)。

(若林正恭)でね……あ、CMに行くんで今日はここで終わりにします。

(春日俊彰)気になるよ! なんだよ!

(若林正恭)フハハハハッ!

<書き起こしおわり>

杉作J太郎 リッキー・フジとショーン・マイケルズを語る

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杉作J太郎さんが南海放送『MOTTO!! 痛快!杉作J太郎のどっきりナイトナイトナイト』の中でリッキー・フジさんについてトーク。FMWでレフェリーとして招聘したショーン・マイケルズとのエピソードなどを話していました。


(杉作J太郎)そうです。先週、このリッキー・フジさんの話題をしそこねたというか。「リッキー・フジさんの話題は来週やりますよ」という話だったんですけども。このリッキー・フジさん、いまかかっております『セクシーストーム』。2週続けて(ラジオで)『セクシーストーム』がかかったのは史上初だと思いますけども。おそらく。



この『セクシーストーム』、実はリッキー・フジさんの入場曲なんですよね。リッキー・フジさんはプロレスラーです。資料がありますので、ちょっとご紹介しましょう。リッキー・フジさんは実は新日本プロレスの練習生だったんですけど、新日本プロレスからデビュー前に退団して、カルガリーに渡りまして。カナダで修行をして、そしてその後日本に帰国をして1990年にFMWに参加したんです。で、僕はそのFMWという団体がもう大好きで。当時。大仁田厚さんがやっていた団体でね。大仁田厚、サンボ浅子……いろんな人がいた団体ですけども。

まあ、FMWが大好きでね、よく見に行っていた。で、(宮崎県)日南の油津まで見に行ったことがありますよ。日南……カープのキャンプ地ですかね? 日南の油津という港で、そこで洋上プロレスというのをFMWがやりまして。海の上にリングを浮かべてプロレスをやるっていうんで、僕とアカタくんっていう友達と2人で見に行きました。そしたら、日南の街についたら、道の向こうから上半身裸の人が商店街を歩いてくるんですよ。それがリッキー・フジでした。それでリッキー・フジが上半身裸で歩いてきてね、「あっ、リッキーさん! 今日、プロレス見に来ました!」なんて言ったらね、「おう! 楽しんでって!」なんて言ってね。「『楽しんでって!』って、リッキーさんが楽しみすぎだろ……」みたいなね。全然プロレスと関係ないんですよ。街中を上半身裸で歩いていたのがリングをだった。

で、その後僕はそのFMWのテレビの解説者をやるようになりまして。で、(衛星放送)ディレクTVで中継が始まった時に解説者をはじめまして、その後、解説者から社内の人とか業界の人は知っていたんですけど、僕はゼネラルプロデューサーという職につきましてですね。団体の中の仕事をするようになりまして、いろいろなことを僕は選手の人たちと話し合いながら決めたりしていたんですね。で、実はそのFMWにアメリカの超スーパースターのショーン・マイケルズっていう、もうこれは全世界のプロレス史的にも超重要人物。HBK(ハートブレイクキッド)、ショーン・マイケルズっていう本当にハンサムな二枚目の超人気選手がいるんですが。

HBK ショーン・マイケルズ



そのショーン・マイケルズをレフェリーでFMWが呼んだんですね。で、本当に僕らは心臓が止まりそうだったのが、リッキー・フジさんが実はショーン・マイケルズが大好きなんですよ。で、ショーン・マイケルズの入場曲をパクっているのが実はこの曲(『セクシーストーム』)なんですよ。ショーン・マイケルズの入場曲をまんまパクってね。ほとんどそっくりなんですよ。ショーン・マイケルズの曲に。で、リッキー・フジの出番がその日もあるんですよ。で、リッキー・フジの出番がある時に、ショーン・マイケルズをいかに現場から引き離すかということに……ショーン・マイケルズが聞いたら国際問題になる!っていうんで。リッキー・フジの試合と入場の時にショーン・マイケルズと打ち合わせを設けまして。ショーン・マイケルズを控室に連れていきまして、音楽を聞かれないようにした思い出がある、そんなリッキー・フジさんの曲だったんですが。

まあ、その後、FMWは……僕がFMWを退団しまして、その後いろいろなことがありましてね。僕らが辞めた後、しばらくしていろんな大変なこともあって。そして最終的にはFMWが解散するんですね。ちょうど昨日ですかね? 僕がいた頃に選手をやっていたミスター雁之助選手が故郷の九州の方に帰るというので。ご結婚をされたんでしたっけね? 雁之助さんにはずいぶんお世話になったんですけども。雁之助さん、いまちょっとうる覚えですけども、もしご結婚をされたんだったらおめでとうございます。そしてもし九州の方にね、お戻りになったという情報も……実は昨夜、吉田豪ちゃんがそれを言っていましてね。「ああ、そうなのかな」って。たぶん彼がTwitterかなにかで見たんでしょうけども。

どうなんでしょうか。まあ、雁之助さん。今後、九州は(愛媛県と)近いから。もしよかったらね、こちらの方にも……(番組ディレクターの)不動明王さんとシルエット的にはよく似ている(笑)。体つきはよく似ている……まあ、そんなこんなであったんですけども。ちょうどその、いろんなことがあった時にFMWの冬木弘道さんという方が亡くなったんですね。理不尽大王っていう名前で、一時期いろんなテレビ番組とか。日本テレビの夜のスポーツ番組みたいなのもやったりしていたと思います。掛布さんとかとやっていたんじゃないですかね。

冬木さん。一時期大人気になった冬木さんですけども。その冬木さんが亡くなったんですよね。ガンでね、40いくつで。僕よりも1才年上だったんですけど、お亡くなりになりまして。で、もう僕は冬木さんや荒井(昌一)さん……荒井さんという方も亡くなったんですけども。家族みたいにして暮らしていた時期が。あともう1人、キメさんっていう人とね、あとハヤブサと。一時期はもう家族よりも会っていたというか。週のうちの5日、6日ぐらいは生活を共にしていたんですけども。その冬木さんがお亡くなりになりまして。ガンでね。

理不尽大王・冬木弘道のお通夜

で、お葬式が横浜の戸塚の火葬場であったんです。で、その戸塚の火葬場が山の上にありまして。火葬場まで行くと近所にコンビニもなければ店もない。で、ちょうど僕も当時はヘビースモーカーだったんで、タバコをよく吸っていたんですけども。山の上で、結局お通夜から全部一緒でしたから、ずっといるんですよね。24時間、夜通しいましたんで。そしたら、タバコが切れちゃうんですよ。で、タバコがなくなって、吸うタバコがないなって言っていたらリッキー・フジさんが来ましてね。「おい、リッキーさん、タバコ持っているぞ!」なんて誰かが言って。「いや、でもリッキーさんもバカじゃないから。ここに来たらタバコ屋がないから、くれないよ!」なんて言って。

そしたら、もらいに行ったやつがタバコを吸ってるんですよ。「リッキーさん、タバコくれたよ!」って言うから、「よくリッキーさん、タバコくれたね」って言ったら、「『ど真ん中のタバコ、ください!』って言ったらくれるよ」って言うんですよ。実はその当時、リッキーさんが長州力がやっていた、「ど真ん中」って言っていたWJプロレスに長州さんから呼ばれまして。もう直々のご指名でそのプロレス団体にリッキーさんが呼ばれてね、ゲストで行っていたんですよ。だからリッキーさんにしてみると、長州さんに呼ばれたというのがものすごくうれしかったんだと思いますね。で、「ど真ん中に呼ばれた」っていうのがうれしかったんです。

だから僕もね、本当かな?って思いながらも、「リッキーさん、すいません! あの、ど真ん中の……ど真ん中のタバコ、ください!」なんて言ったら、「ああ、ど真ん中。あげるよ~!」なんて言ってね。もう「ど真ん中」って言ったらなんでもくれるんですよ。リッキーさんが。そういう楽しいリッキー・フジさん。本名・森村さん。僕よりも歳はちょっと下なんですけど、誕生日が1日違うだけなんですよ。だからちょっと似たようなところもあってね。すごく親近感を持って僕はリッキーさんのことは大好きでした。またリッキーさんのお話をすることはあるかと思いますんで。

<書き起こしおわり>

DJ JINとジェーン・スー 2003年のヒット曲を振り返る

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ジェーン・スーさんがJFN『Joint&Jam ~global dance traxx~』に出演。DJ JINさんと2003年2月のヒット曲を振り返りながら、当時の思い出話をしていました。



(DJ JIN)今月はジェーン・スーさんをお招きしてDJ JINとジェーン・スーによるジン・スーコンビで極上音楽をお送りしていきたいと思います。あのー、「MMA」って書いてあるよ。そこ、服に。

(ジェーン・スー)テレーン!

(DJ JIN)テレーン!

(ジェーン・スー)ミックスド……

(JIN・スー)マーシャル、アーツ!

(ジェーン・スー)総合格闘技でございます。


(DJ JIN)フフフ(笑)。格闘技、好きですよね。

(ジェーン・スー)私は、まあ総合……青木真也選手が好きで。

(DJ JIN)青木真也選手、最高ですね。自分も好きな格闘家の1人ですね。

(ジェーン・スー)ついこの間、グラップリングで。

(DJ JIN)関節技の極め合いの試合ですね。

(ジェーン・スー)すごかったね、あれね。

(DJ JIN)あれ、すごかった。

(ジェーン・スー)久々にきましたね!

(DJ JIN)リア・ネイキッド・チョーク! シングルバックからの!

(ジェーン・スー)ギャッ!って。

(DJ JIN)フフフ(笑)。こういう、だからいくらさ、そういうソウル・ミュージック研究会の同期だからってさ、いろいろと同期させてさ、こういう閉じた話をするの、止めようよ(笑)。

(ジェーン・スー)開いていこう。

(DJ JIN)開いていこう。

(ジェーン・スー)関節、開いていこう。

(DJ JIN)ああ、開きたいね。そういう……もう出会って26年。そういう歳じゃないですか。

(ジェーン・スー)閉めてちゃダメ。いろんな関節、開いていかないと。

(DJ JIN)今回もワイワイ、お付き合いいただければと思います。よろしくお願いします。

(中略)

(ジェーン・スー)『Joint&Jam』、今日はこの曲から。ニューアルバム『The Time Is Now』からクレイグ・デイヴィッド feat. ゴールドリンク『Live in the Moment』。

Craig David『Live in the Moment ft. GoldLink』



(中略)

(ジェーン・スー)クラブヒッツ、ダンスチャートをランダムに振り返る「Throwback」のコーナーです。今週は15年前、2003年のいまの時期にタイムスリップ。Looking Back To 2003! ジェニファー・ロペス feat. LL・クール・J『All I Have』。



(ジェーン・スー)ジェイ・Z feat. ビヨンセ『Bonnie And Clyde』。



(ジェーン・スー)ネリー『Air Force Ones』。



(ジェーン・スー)エミネム『Lose Yourself』。



(ジェーン・スー)イヴ『Satisfaction』。



(ジェーン・スー)エリカ・バドゥ feat. コモン『Love Of My Life』。



(ジェーン・スー)ミッシー・エリオット『Work It』。



(ジェーン・スー)ファレル・ウィリアムス feat. ジェイ・Z『Frontin’』。



(DJ JIN)今週の「Throwback」は15年前。2003年の今時分でございます。音楽シーンは90年代からソングライター、プロデューサーとして裏方で活躍してきたファレル・ウィリアムスがいまバックで流れているこの楽曲でソロデビュー。また前年に全米公開されたエミネムの伝説的映画『8マイル』からエミネム、50セントといった新しいスターが生まれ、日本でも2003年5月に公開され、一般的にも認知されたという。いわゆる「アーバンミュージック」と呼ばれる、そういった類のものがもうすっかりポップミュージックとしてドーン! となった。そんな頃の作品ですね。思い出されますね。

(ジェーン・スー)そうですね。

(DJ JIN)15年前、どうでした?

(ジェーン・スー)15年前ってことは29とか30ぐらいですよね。

(DJ JIN)ああ、そうですよね。

(ジェーン・スー)レコード会社の2社目ですね。転職して。

(DJ JIN)ほう。レコード会社を2社、渡り歩いて。

(ジェーン・スー)その転職した先で働いていたかな。

(DJ JIN)ああ、バリバリ働いていた。

(ジェーン・スー)夜討ち朝駆けでしたねー。

(DJ JIN)夜討ち朝駆けで。

(ジェーン・スー)本当にね、なんであんな忙しかったんだろう?っていうぐらい。いまよりも全然忙しいですよ。

(DJ JIN)でもそれはレコード会社っていうことは、やっぱりそういうプロモーターとかそういうことをやっていたんですか?

(ジェーン・スー)そうそう。そうです。

(DJ JIN)ということは、そういう、いわゆる各ラジオ局に出入りしたりとか?

(ジェーン・スー)しましたよー。ここにも出入りしていたし。

(DJ JIN)ここのスタジオにも出入りしていたし。

(ジェーン・スー)もうラジオ局がほとんど。ラジオと雑誌が多かったんで。テレビはほとんどやっていなかったんで。なんとな1曲かけるために。「よろしくお願いします!」って。

(DJ JIN)でもスーはさ、あれじゃないですか。あなた、ここからジェーン・スーになっていくという、その素地はもうすでにあったし。出会った時から、その太い強い何かがあったわけじゃないですか(笑)。

(ジェーン・スー)ああ、わかる、わかる。太くて強いのはわかる。私、昔、覚えているんだ。それこそ2003年ぐらいだったと思いますよ。2003年かもうちょっと前かな? JINに「ちょっと! 誰か紹介してよ!」みたいなことを「ウェーイッ!」って。

(DJ JIN)「いい男を紹介してよ」みたいな(笑)。

(ジェーン・スー)みたいなことを、みんなで久しぶりに集まった時に言ったら、「お前は押しが強いから、嫌だ」って言われて(笑)。

(DJ JIN)アハハハハッ!

(ジェーン・スー)「いい男の在庫はあるけど」って。

(DJ JIN)「く、く、く……食われる~!」っていう(笑)。

(ジェーン・スー)そうそう(笑)。「なんか圧が強いから紹介したくない」って言われて(笑)。

(DJ JIN)スーと同じタイミング。同期で入った他の同僚のみなさんを何度か紹介してもらうこともあったのかな。「スーなんですけど、もう入社したその日から、あだ名は『ボス』って呼んでます」っていう(笑)。

(ジェーン・スー)アハハハハッ! 意外とね、壊れそうなハートよ、私も。

(DJ JIN)フハハハハッ!

(ジェーン・スー)そこはね、見た目がいかついっていうか、圧があるだけで。懐かしいですね。

(DJ JIN)いやいや、そうですね。

(ジェーン・スー)それがいつの間にか、いろいろと紆余曲折あって、気がついたら同じビルの中で違うレーベルになるんだから、人間どうなるかわからないよ。

(DJ JIN)ああ、ねえ。そうですよ。本当に数奇なものですよね。ということで、15年前の曲に行ってみましょう。

(ジェーン・スー)それでは15年前の2003年。いまの時期にヒットしたのはこの曲です。50セントで『In Da Club』。

50 Cent『In Da Club』



(ジェーン・スー)お送りしたのは50セント『In Da Club』でした。今週の「Throwback」は2003年を振り返りました。

(DJ JIN)『Joint&Jam』、ライムスターのDJ JINと……。

(ジェーン・スー)ジェーン・スーでお送りしています。

(DJ JIN)はい。

<書き起こしおわり>

DJ JINとジェーン・スー ライムスター『ダンサブルツアー』を振り返る

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ジェーン・スーさんがJFN『Joint&Jam ~global dance traxx~』に出演。DJ JINさんとライムスターのツアー『KING OF STAGE VOL. 13 ダンサブル Release Tour 2017』を振り返っていました。


(DJ JIN)はい。私、ライムスターをやっておりまして。ツアーがね……。

(ジェーン・スー)そうよ。聞きたいことはそれよ!

(DJ JIN)終わったんですよ。

(ジェーン・スー)お疲れ様でした!

(DJ JIN)ツアーが終わったわけで。

(ジェーン・スー)最後、京都の磔磔で。ファイナル、お疲れ様でした。

(DJ JIN)そうです、そうです。よくご存知。スーも来てもらいましたよね。ZeppTOKYOの公演に。

(ジェーン・スー)あれ、楽しかったわー!

(DJ JIN)東京公演はね、立地的にゲストのみなさんが呼びやすいということがありまして。それこそ、mabanuaとかね。ドラマーのOvallで大活躍のmabanuaくんとか、あとはダンスでSound Cream Steppersという、ビバップダンスの素晴らしいベテランの方々に出ていただいたりとか。すごいいろんな仕掛けがあったりとか。ZeppTOKYOの公演を見ていかがな感想をお持ちでしたか?

(ジェーン・スー)間口がやっぱりどんどん広くなっているのは感じるんですよ。アルバムごとにっていうのもあるんだけど。なんだろう? ポンッて入っていても、「おお、いいよ。こっち来いよ!」って言ってもらえる度みたいなのがツアーごとに年々上がっている感じがしますね。

(DJ JIN)間口が広がって。

(ジェーン・スー)そうそう。いままでだったらそれこそヒップホップ……『グレイゾーン』とかの時だとさ。何年前の話をしているんだ?っていう話だけど。わかる?

(DJ JIN)そうね。正直、『グレイゾーン』とか『ウワサの真相』とかその前のアルバム『リスペクト』とかありますけど。だから90年代後半から2000年代頭ぐらいにかけては、まあ言うても「ヒップホップ!」みたいな。

(ジェーン・スー)そうそう。ストリクト・ヒップホップっていうので……(いい発音で)HIP HOP! みたいな(笑)。

(DJ JIN)みたいなやつですね。そういう……(笑)。

(ジェーン・スー)ヒヒヒヒヒッッ、HIP HOP!っていう感じだったんですけども(笑)。

(DJ JIN)フハハハハッ! なんか返してきたねー(笑)。

(ジェーン・スー)飲み屋じゃねえっつーの! だったんだけど、ちょっとやっぱり、私なんかは前から知っているっていうのがあるから楽しく入れたけど、若干、「いきなり女の子が『ちょっとライムスター興味あるけど、ライブ行こうかな?』っていうと入りづらいかな?」っていう感じもなきにしもあらずだったのが、もうどんどんいまは。で、新しい子もすごい多いじゃん? そこがすごいよね。

(DJ JIN)そうなんですよ! そうそう。結構ね、「今日はじめてライブ来た人、手を上げて!」って言うと、結構そういう人が多くて。それは非常にうれしいことでね。

(ジェーン・スー)コアファンはいながらも、新しい人が入っているから、空気がいいんですよね。ライムスターのライブは。停滞している感じがないし。

(DJ JIN)ああ、でもまあその分ね、アルバムごとに違うことをやっているから。まあ、ある程度のふるいっていうかね。かけられちゃうわけなんだけども。でも、その分フレッシュにキャリアを歩んでいけることもできるかな? なんて。

(ジェーン・スー)さすがだと思いました。

(DJ JIN)はい。ありがとうございます。曲の方、行ってみましょうか。

(ジェーン・スー)それではここで1曲、届けします。新曲です。ケンドリック・ラマー&SZA『All The Stars』。

Kendrick Lamar, SZA『All The Stars』



(中略)

(DJ JIN)はい。それではここでメッセージを紹介しましょう。女性の方です。(メッセージを読む)「郡山のライムスターのライブ、行きました。はじめてのライブでド迫力、圧倒されました。また来年、ライブに行きたいです」。やったー!

(ジェーン・スー)やっぱり新しい人、来ているんだね。どんどんね。

(DJ JIN)そうそう。先ほどお話したように。これ、うれしいわけですね。それでさらに、メッセージをいただいてまして。群馬でお聞きの男性の方です。(メッセージを読む)「ライムスター群馬でのライブ、12月22日(金)、群馬県高崎市にあるclubFLEEZでライムスターのライブがあったのですが、自分は繁忙期の年末のこの時期、仕事が終わるのが遅くなりそうだと思ったので、ライブ参戦は泣く泣く断念したのですが、『Joint&Jam』リスナーとしてはどうしてもJINさんに会いたいという気持ちを抑えることができなかったので、ライブ終わりの出待ちをしました(苦笑)」。

(ジェーン・スー)おおーっ! 出待ちを。

(DJ JIN)「……出待ちすること数十分、ライブ参戦した方々にまぎれてライムスターメンバーとの握手会の列に並び、JINさんに自分が『Joint&Jam』のリスナーである証を見てもらおうと用意した、以前に番組で当選したライムスターの7インチレコード『B-BOYイズム』を見せ、ラジオネームを言ったらJINさんが喜んでくれてまさかのハグをしてもらい、すごくうれしかったです! ライムスターのライブ参戦の機会があれば、今度はかならず参戦します。JINさん、その節はありがとうございました」。ということで、ありがとうございました!

(ジェーン・スー)アツい!

(DJ JIN)ハグしましたね! 熱いハグを男性としましたね(笑)。

(ジェーン・スー)リスナーの人と会えるとうれしいよね。

(DJ JIN)そう。すごいうれしくて! 『Joint&Jam』から入って、ライムスターに届いたみたいな。

(ジェーン・スー)うれしいね! それ、めちゃめちゃうれしい!

(DJ JIN)そうなんですよ。そういう出会いがありまして。みなさまのおかげで史上最多となるツアー、終わりました。ありがとうございました!

(ジェーン・スー)本当にね、コメントとか一言でもいただけると私たち、モチベーションになりますからね。励みになりますので。

(DJ JIN)そうなんですよ。よろしくお願いします。ジェーン・スーへの応援メール、メッセージ等々もお待ちしておりますので。

(ジェーン・スー)お待ちしております(笑)。

<書き起こしおわり>

町山智浩 映画『15時17分、パリ行き』を語る

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町山智浩さんがTBSラジオ『たまむすび』の中でクリント・イーストウッド監督の最新作『15時17分、パリ行き』について話していました。

A true story, the real heroes. #1517toParis

The 15:17 to Parisさん(@1517toparis)がシェアした投稿 –


(山里亮太)さあ、そして今日は?

(町山智浩)今日は、実話の映画化なんですけども。『15時17分、パリ行き』というタイトルの映画です。これ、『15時17分、パリ行き』っていうのは列車のことなんですね。2015年8月21日に起こった銃乱射を止めた事件というのがありまして。これもだから結局、事実について話をするとネタバレってどうなのか?っていう問題があるんですけど……。

(山里亮太)まあ、そうですよね。ニュースとしてだいぶ、バッと世の中に全部結果は出ていますから。

(町山智浩)そう。結果はみんな知っているはずなんだけど……難しいですね。こういうのは。どこのへんまで話したらいいのかね。これは、ヨーロッパの各国を横断していく鉄道がありますけども、そのうちのひとつの鉄道で、オランダのアムステルダムからパリに向かって出た15時17分のパリ行きという列車の中で、乗客の1人がイスラム国に影響されたテロリストで。AKMという突撃銃という、すごい性能の機関銃みたいなものを撃とうとしたんですね。で、乗客を殺そうとしたんですけども。270発の弾丸を持っていたと言われているんですけども。

(海保知里)はー……。

(町山智浩)それをたまたま、その列車に乗っていたアメリカ空軍の兵隊と、アメリカの州軍の兵隊と、その彼の友達の3人のアメリカ人が止めたということで、まあ報道されましたよね。

(山里亮太)そうですね。実話として。

(町山智浩)実話として。それでオバマ大統領から勲章をもらったりしたんですけども。この3人は。その事件の映画化なんですよ。で、監督はクリント・イーストウッドです。

(山里亮太)実話を撮りまくっている。

(海保知里)そう。すごいですよね。

(町山智浩)そう。そうなんですよ。最近、実話ばっかり撮っている人で。この前に撮った映画が『ハドソン川の奇跡』っていう、ニューヨークのハドソン川に飛行機が不時着して。ジェット機のエンジンのところに鳥が突っ込んで、そのまま乗客すべてを救うように川に不時着をした事件がありましたけど。あれの映画化だったんですね。前のは。

(山里亮太)はい。

(町山智浩)で、その前は『アメリカン・スナイパー』というイラクで100人以上の敵兵を狙撃したアメリカの狙撃兵の悲劇についてだったんですけども。もう最近、イーストウッド監督はずっと実話なんですよ。もう最近、ほとんどドラマなんか撮ってないような気がするんですけども。この10年間に、そうですね。完全なドラマは2本ぐらいしか撮ってないですね。

(山里亮太)へー!

実話ばかり撮るクリント・イーストウッド監督

(町山智浩)『アメリカン・スナイパー』の前は『ジャージー・ボーイズ』というフォー・シーズンズというアメリカのコーラスグループの実話なんですよ。その前が『J・エドガー』でFBI長官のエドガー・フーヴァーの実話ですね。だから実話ばっかりですよ。この人、ずっと。

(山里亮太)そうですよね。

(町山智浩)だからなんかね、実話がどんどんどんどん続いていて、とうとう今回の『15時17分、パリ行き』ではなんと実際にその列車に乗り合わせて事件に遭遇した人たちを全員、その人たちの役で出すというとんでもない映画なんですよ。

(山里亮太)すごいことするよな!

(海保知里)ええっ? 役者さんじゃないんですか?

(町山智浩)役者じゃないんですよ、これ。本人たちなんですね。

(山里亮太)かーっ!

(町山智浩)犯人以外は本人という(笑)。そういうことになっていますね。はい。ド素人ですよ。だから。

(山里亮太)と、いうことですよね。

(海保知里)演技、大丈夫なんですか? こんなことを言うのもあれですけども。


(町山智浩)ねえ。でね、これ話はこの3人の子供の頃から始まるんですけども。まずキリスト教の、ちょっと原理主義的な学校で3人が出会うんですね。小学校の頃に。で、3人ともいじめられっ子なんですよ。で、将来は軍人になるんですけど、その頃はまだチビちゃんですからね。で、スペンサー・ストーンというその後に空軍に入る彼とその後に州軍に入るアレク・スカラトスという少年が、ちょっといじめられていて。いくつかの理由があって、まずADHDで落ち着きがないっていうのがあるんですね。

(山里亮太)はい。

(町山智浩)あの、僕もたぶん子供の頃はそうだったと思うんですけど。で、あとはお母さんしかいない、シングルマザーの家庭なんですよ。そうすると、キリスト教の学校ではすごく家族を重んじて、「離婚はいけない」っていうようなところが多いので、先生からもよく言われないんですよ。「あそこはシングルマザーだから、子供がああなんじゃないですか?」とか言われるんですよ。先生に。で、さらにそこに黒人の男の子でアンソニー・サドラーっていう男の子が転校してくるんですけど、黒人が全然いない学校なんでいじめられるんですね。

(山里亮太)ああー。

(町山智浩)で、この3人がいじめられているうちに仲良くなって、親友になるんですよ。で、その後もずーっと、ハタチすぎるまでこの3人は住むところとかバラバラになってもずっと連絡を取り合って、親友でい続けてヨーロッパに旅行に行くんですね。

(海保知里)旅行にね。ええ。

(町山智浩)で、この映画がすごく変なのは、最初の方はこの3人が育っていく過程が描かれるんですけども、真ん中らへんがこの3人がヨーロッパに行って、いろいろと遊ぶところがずーっと続くんですよ(笑)。

(山里亮太)おおっ。

(町山智浩)レストランで美味しいご飯を食べたりね、クラブに行って踊り狂って二日酔いになったりとか。自撮りをやたらとしたりとかね。

(山里亮太)なんかドキュメンタリーみたいな感じに……。

(町山智浩)ドキュメンタリーみたいな感じです。本人たちが実際に遊んだところに、本人たちがもう1回行って遊んでいるんですよ。

(山里亮太)完全再現(笑)。

(海保知里)フフフ(笑)。

(町山智浩)完全再現なんですけども。これがすごく変なのは、普通映画って物語があるじゃないですか。だから中盤の部分っていうのはクライマックスにつながるようなドラマ的なつながりがかならずあるものですよね?

(山里亮太)はい。

(町山智浩)でもこれは偶然だから、なにもないんですよ。

(山里亮太)ええっ?

(町山智浩)遊んでいること自体はクライマックスと関係がないんですよ。

(海保知里)ああ、意味がないんだ。

(町山智浩)意味がないわけですよ。という、非常に奇妙な映画なんですよ。だから、意味がなく遊んでいるんだけど、そこで主人公たちはこう言うんですよ。「僕らはこうやっているけど、生きるっていうことは何らかの目的に向かっているんじゃないかと思うんだよね」って言うんですよ。

(山里亮太)ほう。

(町山智浩)だからこのへんがすごく神秘的な話になっちゃっているんですよ。これ、面白いなと思って。でも、それがクライマックスで一種の奇跡みたいなことが起こるんですね。

(山里亮太)はい。

(町山智浩)これは言えないんですけど。これ、調べると何が起こったかはわかるんですけども。実際に起こったことだから。だからね、非常に彼らがキリスト教の学校で神を信じて育てられて……っていうのが伏線みたいになっているんですけども。「こりゃあわかんねえよ!」とも思いましたね。同時にね(笑)。

(山里亮太)へー!

(町山智浩)これはね、すごく見る人が想像力とかでこの物語を埋めていかなきゃいけない映画になっているんですよ。

(山里亮太)ほう。埋めていく?

(町山智浩)埋めていく。だから、たとえばプロの俳優さん……それこそトム・ハンクスみたいな人がやった場合は、すごく何気なく遊んでいるところにいろんなものが入っていって、クライマックスのテロリストと戦うところへの布石みたいなものが打たれていくわけですね。それが、この人たちは完全に素人なので、一種空っぽなんですよ。

(海保知里)はー!

(山里亮太)なるほどなー。

(町山智浩)だから、その空っぽのところに見ている人たちが意味を埋めていくみたいな、非常に実験的な映画になっています。これ。これはね、クリント・イーストウッドという人は87才で、60年以上映画を取り続けているわけですけど。まあ、俳優としても監督としてもね。それでとうとうこういう、なんて言うか俳句のような境地に……(笑)。

(海保知里)俳句ね(笑)。

(山里亮太)そういう境地なんですね、これは。

(町山智浩)一種のそういう境地ですよ。空っぽに見えるですよ。これはただ、いきなりここで出てきたわけじゃないですね。

(山里亮太)いままでもあるんですか? こういう感じのが。

(町山智浩)クリント・イーストウッドの映画って、どんどんどんどん無駄を削ぎ落としていって、空白が多い映画になっていっているんですよ。ここのところ。特にイーストウッドという監督はそれこそ、これだけ長い間映画を撮り続けているんですけど、どんどんペースが早くなっているんです。映画を作るペースが。

(山里亮太)ほう。

早撮りの名手・クリント・イーストウッド監督

(町山智浩)で、この間作った映画がDVDが出たと思ったら、もう次が出ちゃうみたいな。だって、『アメリカン・スナイパー』が2014年で、『ハドソン川の奇跡』が2016年で、2年に1本ずつ映画を作っているんですよ。もう。

(海保知里)すごいペースですね。

(町山智浩)2014年なんて2本撮っていますからね。『ジャージー・ボーイズ』と。それですっごい早いんですけど、どうして早いかというといくつかの理由があって。まず、彼はもうほとんど照明を使わないんですよ。映画を撮る時に。

(海保知里)そうなんだ!

(町山智浩)山里さんって、映画の撮影現場に行ったことありますか?

(山里亮太)あります。ちょい役で。

(町山智浩)映画って、セッティングがすごく長いですよね?

(山里亮太)めちゃくちゃ長いです。光を作るのとか本当に、すっごい大変なんですよね、あれ。

(町山智浩)待ちがすっごい長いんですよ。で、1シーン1シーン、撮っていくんですけど、だいたい照明とかをセッティングすると、もうそれは動かさないで同じ照明のセッティングのところだけまとめて撮ったりしますよね。

(山里亮太)はい。

(町山智浩)あれ、照明のセッティングが大変だから。あと、レフっていうのを当てますね。反射板ですね。下の方から当てて。そうしないと、顔の目の下とかに影ができちゃうんですよね。で、女性とかはすごい怖い顔になっちゃうんで、下からレフを当てるんですけど、クリント・イーストウッドはもうそれをしないんですよ。

(山里亮太)へー!

(町山智浩)もう10年以上前から照明を一切使っていないです。この人は。

(海保知里)女優さんたちは大丈夫なんですか?

(町山智浩)自然光でなんとか撮れるように……このいつもついているカメラマンが元照明の人なんで、自然光できれいに撮れる術というのを身につけているんですね。で、自然光で撮っているとすごいのが、セッティングの時間がいらないんですよ。

(山里亮太)ああ、そうか。そうですよね。

(町山智浩)ただ撮ればいいから。それと、カメラを自由に動かせるんですよ。

(海保知里)ふーん! そうか。場所を決めちゃうもんね。そうかそうか。

(町山智浩)そう。照明があると、カメラを振ると照明が映っちゃうでしょう? でも、カメラだけだと、その場にスタッフとかいなければ、どんなにでもカメラを動かせるわけですよ。

(山里亮太)そうか。でもなんか、「つながらない」みたいなことは起きないんですか? 光の感じが違くて……って。

(町山智浩)だから、自然光でしか撮っていないから、光の感じは違わないんですよ。

(海保知里)大丈夫なんですか。へー!

(町山智浩)大丈夫なんですよ。

(山里亮太)何回か撮り直ししているうちに、そのシーンの時間がずれてきて。ねえ。

(町山智浩)あのね、撮り直ししないんですよ。

(山里亮太)あ、そもそも?

(町山智浩)クリント・イーストウッドは基本的にひとつのシークエンス……「シークエンス」っていうのはだから、シーンがいくつかあってシークエンスになるんですけど。ひとつの「場」ですね。それは全部1日で撮っちゃうんですよ。この人はその日のうちに。

(山里亮太)くわーっ!

(海保知里)早撮りなんですね。

(町山智浩)超早撮りなんです。で、「はい。じゃあ1回カットでもう1回、やってみましょう」って撮り直すことを「テイク」っていうんですけど。クリント・イーストウッドはもう1テイクか2テイクしか絶対に撮らないんですよ。

(山里亮太)ええーっ? プレッシャーだね、役者さんも!

(町山智浩)これね、たけしさん(北野武監督)もそうらしいですね。

(山里亮太)ああ、聞いたことあります。早いって。

ピエール瀧 北野武映画『アウトレイジ最終章』撮影現場の模様を語る
ピエール瀧さんと玉袋筋太郎さんがTBSラジオ『たまむすび』の中で北野武監督の映画『アウトレイジ最終章』の撮影現場の模様について話していました。 『アウトレイジ 最終章』新キャ...

(町山智浩)そう。早いんですよ。とにかく何度も何度も撮ったりしないんですよ。だからね、『J・エドガー』を撮った時にレオナルド・ディカプリオが「もう1回、やらせてくれ。もうちょっとやらせてくれ」って言ったら、「そんなのやらせない。何回やったって同じだ!」ってケンカになっちゃったことがるんですね。

(山里亮太)すごいな!

(町山智浩)そう。でね、イーストウッドはインタビューとかで言っているんだけども、「いくらやって、いろいろと役者が作り込んできても、そんなにいいものにはならないんだ。60年ぐらい映画を撮ってきてわかった。ほとんどチャッチャと撮ればいいんだっていう結論に達した」と(笑)。

(山里亮太)アハハハハッ!

(町山智浩)とにかく、細かいことはいいんだよ!っていう人なんで。『アメリカン・スナイパー』っていう映画では、主人公に赤ちゃんが生まれるところで、生まれた赤ちゃんを抱っこするところで、明らかに赤ちゃんが人形なんですよ。

『アメリカン・スナイパー』の偽物赤ちゃん



(山里亮太)フハハハハッ!

(海保知里)本当に?

(町山智浩)そう。そういう細かいことにこだわってもしょうがねえよ!っていう人なんですよ。

(山里亮太)いや、そこはだいぶ大きいけどな。へー!

(町山智浩)そう。すごい映画がシンプルになっていって、どんどんどんどん枯山水のような、盆栽のような映画になっているんですよね。この人の映画って。だから面白いなと思って。ただね、こういう本人に演じさせるというのはもう究極ですよ。「演技はいらない」っていうことですよね。

(山里亮太)うん。

(町山智浩)それで、「どうしてそういうことになったんですか?」って僕、インタビューに行ったら、最初は俳優に演じさせるつもりで本人たちに聞き取りをずっとしていたんですって。「あの時はどうだった? この時はどうだった?」っていう風に、その3人の英雄たちにね。

(山里亮太)はい。

(町山智浩)で、いろいろと聞いていて、それをメモ取って、それを俳優たちに演じさせるというのが面倒くさいなとイーストウッドは思ったらしいんですよ。だから「お前らがやればいいじゃん?」って言って。

(山里亮太)ええっ?

(町山智浩)そうすると、間が抜けるじゃないですか。話を作って脚本にして演技をつける。それ、もういらなくなるわけですよ。で、実際にフランスでそれを撮影する時も、他の乗客にも全部声をかけて呼んだんですよ。本人を。で、撮影する時にリハーサルみたいなの、やらせるじゃないですか。本人たちに。ほとんどなにもしないでイーストウッド監督は座っていて、彼らに再現させているんですよ。

(山里亮太)ええーっ?

(町山智浩)「ここんところ、どうだったっけ?」「ああ、そうだったわ」って言って。「だって本人がいちばんよく知っているもん」っていうんですよ。

(山里亮太)そうですけど……。

(町山智浩)すごいですよ。これね、1人撃たれている人がいるんですよ。銃を奪おうとして。それで首を撃たれて死にそうになっている人がいるんですけど、それも本人に、
本人が撃たれるところをやらせているんですよ。

(海保知里)ええーっ?

(町山智浩)ものすごい出血して、本当に生死の境をさまようんですけど、本人が演じているんですよ。

(山里亮太)それ、できるんですかね? もう1回、その死にそうな感じとか。

(町山智浩)それ、トラウマじゃねえの? とか思うんですけど……でも、イーストウッド曰く、本人がやった方がいちばんいいということなんですけど。で、僕今回、イーストウッド監督にインタビューしていちばん驚いたのは、超高級なビバリーヒルズホテルというホテルでインタビューした後、その後に駐車係の人に預けてある車を彼が呼んでもらっていたんですね。僕、その横にいたんですよ。で、イーストウッドはどんな車に乗っているんだろう?って思って、ずっと横でわくわくして待っていたら、フォードの10年ぐらい前の中古車が来ましたよ。

(海保知里)へー!

(町山智浩)レンタカーじゃないんですよ。10年ぐらい前の中古車なんてレンタカーしているわけないんで。本人の車なんです。で、しかもそれをお付きの人とか何も無しで、87才のイーストウッド本人が運転して去っていきましたよ。

(海保知里)ええーっ! 元気!

(町山智浩)これだけ、世界一の大監督になって、お金があるのに10年前のフォードに乗っているんですよ。それも自分で。もう生活もシンプル。それでずっとインタビューの最中は日本茶を飲んでいましたし。

(海保知里)そうなんですか?

(町山智浩)そう。緑茶を飲んでいた。いつもですけど。だからね、とうとうある境地に達すると高級車も乗らねえというね。お付きの人、ゾロゾロいるんですよ。ハリウッドのスターとか監督たちって。

(海保知里)そうでしょうね。

(町山智浩)それも付けねえというね。で、映画も俳優もいらねえ。細けえことはどうでもいいんだよ!っていう境地に達していて、俺はこれを目指さなきゃ!って思いましたね。

(山里亮太)フハハハハッ! 「こうなりたい」と。

(町山智浩)ねえ。いい車がほしいとか、そんなのはまだまだチョロいなと思いました。

(海保知里)アハハハハッ! いやー、すごいですね。クリント・イーストウッド、ここまで来ているんだと。

(町山智浩)87才のイーストウッドのひとつの境地に達した映画『15時17分、パリ行き』は3月1日公開です。

(海保知里)はい。わかりました。今日はクリント・イーストウッドの最新作をご紹介いただきました。町山さん、どうもありがとうございました。

(山里亮太)ありがとうございました。

(町山智浩)どうもでした。

<書き起こしおわり>

プチ鹿島『ワイドナショー』三浦瑠麗「大阪がヤバい」発言の軽さを語る

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プチ鹿島さんがYBS『キックス』の中で、テレビ番組『ワイドショー』で国際政治学者の三浦瑠麗さんが『ワイドナショー』の中でした「いま、大阪がヤバいと言われている」という発言の軽さについて話していました。


(プチ鹿島)あと、三浦瑠麗さんが金メダルを取ったって、知ってます?

(塩澤未佳子)三浦瑠麗さん……知らないです。

(プチ鹿島)この間、『ワイドナショー』で発言したことがすごく話題になって。

(塩澤未佳子)なになに?

(プチ鹿島)いま、金メダルですよ。ネット界隈では。なんか、平昌オリンピックの北朝鮮と韓国の話になって、国際政治学者の三浦瑠麗さんっていう女性の方、いるじゃないですか。あの方が、いざとなったら日本にもテロリストというか、がいるよみたいな話になって。「特に大阪がヤバい。潜伏している」みたいな。俺、たまたまあれをリアルタイムで見ていたんですよ。で、日曜の午前って家にいる場合はリアルタイムで『サンジャポ』か『ワイドナショー』を、その日の気分でどっちかをリアルタイムで見て、あとは録画で見るんですけども。

(塩澤未佳子)はい。

(プチ鹿島)僕、たまたまその日は『ワイドナショー』をリアルタイムで見ていたんです。寝っ転がって見ていて。で、俺、その発言が出た瞬間、本当に隣にいた妻に「えっ、テレビでこんなこと、迂闊に言っていいのか?」って。本当にテレビぶつぶつおじさんになっちゃったんです。でも、本当にやっぱり僕が思った通り……いや、そりゃそうですよ。だって。

(塩澤未佳子)はー!

(プチ鹿島)で、僕がすごく違和感があったのが、言葉の軽さなんですよね。国際政治学者っていう方が、「テロには十分注意しましょうよ」って丁寧に……その後、ブログに書いていたんですけども。それぐらい慎重なことを、「特に大阪がヤバいらしい。いま、ヤバいと言われていて」って言っていて。そのギャップってなんだろう?って思ったんですよね。そんなの、一言で片付けていいの?っていう。

(塩澤未佳子)うん。

(プチ鹿島)「いま、大阪がヤバい」って……国際政治学者ですよ? タレントとかが「ヤバーい!」って言ってるんじゃないんですよ? で、それがひとつザワッと来た。「ああ、言葉遣いが軽いな」っていうのと、もうひとつ、「いま、言われていて」っていう。それをテレビで言っちゃうわけです。「いま、言われていて」っていうのは、「私は当然その情報を知っている。まあ、みなさんにも教えてあげるけど……」みたいな。「いま、言われていて」っていうのを見ると、人によっては「ああ、そうなんだ! いいことを教えてもらった」って思っちゃう人もいるじゃないですか。それって何か?っていえば、ただの「煽り」なんですよ。

(塩澤未佳子)ああーっ!

言葉遣いが軽い

(プチ鹿島)だから「いま、言われていて」って、そこまで言うんだったら、じゃあ「○○が言っていた」とか言わなくちゃダメですよね? だからそこは情報源の秘匿とかあるかもしれないですけど。でも、「いま、言われていて」って軽く言うんだったら、じゃあ「誰が言っているんですか?」っていう話をセットで言わないと。僕は思わず、本当に寝っ転がって見ていたんですけども、「えっ、こんなこと迂闊に一言で言っていいの?」って本当に言っちゃったんです。だから。そしたらやっぱり問題になっているようで。

(塩澤未佳子)そうでしたか。

(プチ鹿島)まあもちろん、だからこれ、三浦瑠麗さんはその後にブログで長く、「こういう意味だ」っていうことを……だからそれぐらい、逆に言えば慎重に、長い時間と言葉遣いが必要な問題なんですよ。「じゃあ、だって東京とか大阪とか韓国の工作員が1人もいないって言えるんですか?」って言われたら、僕は「いや、わからないし、いるかもしれないですね」っていう話になるけど、でも「いま、大阪がヤバい」って、これはわかりやすさのダメな感じですよね?

(塩澤未佳子)ああーっ!


(プチ鹿島)っていうのを思いました。うーん。

(塩澤未佳子)だって、それじゃあ伝わらないですからね。どんな方が見ているかもわからないしね。

(プチ鹿島)そう。だからあれは本当に煽りだなと思ってしまいますね。

<書き起こしおわり>

プチ鹿島 下町ボブスレーとパワーワード「下町」を語る

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プチ鹿島さんがYBS『キックス』の中で平昌オリンピックでジャマイカチームにソリを提供した下町ボブスレーの問題についてトーク。「下町」という言葉が持つパワーワード性について話していました。



(プチ鹿島)「下町ボブスレー」もちょっとパワーワードになっていますけどね。僕、あれ思うんですけど……下町ボブスレーって説明はしなくていいですか? あれ、ジャマイカに大田区の下町の企業が作ったボブスレーが使われると。そしたら、タイムが遅くて他の国(ラトビア)のものにジャマイカが変えたんですよね。そしたら、それを(契約違反で)訴えるみたいな話をして、逆に「えっ?」って。まあ、それは置いておいて……「下町」ってつくと、なんか油断しますよね。

(塩澤未佳子)フフフ(笑)。そうね。

(プチ鹿島)「下町」ってパワーワードですよね。

(塩澤未佳子)ああー、なんかね、「下町」って聞くともうイコール「人情」みたいな。

「下町」=「人情」のようなイメージ

(プチ鹿島)そう。今回もだからそうですよ。いい話、いいプロジェクトっていうので、それが目的なんでしょうね。だから「下町ボブスレー、いいんじゃない?」みたいな感じでなんとなく聞き流してきましたけど、あれよーく話を見ていると、「これはえげつないな」っていう話になって。「下町」ってすごいですよね。「下町」が前につくと、ものすごい毒消し感というか美談的空気が一気に浮かびますよね。

(塩澤未佳子)本当だ!

(プチ鹿島)「下町アルマーニ」とかどうですか?

(塩澤未佳子)アハハハハッ!

(プチ鹿島)なんかいい話なのかな?って。

(塩澤未佳子)なんか、あまりにも両方が強すぎて(笑)。

(プチ鹿島)いい話なのかな?って一瞬思っちゃいますよね。

(塩澤未佳子)どっちだろう? みたいな(笑)。

(プチ鹿島)「下町セクハラ」とか、どうですか? 一瞬、1秒ぐらいは「あれ、これ美談なのかな?……いや、違う違う違う!」って(笑)。

(塩澤未佳子)アハハハハッ!

(プチ鹿島)でも、そういう迷いかける罠があるんですよ。

(塩澤未佳子)すごいね、「下町」のパワー!

(プチ鹿島)「下町」パワーワードすごいですよ。

(塩澤未佳子)すごいですね!

(プチ鹿島)だから、実はみんな下町のことを幻想だけでしか知らないから、パワーワードなのかもしれないっていう。

(塩澤未佳子)本当だ。だってイメージしかないもの。

(プチ鹿島)そう。だから、昭和30年代のノスタルジックな映画、あったじゃないですか。吉岡秀隆さんが出た……『三丁目の夕日』。あれなんか見ると、昭和のあの頃の牧歌的な夕焼け。まあ、漫画ありましたよね。

(塩澤未佳子)もうあんなの、たまんない!

(プチ鹿島)「ああ、いい時代だったな」と思うけど、実際にあの時代を暮らした人からすると、「いや、治安悪いよ」って言うし、「街も臭かったよ」とか。

(塩澤未佳子)アハハハハッ!

『三丁目の夕日』の昭和30年代は本当にいい時代なのか?

(プチ鹿島)「いや、勝手に幻想化するなよ!」みたいに言うもんね。「臭えよ、街。あの頃、臭かったし、本当に治安が悪かった。いまの方がいいよ!」って言うんだよ。っていうことは、やっぱり知らない人が幻想を楽しんだり。もしくはあの時代……人って忘れるじゃないですか。あの時代を生きてきた人も、やっぱりいいところしか覚えていない。そういうところ、人間あるじゃないですか。だって田中角栄ブームだってそうじゃないですか。角さんの器のデカさ、度量、名言とか……僕も見ていて面白いなと思いますけど、でもよーく考えてください。80年代末まで、「田中角栄政治の支配が続くようなら日本は滅びる!」ってみんな言っていたんですよ。それこそ、『朝まで生テレビ』とか。

(塩澤未佳子)ああーっ!

(プチ鹿島)田中支配からの竹下支配みたいな。ねえ。でも、こういうのがあるのは中選挙区制で自民党とか大きな党の中で、みんなが対立して。それだったら小選挙区しかない! みたいなことを『朝まで生テレビ』で言っていましたからね。で、小選挙区制になったらどうなったか?って言ったら、いまの感じですよ。むしろ、党の名前でうっかりした人が受かっちゃうわけでしょう? 名前だけでね。

(塩澤未佳子)うん。

(プチ鹿島)で、そうなるとみんな、あれだけ田中角栄批判。功と罪が言われていたのが、美しい角さんの話しか思い出せないんですよ。

(塩澤未佳子)いい情景だけ残って。

(プチ鹿島)いま、田中角栄政治が始まったら、俺、それはそれで大問題だと思って(笑)。お金配っちゃったりなんかしてね(笑)。

(塩澤未佳子)アハハハハッ! 不思議ですね、人はね。

(プチ鹿島)そういうところ、あるんですよ。なんか、都合のいいところだけ美化しちゃうっていうか。

(塩澤未佳子)本当だ!

(プチ鹿島)「下町○○」っていうのも俺……パワーワードすぎて。これからはちょっと用心した方がいいのかな?って思いましたね。だいたいそういうプロジェクト、そうですよね。なんか怪しいんだよ。

(塩澤未佳子)フフフ(笑)。

(プチ鹿島)で、なんかそういう頭のいい人が周りを囲んでいるんでしょ?……「囲んでいるんでしょ?」って迂闊なこと言ってますけども(笑)。

(塩澤未佳子)そうね(笑)。

(プチ鹿島)そうそうそう。思いました。「下町」のパワーワード、すごい。で、だいたい言っている人は下町のことを、僕も含めて知らねえんだろうなって。

(塩澤未佳子)ねえ(笑)。

<書き起こしおわり>

プチ鹿島 中日ドラゴンズ イチローと村田修一獲得説を語る

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プチ鹿島さんがYBS『キックス』の中でまだ所属チームが決まらないイチロー選手と村田修一選手についてトーク。その2人を中日ドラゴンズが獲得に動いたという噂をスポーツ新聞の記者に直撃し、掴んだ情報を紹介していました。



(プチ鹿島)ということでイチロー選手。話をちょっと戻すとあの大物でみんなからオファーが殺到すると思われていたダルビッシュもやっと年明けの昨日、一昨日に(契約が)決定したわけですよ。これ、なんでそんなに(メジャーの)FA市場が動いてないのか? と調べたら、なるほどという理由があって。いま、「贅沢税」っていうのがかかるらしいんです。これ、なにか?っていうと、年俸総額が基準を超えたチームに課されるペナルティーなんです。

(塩澤未佳子)ほう。

(プチ鹿島)これが2017年には約228億円というルールがあるんです。1チームが……それはそうでしょう。お金持ちのチームが「あれもほしい、これもほしい」って選手をかき集めたら、それは強くなるに決まっているじゃないですか。そういう不均衡を少しでも無くすため、選手の年俸総額が228億円(1億9500万ドル)を超えたチームはペナルティーで税金をかけようよっていうのが贅沢税なんです。これが最近、また上がったらしいんですよね。その総額を超えたチームはいままでは1年目は17.5%だったんですけど、これから20%、贅沢税がかかるようになる。2年連続で基準を超えると30%。3年連続だと50%。

(塩澤未佳子)えっ、そんなに?

(プチ鹿島)そうなんです。だからわかりやすく言うと、年俸が300億だったとしますよね? そしたら228億円を引いて、残りに30%、50%って……もしくは、もっと行くとさらに12%が上乗せされる。44億円とか超過すると。だからお金持ちにはいい選手を取ったその分だけ、贅沢税をかけようという、そういうことなんです。で、これってルールは面白くて。1年でもその基準を超えないで……つまり贅沢税に引っかからない風に我慢をすると、3年連続、4年連続とか超えているチームも最初に戻るんですよ。だから、その次の年に超えたとしても(1年目の)20%でいいわけ。

(塩澤未佳子)ああ、そうなっているんだ!

(プチ鹿島)だから今年、ちょっと我慢しておけば、今年のオフに(FAで)もっと大物たちが控えているんですって。だからちょっとみんな様子見で、ダルビッシュとかが出ても……だってダルビッシュ、お高いでしょう? 入れるということは、年俸総額が上がるわけですから。だからこれを様子見していたという。

(塩澤未佳子)そういうことだったんですか!

(プチ鹿島)それが大きな要因のひとつと言われていました。だからそれがやっと動き始めたということで。たとえばじゃあ、こういうのって人気物件からどんどん片付いていくじゃないですか。そうすると、やっぱりそこまで行かない物件にもやっと目が回ってくるというので、まだ契約が決まっていない……まあイチローだって大物ですけど、一時期に比べれば、ね。じゃあイチローを取る、取らないっていうのはメジャーの判断になるじゃないですか。だからイチローもそろそろ決まるんじゃないかと。

(塩澤未佳子)そうですか。

イチロー、日本復帰の可能性

(プチ鹿島)ところが、年明けぐらいの日本のスポーツ新聞を読んでいると、イチローがメジャーの市場が動いていないから、契約が全然、自分の方に回ってこないわけですよ。だから日本に復帰するんじゃないか?っていう、そういう記事も出てきていたんです。実際にヤクルトに復帰した青木宣親選手。あの選手なんかも復帰の背景はアメリカのFA市場の歴史的なスローペースで、「じゃあ日本に帰ったほうが早いよ」って。

(塩澤未佳子)ああ、それで?

(プチ鹿島)だってそうでしょう? 宙ぶらりんのまま契約を待って、土壇場でどことも契約をされないよりは、早々に古巣のヤクルトがオファーをかけてくれるんだったら、じゃあ日本に帰るという。それも要因のひとつだと。

(塩澤未佳子)はー!

(プチ鹿島)その例もあるから、イチローももしかしたら日本に帰ってくるんじゃないか? というので、有力と言われているのはオリックス。もともとの所属球団ですね。ところが、もう1球団張り切っているところがあって、中日です。やっぱり地元名古屋のスーパースターですから。イチローは。愛工大名電。

(塩澤未佳子)そうですね!

(プチ鹿島)で、松坂大輔を取ってすごい……だってキャンプの初日で松坂グッズが150万円ぐらい売れたっていうんですよ。普通のキャンプで。もう年俸1500万円はペイできているんじゃないか?って。マスコミも来るし。で、中日が松坂に次いでイチローも取るんじゃないか? 松坂が帰ってくるんだから、動くよ!っていう記事を見たんで、昨日、スポーツニッポンの中日番の記者の方に直接聞いてみたんですよ。

(塩澤未佳子)へー! そしたらなんて言ってました?

(プチ鹿島)結論から言うと、イチローの日本復帰は可能性は低いって言われている。と、中日は判断しているんですって。だけど、「なんでそういう記事が出るんですか?」って言ったら、中日はほら、地元ですから。地元のスーパースターですから、毎年オファーは一応かけているんですって。

(塩澤未佳子)そうだったんだ!

(プチ鹿島)だって、もしこれでイチローが急に「日本に戻ります」って言って、その時に声をかけているのがオリックスだけだったら、オリックスに戻るでしょう? そうすると地元名古屋のファンは、「またイチローを取られたよ!」って。もともと名古屋のスーパースターなのに、そもそも神戸にドラフト4位で持って行かれちゃって。何やってんだ?っていうのがずーっとこの20年、30年あるんですって。だから一応儀礼的かもしれないけど、イチローにはずーっとオファーをかけている。だけどイチローそのものはやっぱりメジャーでやりたいから、帰ってくることはないだろうな。だけど地元ファンの手前……もちろん、帰ってきたらうれしいという球団の手前、オファーはかけている。

(塩澤未佳子)ほー!

(プチ鹿島)だけどイチローの気持ちを考えると、おそらく日本の復帰はないんじゃないか?っていう、そんな感じなんですって。地元は。でも、僕はそこはさらに食い下がって、「でも万が一、アメリカがダメになって急転直下で日本に復帰となったら、じゃあオリックスが大本命なんですね?」って言ったら、ちょっと雰囲気が変わって。「違います。オリックス大本命とまでは言い切れません」と。というのは、やっぱりイチローはオリックスに恩義を感じていて。いまも練習場とかを借りてトレーニング、やっているでしょう? オーナーとかともよくお食事をしているから、恩義を感じていることは確か。だけど、自分がいた頃のチームとガラッと変わっているし。そもそも本拠地が変わっているじゃないですか。神戸のオリックス・ブルーウェーブだったのが、いまは大阪のオリックス・バファローズ。

(塩澤未佳子)はいはい。

(プチ鹿島)でしょう? だからそこまで思い入れはないんじゃないか? だから万が一日本になると、中日も手を上げればわからないですよって。あとさらに、これは『デイ・キャッチ!』では時間がなくてお伝えできなかったんですが、僕は野次馬ですから。「巨人を自由契約になった村田修一選手はどうなりますか?」って。いま、どこからもオファーがなくて、独立リーグでまた待っていますという。「これ、中日が取ることはないんですか?」って。チラッと噂を聞いたことがあるんですよ。

(塩澤未佳子)そうなんだ。

中日、村田修一獲得の噂

(プチ鹿島)だって中日の森監督ってみんな若手監督の中で人情味を売りにした昭和っぽい監督じゃないですか。だから松坂でこれだけ大騒ぎになっているんだから、同じ松坂世代の村田修一選手を土壇場で取るなんてことはないんですか?って言ったら、そしたら、「そういう噂は一時期、聞いたことがある」って。

(塩澤未佳子)なに!

(プチ鹿島)ただ、だけど、「やっぱりチームのバランス。若手を育てて行きたいバランスを考えると、いま現状はそういう話は立ち消えて、可能性としては少ないんじゃないかと思っている」と。ただ、その記者さんが「私の憶測ですけど……」っていう話を聞かせてくれて。憶測という話で聞いていただきたいんですけども。これ、シーズンが開幕して三塁手とか怪我した場合。当然、補強をしなくちゃいけない場合。だからこれ、中日だけじゃないですけども、内野手が怪我した場合、村田修一選手に白羽の矢、緊急補強という可能性はある。だから村田さんはいま、なにを言っているか?っていうと、(NPB・日本プロ野球に復帰できる期限の)7月ぐらいまでは独立リーグで体をなまらせないようにプレーをしてオファーを待つっていう。そういうことなんですって

(塩澤未佳子)そうなんだー!

(プチ鹿島)だから2月、3月中には決まらない可能性があるけど、もし開幕して誰か怪我人が、主力選手の内野手に出て……ってなったら、緊急補強はあるかもしれない。それはもちろん中日の可能性もあるし、他の球団の可能性もある。

(塩澤未佳子)ああ、そういうことですか。

(プチ鹿島)でもやっぱり噂はあったらしいんですね。このプチアンテナに引っかかってくる。「中日が村田を取るんじゃないか?」みたいな噂はちょっと僕、聞いていたんです。そしたら、やっぱり中日番の方も「そういう噂は一時期聞いたことがある」って。もう、取っちゃえばいいのにね。

(塩澤未佳子)フフフ(笑)。

(プチ鹿島)でも落合さんがこの間、講演会で「私が監督だったら村田を取っています」って。だからそれはまた、落合さんは政治家だから。その「村田を取らない」っていうセンスのなさの当てこすりなのかもしれないですけどね。各球団とか中日に対するね。「僕だったら取っていますよ」っていう。むしろ、それを落合が講演会で言ったら、もう取りづらいっていう逆のあれもあるじゃないですか。それもさっきの北朝鮮と韓国の情報戦みたいな感じでね。こっちを先にやっちゃえば、もうその手は打てなくなるとか。まあ、そこまで読んでいるのは僕だけですけども。

(塩澤未佳子)アハハハハッ!

(プチ鹿島)でも落合さんは「僕が監督だったら村田を取っていますよ」って講演会で言ったっていう。

(塩澤未佳子)はー! 面白いですねー。

(プチ鹿島)だって村田選手、去年巨人でそんなに出番はなかったけど、打っているんですよ。これでオファーがかからないっていうのは、高すぎるのか、大御所すぎるのか、なんかこう、ねえ。

(塩澤未佳子)理由がね。

(プチ鹿島)なんかあるのかな?ってね。大物すぎて……ほら、会社でもそうじゃないですか。そこにパッとやると、新人が……とかね。あるのかな? でもそれは怪我したり、誰かがインフルエンザで休んだとかなったらそんなことは言ってられないから。これから可能性はある。村田選手、がんばってほしいですよね。あの方も松坂世代ですから。

(塩澤未佳子)はい!

(プチ鹿島)ということで、根掘り葉掘りスポーツ新聞の記者に聞いてみました。

<書き起こしおわり>

プチ鹿島 『スリー・ビルボード』と『デトロイト』を語る

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プチ鹿島さんがYBS『キックス』の中で映画『スリー・ビルボード』と『デトロイト』について話していました。

(プチ鹿島)今日は、こちら。『スリー・ビルボード』と『デトロイト』という映画の話をしてみようと思うんです。この間、『スリー・ビルボード』っていう映画を見たんですよね。マーティン・マクドナーさんっていう方が監督なんですけど。わかりやすく言うと「スリー・ビルボード」、「3枚の看板」っていう意味です。これはホームページに物語の説明があるので、ちょっと読んでみましょうか。「アメリカの片田舎の大通りに並ぶ3枚の看板にある日突然現れた真っ赤な広告。それは地元で尊敬されている警察署長への抗議のメッセージだった」と。ねえ。

(塩澤未佳子)はい。


(プチ鹿島)これ、アメリカのミズーリ州っていう、まあまあ牧歌的な、アメリカの田舎っていうところですよね。そんなに人は通らないんですよ。アメリカの道路ってデカいじゃないですか。でも、そこにバンバンバーン!ってデカい看板が3枚ならんだ。そこには1枚目「レイプされて死亡」。2枚目「犯人逮捕はまだ?」。3枚目「なぜ? ウィロビー署長」と書いてある。だからこれ、車で通った人はこの3枚のメッセージで、「えっ、レイプされて死んだのに、犯人が逮捕されていない。……署長、まだ? つまり、地元警察の署長さんは何をやっているんですか?って、そういうメッセージ。そういう事件があったんだな」っていう、それを思い起こさせるという、まあ意見広告みたいなもんですよね。その3枚の看板は。

(塩澤未佳子)ああ、はい。

(プチ鹿島)それを出したのは7ヶ月前に何者かに娘を殺されたミルドレッドさんという女性の方なんです。で、やっぱりミルドレッドさんは何の進展もない警察の操作状況に腹を立てて、その看板を安くないお金を出しておっ立てたんですよ。そしたら、街の人は一斉に「あの看板、見たか?」って話になるじゃないですか。もしくは、街の外から来た人も「この街でいったいなにが起こっているのか?」って。まあ、問題提起になるわけですよね。そうすると、当然警察もそんな看板を立てられた手前、動かなくちゃいけないっていう、そういうある種の「警察、もう1回ちゃんとやれよ」っていう、そういうメッセージなんですよ。

(塩澤未佳子)はい。

(プチ鹿島)これは上手いこと考えたなと思うし、観客は「ああ、こういう手があるんだ。どんどんやれ!」って思うわけじゃないですか。これで少しでも、娘を殺した犯人がわかればいいじゃないですか。だけど見ていくと、その地元の警察署長。なんか適当な操作をして杜撰で、なんだろうな……みたいな空気もまとわりついているわけです。一方で、暴力的な警官もいるわけです。結局、これはね、白人が黒人を差別しているみたいなのの延長で、相変わらずそういう差別的で、差別と暴力がセットになっているような警官もいて。もうどう考えても観客はミルドレッド支持なんですよ。

(塩澤未佳子)はい。

(プチ鹿島)地元の警官でこんな杜撰な……ある種田舎の象徴なんです。その閉鎖された社会、閉鎖された警察っていうので。「どんどんやれ!」って思うんですが、どうやらその街ではその警察署長っていうのは、一方で人情派で街の人たちに慕われていたり。街の人々は「あの看板、気持ちはわかるけどやりすぎだよね。警察だって手を抜いているわけじゃないし……」みたいな、そういう空気もあって。「あれっ?」ってなるわけですね。で、まあこれは映画を見ていただければわかるんですが、途中である事件というか出来事が起きて、急に物語は展開していくんですけども。まあ、ミルドレッドが看板を出して警察を追い詰めて捜査を進展させるはずだったのが、逆に孤立していくんです。

(塩澤未佳子)はー!

(プチ鹿島)でも、そうであればあるほど、看板を出したミルドレッドさんは態度を頑なに、硬化させていくんです。これを見てね、なにかに似ているなって思ったんです。貴乃花親方と相撲協会の感じそのままなんですよ。もちろん、全部がピタリ一致じゃないですよ。たとえば、3枚の看板を貴乃花も出したじゃないですか。「日馬富士に殴られた」「相撲協会の対応、まだ?」「どうする? なぜ、八角理事長」っていう。ある意味それを看板じゃなくてスポーツ新聞とかの一面でバーン!って。あれは看板、広告だと思えばいいんですよ。それによって世の中に訴えたわけですよ。

(塩澤未佳子)たしかに。

貴乃花親方と相撲協会の感じに似ている『スリー・ビルボード』

(プチ鹿島)だってそうでしょう。自分の弟子が殴られて、あれだけひどい暴行を受けたのに、これをまた内々で済まそうとしている。それは許せん!ってことで警察に訴えた。イコール、それは世の中に訴えたわけですよ。「こんな隠蔽体質でいいんですか? こんな杜撰な体質でいいのか?」って。だから世の中はみんな貴乃花に喝采を送ったでしょう? だから本当に似ているなと。

(塩澤未佳子)ああーっ!

(プチ鹿島)でも、この報道も面白くて。一方で貴乃花もどうなんだ?って。最近では貴乃花も暴力を振るっているという話も出て、なにが正義かわからなくなってきているわけ。ねえ。だから絶対に直さなくちゃいけない、許されないことは隠蔽体質であり、暴力事件。貴乃花の暴力というのも、もし本当であれば、その貴乃花の暴力も相撲協会の隠蔽体質に入るわけですよ。

(塩澤未佳子)ああ、そうですね。

(プチ鹿島)これはいま、相撲の話をしちゃっていますけど。そう言っていくと、映画の方は物語が変わっていくんですよ。もう完全に悪役だと思っていた人が、あることをきっかけに少しずつ変わろうとしていく話なんですよ。だから僕、その映画を見てどう思ったか? というと、看板で「ああ、そりゃあこいつが悪いよ」ってワーッ!ってなるんだけど、よく見ていくと当たり前だけど人間にはいろんな面があるし。あることがきっかけで少しずつ変わろうという気概を見せるのであれば、僕はもう相撲協会も貴乃花もどっちが正義でどっちが悪かって、どうしても決めたがっちゃうじゃないですか。前にも言ったように、どっちも高い理想はあるし、どっちも面倒くさい弱点もあるし、突っ込まれどころもあるし。それはグチャグチャになっているのがある意味人間だと思うので。

(塩澤未佳子)はい。

(プチ鹿島)だから僕はこれ、どっちもどっちっていう話じゃなくて、みんな少しずつでも変わっていくしかないんだなって僕は思ったわけですよ。そういう意味でこの映画はすごく人間の多面的なものを見させてくれて。で、似ているでしょう? アメリカのだだっ広い田舎。普段なにもない、牧歌的な田舎。でもそこは閉ざされて、ちょっと独特の暴力的な習慣もあったりして。お相撲もそうじゃないですか。牧歌的な……普段はのんびりしていますよ。だけどそういう部分もあったりして、それがやっぱり看板を立てられて目にした方からすると、「それはおかしいんじゃない?」っていう。で、実際にそれは正しいんですよ。その突っ込みは。

(塩澤未佳子)はい。

(プチ鹿島)だけど見ていくと、じゃあみんなで変わっていくしかないじゃないか、変わっていこうっていう気持ち。だから、貴乃花の変わっていこうっていう気持ちも美しいと思うし、じゃあ相撲協会もなおさら変わっていかなくちゃいけないんじゃない?っていうのも思ったわけです。

(塩澤未佳子)はー! あら、まさかのね、両方がつながってきた。

(プチ鹿島)あくまでも、僕がこの映画を見てそういう風に考えた。だから善と悪で割り切って、どっちが正義でどっちが悪いって言うのは簡単だけど、もっと多面的な方を見て、考えれば考えるほど、これはみんなが少しずつ変わっていくしかないんじゃないか?って。で、そこでもう、絶対にアウトだって言われているのは暴力じゃないですか。だから暴力はダメ。

(塩澤未佳子)そこははっきりとしている。

(プチ鹿島)そこは今回、わかったことでしょう? だからさっき言ったように、じゃあ他で許される、許容されるローカルルールってあったら、そこはやっぱりこっち側の通りすがりの通行人は許容してもいいのかなとも思うし。いろんなことを考えさせられた映画です。

(塩澤未佳子)へー!

(プチ鹿島)あともうひとつ。『デトロイト』っていう映画を見たんですよ。これもね、実は50年前の話なんです。これ、女性初のアメリカのアカデミー賞監督賞を受賞したキャスリン・ビグローさんという方が監督なんですけども。まあ「人種差別の闇、正面から描く」っていう、朝日新聞にインタビューが載っているんですけどね。50年前の、暴動。ミシガン州デトロイトで死者43人。負傷者が1000人を超えた1967年の暴動事件を描いたというんですよ。で、やっぱり人種差別が本当に激しく、厳しくて。もう白人警官たちが黒人青年らに本当に尋問とか暴行とか。拷問ですね。

(塩澤未佳子)うん。

『デトロイト』

Boyega. Mackie. Poulter. Smith. #DETROITmovie is in theaters August 4.

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(プチ鹿島)(黒人たちは)受けているんですよ。で、本当にささいなことから始まるんだけど、結局こういうデカい話になるっていうのは……でも、アメリカはちゃんと恥ずかしい部分をこうやって映画にしたわけですよ。で、なぜいま映画にするか?って言ったら、やっぱりいまもトランプが出てきて、白人警官が黒人を……っていうニュース、あるじゃないですか。それを見て、「昔もいまも変わってないじゃないか」っていう問題提起だと思うんですけど。

(塩澤未佳子)おおーっ。

(プチ鹿島)でも、これをちゃんと、恥ずかしい部分を映画にしているっていうのはやっぱりすごいなとは思うんですよね。だからなんか、日本も恋愛で美しい話もそれはすごく素敵だとは思うんですけども。もうすぐ死んじゃうとかね。だけど、もうちょっとこういう恥ずかしい問題とかにも向き合って、題材にしてもいいのかなとも思いました。これができるだけ、まだアメリカはすごいなと思いましたね。

(塩澤未佳子)そういうところ、いまちょっとないかもね。

(プチ鹿島)うん。と、思いましたね。だからこの朝日新聞の記事にも書いてありますよ。「政治的主題踏み込まぬ邦画」って。別に邦画を作っている人が全部悪いとは言わないし、素敵な映画をたくさん作っているけども、中にはそういう邦画をね、これから作っていってもいいんじゃないかなと。

(塩澤未佳子)ほー!

(プチ鹿島)そう思いました。プチ総論でございました。

<書き起こしおわり>

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星野源 おすすめ山下達郎楽曲を語る

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星野源さんがニッポン放送『星野源のオールナイトニッポン』の中で山下達郎さん縛りで選曲。おすすめ楽曲6曲を紹介していました。


(星野源)今日は内容がひどいであろうということで、選曲だけは爽やかに。全然関係ない感じでお送りしたいなと思って。実は僕、ずーっとね、もう山下達郎さんばっかり聞いているんですよ。山下達郎さんってね、本当にいろんな作品を残されていて。活動も長くて。で、鼎談をさせていただいたりとか、ラジオでも対談させていただいたりとかして。

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そんな中で、もちろん曲はたくさん聞いたことがあったんですけど。「あのアルバム1枚」とかではもちろん聞いたことがあるし、あとはベスト盤とか。「あの曲、あのシングル」とか。そんな感じでは聞いたことがあるんですけど、1枚目から順々に聞くということは僕、したことがなかったなと。あまりにも多作ですし。で、それをやってみようと思って、いま1枚ずつ買って、1枚ずつ1曲目から全部聞くというのがブームになっておりまして。すごく楽しくてですね。

今日は山下達郎さん縛りで、今日の企画とは全く切り離して、曲の間だけは救われるというか、爽やかな気持ちになりましょうよ。ねえ。そんな感じで達郎さん縛りで今日の選曲はお送りしたいと思います。1曲目は山下達郎『土曜日の恋人』。

山下達郎『土曜日の恋人』



お送りしたのは山下達郎さんで『土曜日の恋人』でした。

(中略)

(星野源)さあ、それでは今日の選曲は山下達郎さん縛りということで。次はこの曲をお送りしましょう。『ドラえもん』の説明というか曲の解説をちょっとだけさせてもらった時に、「ニューオリンズと『笑点』のハイブリッド」みたいな話をしましたけども。そのニューオリンズのリズムで「セカンド・ライン」というリズムがあるんですけど。僕の『ドラえもん』のイントロはそのセカンド・ラインの変形みたいな感じになっていて。

高橋芳朗 アラン・トゥーサン追悼 セカンド・ライン楽曲特集
音楽ジャーナリストの高橋芳朗さんがTBSラジオ『ザ・トップ5』の中で、アラン・トゥーサンさんを追悼し、ニューオーリンズの音楽、セカンド・ラインの楽曲を特集していました。 ...

日本でね、そのセカンド・ラインのリズムが使われている曲っていうのがいくつかあって。これも代表的な曲です。山下達郎『ドーナツ・ソング』。

山下達郎『ドーナツ・ソング』



これ、たまにミスタードーナツに行くとずっと流れていてね、すごい大好きな曲です。山下達郎さんで『ドーナツ・ソング』でした。

(中略)

(星野源)今日は……まあちょっとね、この後のコーナーとかも含めて相当ひどい感じになりそうだったので、選曲だけは爽やかでかっこいい、素敵な選曲にしたいということで。もう山下達郎さん縛りで行かせていただきたいと思います。これも僕のイントロクソやべえですよ。もう完全に。本当に最高。イントロ流れた瞬間に「ああ、もう絶対にいい!」って。はじめて聞いた人でも、「ああ、絶対にいい曲だわ、これ!」ってなるという、ものすごいいいイントロでございます。そして間奏がね……このイントロがまたその間奏で出てくるんですけども、後半の間奏で出てきた時に転調をするんですよね。すごいですね。ちょっと、一緒に聞こう。山下達郎さんで『さよなら夏の日』。

山下達郎『さよなら夏の日』



(中略)

(星野源)さあ、ここで1曲お送りしたいと思います。今日は山下達郎さん縛りということで。この曲ね、アルバム曲でね、すごい素敵なんですよ。山下達郎さんで『あしおと』。

山下達郎『あしおと』



お送りしたのは山下達郎さんで『あしおと』でした。

(中略)

(星野源)ちょっと1曲、お送りしてもいいですか? それでは、このコーナーの趣旨とは全く関係がない爽やかな……これも大好きな曲です。山下達郎さんで『ヘロン』。

山下達郎『ヘロン』



お送りしたのは山下達郎さんで『ヘロン』でした。

(中略)

(星野源)さあ、今日は選曲、山下達郎さん縛りでお送りしております。最後はこちらの曲。本当に最高ですね。何度聞いても涙が出てしまいます。一緒に聞きましょう。山下達郎さんで『蒼氓』。

山下達郎『蒼氓』



お送りしたのは山下達郎さんで『蒼氓』でした。

<書き起こしおわり>

渡辺志保と荻上チキ Elle Teresaを語る

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渡辺志保さんがTBSラジオ『荻上チキ Session-22』に出演。2018年注目の女性ラッパーを荻上チキさんと南部広美さんに紹介する中で、日本の女性ラッパーElle Teresaについて話していました。

(南部広美)今月は渡辺さんに2018年注目の女性ヒップホップアーティストを紹介していただいています。

(荻上チキ)というわけで、今夜の選曲は?

(渡辺志保)今夜ははですね、ちょっと日本にも面白いイキのいい若い子がいるぞ! ということで、Elle Teresaという静岡県出身のハタチのアーティストの楽曲を紹介したいと思います。静岡県沼津市出身の20才の女の子なんですけども、ご両親がヒップホップのダンスの先生をやっていたという背景もありまして。本当に文字通り幼い頃からヒップホップに親しんでいた女の子なんですね。で、結構も若いうちからクラブにいたりとか。もう聞いてる楽曲も当時の最新のヒップホップ……アメリカのヒップホップの楽曲をどんどん吸収していったというようなバッグブランドの彼女なんですけども。

10.16????

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(荻上チキ)ええ、ええ。

(渡辺志保)17、18ぐらいで東京に上京してきたんですが、本当にすごいスピードでラップのスキルとか、あとアメリカや日本のトレンドを吸収して。恐ろしいほどのスピードでスキルアップを重ねている新進気鋭の女性ラッパーですね。

(荻上チキ)では早速曲紹介お願いします。

(渡辺志保)はい。聞いてください。Elle Teresaで『I Don’t Know』。

Elle Teresa『I Don’t Know』



(南部広美)Elle Teresaで『I Don’t Know』。

(渡辺志保)はい。聞いていただきました。

(荻上チキ)うん。最近の若手の女性アーティスト……特にヒップホップはハイスキルであると同時に、今までと違う世界観を作っていて。すごい才能が増えてますよね。

(渡辺志保)そうですね。結構、若いがゆえにと言うか、たとえば彼女たちがJ-POPにしろ音楽を聞き始めた時に、日本にも自然にもうヒップホップのシーンがあったからこそ、いろんな表現方法になって。それがいま、すごく花開いているなと感じることが多いですね。彼女も結構すごいしっかりした信念を持ってラップをしてるというか、まあとかくヒップホップシーンで男性が多い、男性優位的なところが……。

(荻上チキ)まあ、マッチョですよ。

(渡辺志保)そうなんですマッチョの側面がひとつあるので。でも、女の子でもこういうことしていいじゃないか! とか、女の子でも、こういう表現方法を選んでいいじゃないか!っていう。英語で「Unapologetic」っていう単語があって。「悪びれない」っていう……「私、謝らないよ!」みたいな態度のことを「Unapologetic」って言うんですけど。彼女はすごくその要素があるなという風に、私も普段から聞いています。自分が選んだ表現方法で、自分が選んだそういうリリック、歌詞を書いているっていうのが本当に、昨今の日本のシーンかなと思います。

(荻上チキ)そうですね。こういった日本の女性ラッパーが続々と出てきていることによって、いまヒップホップ界、どういう風な変化を感じますか?

(渡辺志保)そうですね。最近だと女の子しか出ないMCバトルとかもあるんですよ。

(荻上チキ)へー!

(渡辺志保)で、こういったElle Teresaが3月にデビューアルバムをリリースするんですけども。そういった活躍がどんどん広がっていくっていうのはすごく感じていますし。私もたまにご意見をいただくんですけども、「女の子だけどヒップホップ聞いてていいんですか?」みたいな。なんかその、「ちょっとライブに行くのとかも怖い。どうせ男の子が多いだろうから、怖いんです」っていう風に相談を受けることがたまにあるんですけど。なんで、そういった現状を打破と言いますか、別に男女関係なく、ジェンダー関係なく楽しめるのがヒップホップなんだよっていうのを、こういうアーティストの子が増えると同時にですね、リスナーの皆さんにも、その自由さとか楽しさっていうのが広まっていけばいいなと思っていますね。

<書き起こしおわり>

DJ YANATAKE BlocBoy JB&Drake『Look Alive』を語る

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DJ YANATAKEさんがblock.fm『INSIDE OUT』の中でBlocBoy JB & Drake『Look Alive』を紹介していました。

Look Alive????Ft @champagnepapi

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(DJ YANATAKE)というわけで、今日の1曲目に行ってみたいと思います。ブロックボーイ・JB……うなずいてますね。DJ CHARIが。さすがですね。ブロックボーイ・JBの名前ってでもこの2日ぐらいだよね、急にチャートとかめっちゃ上にいて、「えっ、誰こいつ?」みたいにいま、なっている人が多いと思います。これでもね、アメリカ人もみんなそうみたい。「ブロックボーイ・JBって誰やねん?」っていうことになっていて。

で、チャートを上がっている理由をを簡単に言うと、ドレイクがフィーチャリングしてるからということなんですけども。これもまたね、すごく面白くて。メンフィス出身のね、21才のラッパーで、この何日間かで急に人生が変わったりしているようなんですが。15才ぐらいの頃にから、すでもSoundCloudのページとかにちょいちょい音楽をアップロードしたりして。2016年の夏には、『Who Am I』っていう最初のミックステープを出したりとか、結構ずっとやってきてたっぽいんですけども。

なんか知らないんですけど、ドレイクのお父さん……ミュージシャンでね、デニス・グラハムって人がいるんですけど、その人となんかね、どっかのクラブで一緒にハングアウトしたそうで。それをドレイクが知って、それで今年の1月に出会ったという。それで一緒に曲をやることになったのかな? ドレイクが。でも、この子がホットだと感じたんだろうね。この番組では再三言ってるけど、ドレイクのアゲチン力って言うか、とにかくそのドレイクがちゃんとその1年に何人か若手をフックアップする……ミーゴスとかだってそうじゃん。『Versace』とかでドレイクがフィーチャリングしていたりするから盛り上がったりとかさ。



ILOVEMAKONNENの『Tuesday』とか。



あの辺とかも全部そうですよね。ドレイクのフックアップによって注目されることになったりとかして。で、またそのドレイクがね、イキのいい若者をフックアップしましたよっていうお話なんですけども。これ、ずっと言ってますけども、やっぱね日本ももっともっとそういうことが起きるといいなって。もちろん、起きているんですよ。JP The Wavyがバッて行った時に、やっぱりSALUくんがのスピードで行ったのはすごく良かったし。



あれはSALUくんにもJPくんにも、すごいプラスになった出来事だったしね。まあAwichもね、たとえばマイティー・クラウンが自分たちのファミリーであるファイヤー・ボールの新曲と同じオケでね、Awichに歌わせたりとか。そういうフックアップがあったりとかするのが日本でもだいぶ見られるようになって本当にうれしいんですけども。どうしても何か、日本のラッパーの人とかバーン!って行ったりする人とかがなかなか、本当にこれからのフレッシュな人みたいなのを捕まえて、それをヒットさせるみたいな構図になっていないのが現状としても正直あるので。もっとそういうのが増えてほしいなと思うのと……でも今日のゲストはまたね、ちょっとそういうBCDMGが手を伸ばした若い、「おおっ、誰?」みたいな子が今日、突然出てくれることになったりしたので、その辺も重ね合わせまして今日の1曲目。ブロックボーイ・JBの曲から行ってみたいと思います。注目のメンフィスのニューカマーでございます。ブロックボーイ・JB feat. ドレイクで『Look Alive』。

BlocBoy JB & Drake『Look Alive』



はい。聞いていただいておりますのは彗星のごとく、この2、3日で現れたブロックボーイ・JB feat. ドレイクで『Look Alive』でした。これ、もうサビもドレイクだし。全然ドレイクの曲じゃんって思うぐらいですけども。いま世界中でバズが起きてまして。この曲、もうSpotifyのベストテンにも入っているみたいですね。あと、アメリカのiTunesもベストテンに入っていましたね。

#2 Song Of All Genres????

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なんで、いきなり、一夜にして人生が変わる瞬間というのはなかなかいいんじゃないでしょうか。

<書き起こしおわり>


DJ YANATAKE SOB x RBE『Paramedic!』を語る

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DJ YANATAKEさんがblock.fm『INSIDE OUT』の中で映画『ブラックパンサー』のサウンドトラックの中からSOB x RBE『Paramedic!』を紹介していました。


(DJ YANATAKE)で、次に曲に行きたいと思いますが、最新リリースでね、「これは気になるぜ!」と。っていうか、みんな気になっているぜと思っているアルバムがやっと出ましたね。映画『ブラックパンサー』ですね。アメコミのマーベル、ディズニーとかではじめての黒人が主人公のアメコミ漫画があって、それの映画化ということで。もう非常にアメリカでは盛り上がっていて、この興行成績もすごいことになってるみたいですけども。日本公開が3月1日。結構もうすぐですね。そのサントラが話題になっていまして。ケンドリック・ラマーとTDE(Top Dawg Entertainment)の社長が共同で全部、アルバム丸ごとプロデュースしてるということで。

ケンドリック・ラマーもクレジットを見る限り、全曲にクレジットされているんで。本当にその曲作りの深くまで入って。自分が、たとえばラップしてないにしろ、参加してるようなアルバムになっています。で、この『ブラックパンサー』についてはちょっと厚くやりたいので、志保がいる回とかでやりたいなと思ってるんですが……とにかく、いま裏でかかってますケンドリックラマー&SZAの『All The Stars』のビデオが、もう本当にデイヴ・メイヤーズっていう人が監督なんですけども。



ケンドリックの『HUMBLE.』を撮ったり、最近だとジャスティン・ティンバーレイクとかも撮っていて。とにかくいまはもう、完全No.1ビデオディレクターの人がいるんですけども。その人がまた、すごいビデオ撮りましたね。『All The Stars』ね。そのビデオでSZAの髪型のところに上手く星が、アフリカの形にグーッてなって終わったりとかするんですけども。今回のアルバム、『ブラックパンサー』自体がアフリカが舞台なのか……ちょっと映画がまだこれからなのでわからないですけど、アフリカのどこかにある架空の国みたいな、そんな設定なのかな? ちょっと、入り口はどこかわからないワカンダっていうところが舞台になるみたいなんですけども。

そういうのもあって、『All The Stars』のビデオも含めてみると、結構アフリカをフィーチャーしているような、そういう動きがありまして。サントラ全体を見ても、結構アフリカのラッパーとかシンガーとか、そういう人も結構フィーチャーされているのが今回の『ブラックパンサー』のアルバムの面白いなというところですね。実際にアフロビートとかそういうジャンルが流行ってきているのも取り入れていたりとか。フレンチ・モンタナのね、『Unforgettable』のああいうビデオとかもありますけども。



ああいうものがもっともっとトレンドに差し込まれてきているような感じもするし。その映画の世界観と、今回ケンドリックがかなり上手く落とし込んだんじゃないかなと思います。で、アフリカのエッセンスももちろんそうなんですが、もう1個はやっぱりロサンゼルス、サンフランシスコ、カリフォルニア周辺のラッパーの若いところのフックアップもこれまたケンドリック、ちゃんとやっていますよと。そのへんもね、さすがなんですよね。で、俺も結構これはずーっと注目していて、本当にパーカーをアメリカに注文する寸前だったんですけど、SOB x RBEっていうやつらがいて。これまた見た目が悪そうな3人組がいます。

@revolttv Interview Vibes | ??: @nytookmyflicks

SOB X RBEさん(@yhungto)がシェアした投稿 –


で、そいつらがこんこサントラに入っていて、「おおっ!」って思って。このへんもさすがケンドリック……まあ、ケンドリック自身がチェックしたかどうかわからないですけども、さっきのフックアップの話になりますけども。こういうビッグ・プロジェクトにちゃんとイキのいい若手のところに目が届いてるアメリカのこの感じ……でもちゃんと、そういう人を作ってあげれば自分たちのプラスにもなるし。また大きいビジネスにもなっていくというわけで。最近、6IX9INEとかそのへんのニューヨーク勢も熱いですが、またカリフォルニア、ロス、あの辺の若手なんかも注目した方がいいんじゃないかと思いますのでこの『ブラックパンサー』の僕がずーっと気になっていたSOB x RBEの『Paramedic!』。「救急隊員」っていう意味かな? その曲を行ってみたいと思います。

SOB x RBE『Paramedic!』



<書き起こしおわり>

アルコ&ピース ドレイクに教えたい本当の贅沢を語る

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アルコ&ピースのお二人がTBSラジオ『アルコ&ピース D.C.GARAGE』の中でラッパーのドレイクがフロリダ州のスーパーマーケットの客全員のお会計を支払ったニュースについてトーク。お金の使い方を知らないドレイクに教えたい、本当の贅沢について話していました。

(酒井健太)さあ、そしてこんなニュースがございます。ラッパーのドレイク、スーパーの客全員の買い物総額540万円を代わりに支払う。フロリダ州マイアミのサボー・トロピカル・スーパーマーケットに立ち寄ったドレイクがメガホンで客に「買う商品をすべて支払う」とアナウンス。ドレイクは総額5万ドル(約540万円)を支払った。

I met drake today at the supermarket , thanks drake for the groceries #drake

Rocioさん(@chiofdc)がシェアした投稿 –


(平子祐希)その場にいたお客さんの? すごくね、これ? 「俺、払うよーっ! 好きなの買って!」って?

(酒井健太)メガホンで。いや、かっこよ!

(平子祐希)レジに並んだ後? 並んで精算を済ませた人に「レシート持ってきて!」って言ったのかね?

(酒井健太)ああー。だいぶ違うからな、それ。

(平子祐希)いや、でも前か。それだと上がんないもんね。540万も行かないもんね。

(酒井健太)レジに並ぶ前だったら……とんでもねえよ!

(平子祐希)こっからでしょう。「こっから買うもん、俺出すよ!」でしょう?

(酒井健太)うわっ! めちゃめちゃ買うよ、俺。

(平子祐希)買うね! イクラのパックとか……ウニ、イクラ……。

(酒井健太)ウニ、イクラ。

(平子祐希)お肉。

(酒井健太)うーわっ! 神戸牛とか買おう、俺。サーロインのでっけーやつ! まんま。ごと。ブロックのあの、ごと買いたい。

(平子祐希)「ドレイク、これ、2つでも3つでも?」「もちろん!」。

(酒井健太)フハハハハハッ! いや、どういう店かによるけど。iTunesカードとかあったら……。

(平子祐希)うーわっ! 終わった……ドレイクも「終わった……」って言うんじゃね? ねえ店、選んでるんじゃね?

(酒井健太)「さすがにゴメン……」って。

(平子祐希)さすがによ。たまにあるじゃん? 家電製品を売っている店とか。

(酒井健太)ああ、あるある。アメリカとかありそうだもんね。うーわ、あったらヤバッ!

(平子祐希)聞いたことねえもんな。サボー・トロピカル・スーパーマーケット(Sabor Tropical store)って。

(酒井健太)聞いたことねえよ。

(平子祐希)そんなにメジャーじゃねえんじゃね? だからコンビニで言うと新鮮組みたいな……。

(酒井健太)フハハハハッ!

(平子祐希)いなげやとか……いなげやだったらもっと売っているか? いなげやよりもちょっと小規模なのかね?

(酒井健太)そうか。

(平子祐希)ライフとかよりも……ライフとかでこれやったら終わるよ。

ライフでやったら全てが終わる

(酒井健太)ライフとかでやればいいんだよ。こいつ。今度来ねえかな? こいつ、ライフに。

(平子祐希)フハハハハッ!

(酒井健太)めちゃくちゃ買ってやんのに。そんなもん! 540なんかじゃ足んねえぞ! マジで。

(平子祐希)いやいや、そうだね。

(酒井健太)米とかすんげー買うよ、俺。

(平子祐希)ああ、そうだ。米があるから。

(酒井健太)米は絶対よ。パスタと米と。

(平子祐希)だから結構、あっちのスーパーマーケットは食料品だけ売っているスーパーマーケットだから、パンとかがメインでしょう? 米あってもそんなに大きくないかもしれない。

(酒井健太)ヤニなんか俺、めちゃめちゃ買うからね! あるだけ俺、全部ごっそり。「ドレイク、これ持っていくよ! いいのね?」って言うよ、俺。ごっそり行くよ。カートンで!

(平子祐希)「カートンマン!」(笑)。

(酒井健太)「Oh!」(笑)。すげーな。

(平子祐希)いや、これはでも……貴族の遊びだからね。「ヘイヘイ、持ってけ、持ってけ!」ってメガホンで言うんでしょう?

(酒井健太)めちゃくちゃ気分がいいだろうね。ドレイク、お金きっとあるだろうしさ。「構わねえよ」って感じでしょう? たぶんね。……そう考えると、下品だな。

(平子祐希)下品だね。

(酒井健太)変態。

(平子祐希)ド変態。

(酒井健太)知らないんだろうね、こいつ。金の使い方とか。

(平子祐希)本当の贅沢を知らないんだろうね。

(酒井健太)下品。こんな使い方はね、下品。

ドレイクに教えたい本当の贅沢

(平子祐希)1回、だから教えてやりたいね。本当の金の使い方。「本当の贅沢、教えてやるよ」って。

(酒井健太)ヤバッ! そうだよな。

(平子祐希)スタートは高円寺か。

(酒井健太)高円寺からスタート。うん。

(平子祐希)ランチで、まず桃太郎すしだな。

(酒井健太)うーわっ! あのガード下のところ?

(平子祐希)ガード下の。

(酒井健太)いくらでも食っていい?

(平子祐希)まあまあ、握りセット。プラスアルファ、好きなのをもう……「好きなの、たのめば?」。

(酒井健太)うーわっ!

(平子祐希)「嘘だろ、ユーキ。そんな夢がこの高円寺で叶うのかい!?」って。

(酒井健太)ドレイクが。

(平子祐希)その後は、タクシーに乗って……ディズニーランドだな。

(酒井健太)うーわっ! すごいよ、それ。結構かかるよ。高円寺から……1万円以上かかるよ。

(平子祐希)高円寺・舞浜。しかも、下で。

(酒井健太)うーわっ!

(平子祐希)フハハハハッ! グルーッて回らなきゃいけないの(笑)。

(酒井健太)楽しんでもらって。ドレイクに東京のディズニーランドを。夜まで遊んで。

(平子祐希)行って。餃子ドッグ食い放題。

(酒井健太)うーわっ!

(平子祐希)ポップコーンもお人形のついたやつ。

(酒井健太)ああ、首から下げる。

(平子祐希)パカッとあけるやつ。

(酒井健太)餃子ドッグってことは、シーなんだ。

(平子祐希)よく気づいたな。

(酒井健太)ごめんなさい。気づいちゃいました。

(平子祐希)うん。シー、豪遊。

(酒井健太)うーわっ! めちゃくちゃ楽しんでんな。

(平子祐希)ちょい早めに上がるか。それで。

(酒井健太)おっ! 日没前ぐらい?

(平子祐希)うん。

(酒井健太)そしたら、まだ夜メシも食ってないよ。歩いて疲れているし。

(平子祐希)ちゃんさか行きつけの例の場所、行くか?

(酒井健太)うわっ! 行く?

(平子祐希)幡ヶ谷の……。

(酒井健太)(ガール)ズバー?

(平子祐希)フフフ(笑)。

(酒井健太)ドレイク、楽しんでくれっかな? ズバーで。

(平子祐希)幡ヶ谷のガールズバー、楽しんでくれるだろう?

(酒井健太)楽しんでくれるかな? かわいい子、いるからな。店長も気さくな人だし。カラオケもあるし。

(平子祐希)ああ、そう! うわっ! ドレイク、勝手に俺らが入れて。前奏が流れて、「おいおい、俺の……誰が入れたんだい?」って。

(酒井健太)「歌う?」みたいな。「やんのね、はいはい!」みたいな(笑)。



(平子祐希)フハハハハッ! で、ちょっと力抜いた感じで歌うけど、サビの部分からちゃんと歌ってくれるやつね(笑)。

(酒井健太)アハハハハッ! 「それ、カニエ・ウェスト!」って(笑)。

(平子祐希)フハハハハッ!

(酒井健太)「違う、違う、俺じゃない! 俺じゃない!」って(笑)。

(平子祐希)「わかるけど!」って(笑)。「一応、歌うけどね!」っつって(笑)。「歌えるんかーい!」(笑)。



(酒井健太)フハハハハッ!

<書き起こしおわり>

松尾潔 メロウな90’s R&B選曲「ブルーノ・マーズに影響を与えたヒーローたち」

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松尾潔さんがNHK FM『松尾潔のメロウな夜』の中で90年代のR&Bの楽曲を選曲。グラミー賞受賞スピーチでブルーノ・マーズが「僕のヒーローであり教師でもある」とコメントしたベイビーフェイス、ジャム&ルイス、テディ・ライリーの楽曲を中心に選曲していました。



(松尾潔)改めまして、こんばんは。『松尾潔のメロウな夜』、今夜はレギュラープログラム、メロウな風まかせとまいりましょう。ですが、今日はレギュラーでもちょっと特殊な……「特殊な」って言い方も語弊がありますね。特別な企画と言いますかね、ちょっと試みをやりたいと思っております。「メロウな風まかせビンテージ」とでもいいましょうか。これ、不定期にちょっとやってきたいなと思ってまして、今日はそのトライアル的な第一回目になるんですが。第一回目はメロウな90’s風まかせとまいりましょう。

つまり、新曲を1曲もかけずに、でもいま聞きたい、そんな1時間をお届けできればなという風に思っている次第です。まあ「90’s、きてますよ、きてますよ」ともう3年ぐらい前からこの番組では言ってますが。

松尾潔 90’s R&Bの逆襲特集
松尾潔さんがNHK FM『松尾潔のメロウな夜』の中で『90's R&Bの逆襲』と題し、ベイビーフェイス、R.ケリー、SWVなどの新曲を紹介していました。 (松尾潔...

先日のグラミー賞のブルーノ・マーズのね、『24K Magic』フィーバーで、その現象も社会的な認知を得られたのかなと。「定着」というフェーズに入ってきたのかなという気がいたします。ブルーノ・マーズ、グラミー賞のスピーチ……あれは最優秀アルバムの時ですかね。いいことを言ってました。彼が自分の音楽的なルーツとなる体験として、故郷のハワイで観光客相手にパッケージショーを当時、15才ぐらいのブルーノ・マーズがやっていた。家族と一緒に。その時にお客さん達がお酒を飲みながら、その音楽に興じて踊ったり騒いだりしてるの見るのほんと楽しかった。

あの頃の感じを呼び戻したくて。もちろん自分の色に調理することも忘れずに作ったのが『24K Magic』であると。あの頃、自分が歌っていた曲っていうのは当時、好きで歌っていたんだけど、作者を見るとベイビーフェイスであり、ジャム&ルイスであり、テディ・ライリーだったと。その3組っていうのは日本でも当時、R&B、アーバン。こういった音楽好きな人たちの間で、ちょっと特別な位置づけにされていた3組なんですが、まさにね、ブルーノにとってもその3組っていうのは格別のリスペクトの対象だそうで。「マイヒーローズ」っていう風に言ってましたね。

彼のような牽引するスターがいてこその、90’sムーブメントかと思うのですが、今日はメロウな90’s風まかせ。まずはテディ・ライリー率いるガイからスタートです。 テディ・ライリーはもう活動は長いですね。ティーンエージャーの頃から天才子役と言うか、キッズ・アット・ワークというティーンエージャーの頃からの活躍で知られてますが、何と言っても彼の名前を特別にしたのは1988年デビューしたガイというグループ。

このグループは分裂や再結成繰り返してますが、今日ご紹介しますのは1990年代に入りまして、『New York Undercover』というサントラの時に発表された曲。今日はこちらをご紹介したいと思います。メロウな90’s風まかせ、こちらからのスタートです。ガイ『Tell Me What You Like』。

Guy『Tell Me What You Like』



(松尾潔)レギュラープログラム、メロウな風まかせ。その特別編、メロウな風まかせビンテージ。今日はトライアルとなるその1回目。メロウな90’s風まかせでお届けしております。『Tell Me What You Like』、ガイでございました。ガイ≒でテディ・ライリーなんですが、ボーカリストのアーロン・ホール、そしてその弟ダミアン・ホール。この存在あってのガイという気がいたしましたね。いまのを聞いてるとね。やっぱり、その時々の音の意匠っていうのありますけども、それに似合う声っていうのがあると思うんですよね。

「いま、ニュー・ジャック・スイングが新しい」なんてことをよく言います。80年代終わりから90年代前半に一世を風靡したニュー・ジャック・スイングという跳ねたリズムが特徴だとされている、まあR&Bの当時のトレンドの音の意匠があるんですが、いま、それをね、ブルーノ・マーズの『Finesse Remix』なんかでブルーノの声で聞くと、かっこよく聞こえますけども。



当時、いちばんかっこよく、その音を響かせていたのは、やっぱりアーロン・ホールの声なんだなっていう気がしますね。ですが、この番組『松尾潔のメロウな夜』は「メロウ」というトーンを忘れずにお届けしておりますので、ガイの初期の作品ではなく、ちょっと落ち着いて90年代に入ってから、ニューなけではない、ニュー・ジャック・スウィング『Tell Me What You Like』。「ニュー・ジャック・スウィング」と呼ぶのさえどうなのか? という、そんなリズムではありましたけども。まあ、90年代の残り香は感じられたんじゃないでしょうかね。

さて、このテディベアから始まりました風まかせ、そのガイのファーストアルバム、伝説化しておりますけれども。その中に納められていたバラードっていうのも、この番組のリスナーにおかれましては、また思い出がたくさんある人がいいんじゃないでしょうかね。その中に『Piece Of My Love』という名バラード。ニュー・ジャック・エイジの名バラードとされてる曲はございますが。



『Piece Of My Love』に想を得たと言いますか、そこにインスピレーションを受けた曲をご紹介したいと思います。彼女たちも90年代のグループ、まあ数ある女性グループの中では目立った存在ではなかったのですが、こういうムード。ちょっと抽象的な形になってしまいますが、こういうムードが好きな人にはぴったりの曲でしたね。忘れがたい存在です。3人組Tha Truth!の『Piece Of My Love』インスパイア曲、聞いてください。曲は『If I Show U』。

Tha Truth!『If I Show U』


Keith Sweat Featuring Athena Cage『Nobody』



(松尾潔)2曲続けて90年代……もう本当に90年代の曲であるし、90年代ムードの曲ですね。お届けいたしました。Tha Truth!という三人組の女性ボーカル、これはEPMDというラップデュオからソロになって、プロデューサーとしても結構な活躍をおさめましたエリック・サーモンというラッパーにしてクリエイターがいますが。彼を後見人にして、ヒップホップの文脈で夜に出てきたR&Bグループでした。『If I Show U』という曲、これは先ほども話しましたようにガイの『Piece Of My Love』いう曲を下敷きにしているんですが。それ以外にもね、フェイス・エヴァンスですとか、いかにもあの頃のニューヨークR&B人脈の人たちが関与している曲ですね。1997年にリリースされました『Makin’ Moves Everyday』というアルバムに収録されておりました。

それで、ちょっと遡りまして、その前の年。96年にリリースされたキース・スウェット。その名も『Keith Sweat』というアルバムの中から、これは当時モンスターヒットになりましたね。キース・スウェット feat. アシーナ・ケイジで『Nobody』。キース・スウェットの『Keith Sweat』というアルバムっていうと、まるでデビューアルバムのように聞こえるかもしれませんが、これは彼にとって5枚目のアルバムでした。そしていま、これをお聞きになっているお若い方に念のために申し上げますけども、これを出す前に既にもう「ニュー・ジャック・スイングのキング」という称号を手に入れておりました。

で、キングになって、さらにキャリアを確かなものにした、それがこの『Keith Sweat』というアルバムなんですね。キース・スウェットに限りませんが、最初若い時にアップテンポのナンバーで世に出てきて、でもそれからの流行りもので飽きられないために、大人の鑑賞に耐えうるようなミッドテンポですとか、スロージャムと呼ばれる形式のヒットを切望するアーティストは後を絶ちませんが。キース・スウェットの場合は、デビューアルバムでどちらもやってのけたところがございまして。『I Want Her』っていうね、ニュー・ジャック・スウィングというムーブメント自体の幕開けともなる1曲でしたが。



その曲と並んで、アルバムの表題曲である『Make It Last Forever』とか『Right and a Wrong Way』、はたまたドラマティックスのカバー『In the Rain』。そういった曲でスロージャムにも精通してることを1枚目のアルバムで、バランスよく提示したのですが。



まあ、そんな彼でもマンネリと言われているような現象からは……決して「スランプ」とは申しませんが、「キース・スウェットに駄作なし」と言い続けてる僕としては、まあキース・スウェットのアルバムは全部好きなんですが。ただまあ、勢いという意味で、まあ3枚目、4枚目のあたり、「この先、どうなるのかな? この人は」と思ってたら、5枚目でドカン! と出してくれましたね。『Nobody』。この曲だけじゃなかったですけどね、キース・スウェットはアルバム自体が本当に20年以上経ったいまでも、未だに僕よく聞きますね。もうCD、カセットテープ、LPで5、6枚僕は所有してるはずです。その内、数枚は人に……「松尾さんからアルバムもらえました」って人が何人かいるんですけど。そんなに渡した記憶がないんですけどもね、渡したりしていたんでしょうね(笑)。

もうこの頃は、「この世界こそが至上の物」っていう風に思ってましたね。では、そんなキース・スウェット、活躍が長い人ですが、彼の90年代の歌以外の仕事ということで、忘れてはなりません。彼が世に送ったグループ。先ほど『Nobody』でデュエットをしていたアシーナ・ケイジを擁するカット・クロースのラブリーな1曲、聞いてください。『Lovely Thang』。

Kut Klose『Lovely Thang』


Jade『I Wanna Love You』



(松尾潔)2曲続けて女性ボーカルグループ、90年代的な、本当に90’sムードがあふれんばかりの、本当に清涼感のある、いまではちょっとお目にかかれないような、そんなサウンドスタイルの2組をご紹介いたしました。カット・クロースで『Lovely Thang』。カット・クロースというのはね、先ほど何度も連呼しましたキース・スウェットの『Keith Sweat』というアルバムに収められていた『Nobody』というモンスターヒット。そこにフィーチャーされていたアシーナ・ケイジを擁するグループです。同じアルバムの中から『Twisted』っていうもう1曲、メガヒットをキース・スウェットは当時生み出しているんですが。そこでもコーラスをつけていたのがこのカット・クロースという女性グループでした。



自分たちのアルバムのタイトルは『Surrender』っていうんですけどね、その中に納められていた、ひっそりと、でも忘れがたい存在感を放っていた曲です。まあ余談ですけども、キース・スウェットはね、自分のアルバムをヒットさせたり、カット・クロースを世に出したりする一方で、LSGというね、ジェラルド・リヴァート、キース・スウェット、ジョニー・ギルというこの三大人気歌手の特別ユニット。これも97年にアルバムを出してまして。もうちょっと、この90年代半ばから後半にかけてのキース・スウェットのクリエイティブのピークはR&Bの歴史に残るものでしたね。



この頃のキース・スウェットとR.ケリーは本当にすごかったなと思います。さて、話を戻しまして、カット・クロースに続けてお届けしたもう一組の3人組の女性ボーカルトリオ、ジェイドでした。ジェイド『I Wanna Love You』。これは彼女たちの『Jade to the Max』という92年のデビューアルバムに収められている曲であると同時に、『Class Act』という映画のサウンドトラックに収められていて、そこからヒットした曲でもありました。この後見人となっていましたのは、Vassal Benfordというそれ以前から――彼、出身はデトロイトだったかな?――まあ、よく名前を聞くプロデューサーではあったんですが。一流というところの仲間入りしたのはこのジェイドのプロデュースを手がけてからかなという気がいたしますね。

『I Wanna Love You』以外にも『Don’t Walk Away』とか、忘れがたき名曲といろいろとございます。ジェイドでございました。



さて、90年代サウンドトラック……いわゆる「サントラ」ですね。我々が親しみを込めて言っているサントラという魔法がR&Bシーン全体を覆った、そんな期間でもございました。サントラからのヒットをいくつかご紹介したいと思います。まずは97年にクインシー・ジョーンズが主催するクエストレコードからリリースされたサントラ『Sprung』。そこにひっそりと納められていた男性デュオの曲、いまでも僕は時折、懐かしくなって聞くんですね。キーストーンというデュオの『If It Ain’t Love』。

そしてもう1枚、サントラをご紹介させてください。いまをときめくジェニファー・ロペスがヒロイン役で出ていたことでも一部のファンには知られております。『マネー・トレイン』という映画。ウェズリー・スナイプス、ウディ・ハレルソンの『White Men Can’t Jump(ハード・プレイ)のコンビがここでリユニオンいたしました『まねー・トレイン』。その中に収められておりました112の実質的デビュー作『Making Love』。ハイトーンが魅力的な男性グループを2組続けて聞いてください。キーストン『If It Ain’t Love』。112『Making Love』。

Keystone『If It Ain’t Love』


112『Making Love』



(松尾潔)サントラから2曲続けてご紹介しました。まずは97年のサントラ、クインシー・ジョーンズ仕切りの『Sprung』というアルバムから男性デュオ、キーストーンで『If It Ain’t Love』。ちょっとフレディ・ジャクソンに持ち味が似てますよね。そして95年の『マネー・トレイン』からは112で『Making Love』。112は自分たちのグループ名をそのままタイトルにしたデビューアルバムを翌年、96年にリリースします。もちろんその仕掛け人はショーン・パフィ・コムズ、パフ・ダディですね。ぱふ・だでぃですとか、まあクインシーの名前もこの頃ね、現役感の高い名前としてまだまだ有効でしたし。キース・スウェットですとかテディ・ライリーとかね、もういま歴史に残るような人たち。歴史上の人物の名前をどんどんあげてるような、、まさに「役者が揃った状態」という気がいたしますが。

こういったものが、いまのブルーノ・マーズの音楽性のルーツにあるんだなっていうことは本当よくわかりますね。今日はある意味ブルーノ・マーズ、そして『24K Magic』をより深く楽しむための1時間といった、そんな性格もございます。それではじゃあ、グラミーでね、ブルーノがその名前をあげてリスペクトを表明したジャム&ルイスとLA&ベイビーフェイス。この90年代を代表する二大プロデューサーチームの手がけた女性グループを一組ずつご紹介いたしましょう。まずはジャム&ルイスが全面的にプロデュースを手掛けた、これもサントラですね。『モー・マネー』。さっきの『マネー・トレイン』と紛らわしいですね。

まあ、黒人社会において「マネー」っていうのは大切なことなんですが、『モー・マネー』の中からはクラッシュという3人組の『Let’s Get Together (So Groovy Now) 』という曲を後紹介したいと思います。まあ、アルバムを期待されながらもね、惜しくもこれだけで終わってしまった……まあちょっと残念な存在でもあるんですが。ジャム&ルイスが珍しく女性グループを手がけたという、そんな1曲です。そしてこの人たちは女性シンガーを手がけるのはもう本当、お手のものというイメージが当時、ございましたが。中でも、得意中の得意という感じで出てきたのがTLC『Baby-Baby-Baby』。LA&ベイビーフェイスが手がけた数ある名曲の中でも、屈指の名曲。そして屈指の名グループだと思っております。じゃあ2曲続けてご紹介しましょう。いずれも1992年のスーパージャムです。クラッシュで『Let’s Get Together (So Groovy Now) 』。そしてTLC『Baby-Baby-Baby』。

Krush『Let’s Get Together (So Groovy Now) 』


TLC『Baby-Baby-Baby』



(松尾潔)90年代のメロウかつフレッシュな曲を集めてお届けしてまいりました、今夜の『松尾潔のメロウな夜』。メロウな風まかせビンテージ 90’s風まかせ。お届けしたのはクラッシュで『Let’s Get Together (So Groovy Now) 』。そして TLC『Baby-Baby-Baby』。その2組の向こうにジャム&ルイスとLA&ベイビーフェイスが屹立しております。

(中略)

さて、楽しい時間ほど早く過ぎてしまうもの。今週もそろそろお別れの時が迫ってきました。今夜ね、はじめてトライアルとしてお届けいたしました、新曲を一切ご紹介しない風まかせ、いかがだったでしょうか? 今週のザ・ナイトキャップ(寝酒ソング)の時間になりましたけれども、ここも90年代推しということで。まあ90年代、忘れちゃいけないヒップホップ・ソウルシーン、その女王として君臨して、いまはもう「ヒップホップ」も取って「ソウルの女王」と言って差し支えないメアリー・J.ブライジ。彼女の極上のメロウチューンのサックスカバーで今日はお別れです。

アルフォンソ・ブラックウェルの『Love No Limit』。これからおやすみになるあなた、どうかメロウな夢を見てくださいね。まだまだお仕事が続くという方。この番組が応援しているのは、あなたです。次回は来週、2月19日(月)夜11時にお会いしましょう。お相手は僕、松尾潔でした。それでは、おやすみなさい。

Alfonzo Blackwell『Love No Limit』



<書き起こしおわり>

高木完 ECDとの思い出を語る

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高木完さんがTOKYO FMのECD追悼特番『SEASON OFF』に出演。STRUGGLE FOR PRIDEの今里さんとECDさんとの思い出を話していました。


(今里)ここからはECDさんと親交のあった方々をお招きします。高木完さんです。

(高木完)どうも、こんばんは。高木です。

(今里)ありがとうございます。完さんが多分、石田さんと比較的ずっと長く、一緒にいらっしゃったんじゃないかなって。

(高木完)そうだね。共有する時間ね、1986年から30年以上の場面でところどころで……まあ、ある時期はかなり濃密に過ごし(笑)。そういう感じですね。

(今里)出会いって、覚えてますか?

(高木完)出会い、覚えてますよ。いちばん最初は1986年の夏か……秋ぐらいだと思うんだけど。ラン・DMCが初来日するんで、当時ラン・DMCの日本版を出していたレコード会社がロンドンレコードかな? が、主催で。さらにアディダス……当時はどこのメーカーだったかな? まあ、そこが合同でラン・DMCが来日しますよイベントみたいなのを、新宿の椿ハウスで、普通の営業時間の前に。よくやるけどさ。レコード会社が企画して。それでやっていて、そこでタイニー・パンクスの2人、僕と藤原(ヒロシ)と。近田(春夫)さんがPRESIDENT BPMを名乗って。で、DJを入れて、2組のライブやって。なんかブレイクダンスチームもなんかショーをやっていたのなか?そんなようなのをやってたんだよね。

その内容は全然ほぼほぼ覚えてないんだけど、終わった後に僕とかが裏の楽屋に設定されている場所に戻ろうとしたら、戻りつつある時に、いきなり客席というかフロアの方からダダダッと2人組が入ってきて。ステージにセットしてあったターンテーブルとマイク使って、軽くライブ始めちゃうわけ。飛び入りで。 で、「あれ、なに? 予定入ってんの?」とか聞いたら、「全然聞いてないっす」って近田さんのところの下のやつが言って。「あとで行ってシメます!」とかって言ってるんだけど……(笑)。

(今里)カチ込んできた(笑)。

(高木完)それがさ、見ていたらDJはDJ高田っていう子で。ブレイクビーツをしながら。で、ラッパーの子は「音楽のことしか考えてない! 音楽のことしか考えてない!」っていきなりそれだけずーっと延々と念仏のように唱えはじめて(笑)。「これ、ラップなのかな?」と思いながらも、まあでも、面白いなと思って見ていて。それがECDだったんですけど(笑)。その頃はまだECDって名乗ってなかったんだよな。それで結局、「シメます」って言っていた近田さんのところにいたやつが、自分のところの半分坊やみたいにしてこき使い始めるようになって。結局近田さんのところの坊やの坊やみたいな役で。

(今里)フハハハハッ!

(高木完)で、その翌年ぐらいから、ちょうど87年になると今度はビースティ・ボーイズがバーン!ってくるから。第一次スラッシャブームみたいになっていて。スケートボードのランプを置いて海岸とかで俺とヒロシがDJとラップをやって、スケーターがこう、スケートするっていうのがイベントよくあったの。そういう時に、その近田さんのところの坊や的なやつが必ず来るんだけど。タイニー・パンクスとかをサポートするっていう役目で。そこでセキュリティーみたいな感じで……セキュリティーになってないけど、いるのがECDっていう(笑)。

(今里)フフフ(笑)。

(高木完)ステューシーを着て、うれしそうにニコニコしながら、腰に手をやってうなずきながら、こうやって(笑)。ステューシー着て。覚えてる。それ、すっごい。いまでも忘れられない。さっきの「音楽のことしか……♪」っていうところと、うれしそうにサングラスしてタイニー・パンクスの横で頭振っていたECDが(笑)。

(今里)アハハハハッ!

(高木完)でね、俺が覚えているのはね、とにかくその時に年下だと思っていたのよ。その近田さんのところの若いやつがすっごく下だったのね。僕よりも5個か6個か下だったかな? もっとかな? で、そいつがまだ「ECD」とは名乗っていないから、「石田くん!」っつってたのかな? とにかくこき使っているから、絶対に年下だなと思っていて。ちょっとツルッとしているし。まあ、俺もツルッとしているけど(笑)。俺と同じでつるりんくんだから、絶対に年下だろうなって思っていたら、ある時にヒロシが「完ちゃん、完ちゃん、あの石田くんって完ちゃんよりも年上なんだよ」「えええーっ!」とかって思って(笑)。

(今里)アハハハハッ!

(高木完)でも、聞いたら1個しか変わらないんだよ。「ごめんね」とか言いながら(笑)。かなり俺もぞんざいな感じで。で、その後。ある時、当時Vestaxっていうミキサーの会社があって。DJコンテスト……あの頃のDJ コンテストって、いまみたいな完全にスキル・DJのトリックを競い合うコンテストじゃなくて、ターンテーブルを用いてのタレントコンテストみたいな趣が強かったの。まあ、そういうのでほら、後々スチャダラとかも出てくるんだけど。そんなののはじまりのやつが、Vestaxが企画したやつで。その企画のコンテストの審査員に藤原ヒロシが行ってて。「完ちゃん、完ちゃん、この間もいた石田くんっていうのは『ECD』って名前になって、ラガマフィン・ディージェイみたいなのをやって、面白かったよ」って俺に言って。

(今里)はい(笑)。

(高木完)「テレビに出そうよ」って話になって。で、あの頃は深夜番組で俺とヒロシでタイニー・パンクスで『FM-TV』のコーナーを持っていたんで。「じゃあ、すぐに出そう!」っつってなんも聞かないで。「音もヒロシがいいっつってんだから、大丈夫だろ」って思って(笑)。そのまま、「次のゲストはこれです!」っつって出して。「ついでに宝島の写真も撮っちゃえ!」っつって写真も撮って。ダブル企画。メディアミックスですよ(笑)。

(今里)アハハハハッ!

(高木完)それをやって、それでドーン!って出たのがたぶんはじまり。で、ECDっていう名前で出てきた。「ECD, ECD, You Know My Name♪」って。そこから始まりだよ。ECDの。

(今里)リリースの話とかって、最初どうやってしていたんですか?

(高木完)リリースはね、だからメジャーフォースっていうのをその年……88年。それは88年だったかな? とにかくメジャーフォースを作るっていう話があった時に、メジャーフォースで最初、タイニー・パンクスと後は中西俊夫の当時あったグループと、DJの企画ものの……The Orchidsって女の子のを出した後に、「じゃあ、ちょっとそろそろ日本人ラッパーを。やっぱり、誰をやろうか?」っつって、「まあ、最初はあいつしかいないよ」ってECDを出すっていうことで。もうそれは、全員即決で。「ECDを出そう!」って。あの頃、会議が合議制で、みんながOK しないと出せなかったんだよ。メジャーフォースは意外と。ECDは全員好きだった。やっぱりちょっと、ラガマフィンっぽい感じでやっているのと、後ね、それは映像が残っていたけど、1枚のレコードをリバースさせながらラップするっていうのをやっていたわけ。ECDは1人で、こう。

(今里)はい。

(高木完)「ギュギュッ、ギュギュギュッ!」って逆再生をさせながら。

(今里)もう、あれですよね。もちろんターンテーブル1台で?

(高木完)ターンテーブル1台で。それに合わせてラップするっていうのをやっていて、それが面白かったから。「あれ、面白いし、絶対に出そうよ。あの人、いいよ!」っていうことで。それでやって、出したんだよね。最初は『PICO CURIE』と『Check Your Mike』と。で、そのさっきのリバースのやつも、その12インチにおまけに入ってるけど。『In Tempo』っつったかな? それを出した頃ぐらいに、Major Force Posseっつって、僕とECDとK.U.D.O.と3人でチームみたいになって。パブリック・エナミーの前座だとかをやったりして。後はレッド・アラートとかジャングル・ブラザーズが来た時にやるとか。その3人で基本、やってたの。で、そこにに入るのがECD。Major Force Posseって名前で、最初のパブリック・エナミーの来日とか、サポートしてたから。それで、パブリック・エナミーのビデオにさ、最初俺とECDが映ったりしてんだけど。

(今里)結構それを考えると、レゲエ期はそんなに長くないんですね。

(高木完)レゲエ期は短いよね。86年にちょっとやったぐらいじゃない?(笑)。

(今里)アハハハハッ! 1年切ってる感じですか?(笑)。

(高木完)もうすぐさ、いっぱい出てきたし。ECDはさ、勝てない戦はそんなやらないからさ(笑)。

(今里)フハハハハッ!

(高木完)発明で行くから。発明で、「俺がこれは発明したぞ!」みたいなやつはやるけども。そんなゲームはやる方じゃなかったから。そういう意味では(笑)。いっぱい出てきちゃうとやないかな。

(今里)ここで高木完さんの選曲でECDさんの曲をお届けしたいと思います。

(高木完)じゃあ、さっき言っていた89年に出したメジャーフォースのレコードの中から、『Check Your Mike』。

ECD『Check Your Mike』



(高木完)ニューヨーク、だからECDとよく行っていたよ。それでMajor Force Posseみたいになって。あの頃は「海外進出を目指すぞ!」みたいにやっていたから。それでECDも(モノマネで)「うん、私も行きます……」みたいな(笑)。

(今里)アハハハハッ!

(高木完)そうなんだよ。だから一時、よく本当に一緒に行っていたし。しょうもない話をいっぱいして。「くだらない!」とか言いながら笑っていたし(笑)。

(今里)なんか、フックアップを……。

(高木完)ECDが若い子をね。キミドリをフックアップしたりとか。BUDDHA BRANDにしてもそうだし。

(今里)特に石田さんって、新しいものを見つけて、それをみんなで楽しむのが好きなんだと思うんです。単純に。なんか、独り占めしないで。

(高木完)そうだよね。教えるの、好きだよね。伝えるのが。

(今里)そうそう(笑)。

(高木完)スチャダラにしてもそうだけど。「これ、面白いから。完ちゃん、聞いて」みたいな感じで。で、それをみんなに配っていたらしいじゃない?

(今里)ああ、そうなんですね。

(高木完)それこそ、川勝(正幸)さんに渡したのはECDなんだよ。それで川勝さんが面白がってブロスに紹介したりして。最初にね……なんかでも本人はすごい使命感っていうよりも……「とにかくこのカルチャーを大きくしたい!」とか、そういう気持ちじゃなくて。本当に「これは面白いからどんどん広めたい」って、そんな別に大義名分も思ってもみずに、自然な感じでECDはやっていた感じかな? だからそういう人がいないのは本当に、そういう意味ではいろんな友達ってレベルで寂しい気持ちっていうのももちろんあるけど、そういう役割をしていた人がね……っていうところもさ、今後のことをいろいろと思おうと。うーん、思うよ。

(今里)うーん……。

(高木完)そうそう。だからECDと俺は出会いこそ86年ってさっき言ったけど、同じところにいるわけよ。新宿ロフトの、東京ロッカーズのライブ。

(今里)はいはい。

(高木完)客で一緒のところにいるわけよ。

(今里)写真集とか……。

(高木完)そうそう。ECDが写っている写真、あるじゃない? ライブ。あそこ、俺もいるんだよ。

(今里)あ、そうなんですね!

(高木完)俺も見ているのよ。だから、そういうところでいたんだよね。だから、お互いに見かけていたことはあったかもしれないし、もしかしたらECDは俺、フレッシュとかやってゴジラ・レコードからレコード出していたから、「ああ、あのクソ生意気な高校生だ」ぐらいに思ってたかもしれないよね(笑)。年が近いしさ。たぶんそのへんは接点がなんかあったかも。でも、歳が近いし、ロック好きからラップに行ったっていうところでは……それまでの僕らの上の先輩だとやっぱりタイクーン・トッシュ(中西俊夫)とかいるけど、ちょっと年上だし。もう1回、プラスチックスとかメロンでワーッて一世を風靡しているし。だから、世代も5個上だからちょっと離れているし。ECDと僕は、やっぱり年が近いから、ロックからラップに行った中では、もしかしたら俺とECDしかいないんじゃないの? 日本で、この世代で。

(今里)うんうん。

(高木完)ラップをやる人間で、ロックから来た人。この歳で。この2人しかいなかったと思うよ。だって、いとうせいこうは違うじゃん? で、近田さんも歳は違うし。だからこの2人しかいなかったと思う。60年、61年生まれで。この後になると、またいないもんね。完全にラップから始めた人たちしかいないから。だから、日本ではこの2人しかいなかったんだよね。そういう、ちょうど……他、だってラップをやるっていまはいっぱいいるけど、当時はそんなにいなかったからね。何人かしか。やっぱり音楽が好きで、音楽をずーっとやっていると、「ラップじゃあ、ちょっとな。歌を歌いたいな」みたいになるだろうし。

(今里)うーん。

(高木完)僕はやっぱり、ECDの詞がすごいなって思っていたのね。僕もさ、勝てない戦はやらない派だからさ(笑)。

(今里)アハハハハッ!

(高木完)「ECD、詞すげえな!」って思って。だからいちばん……「心残り」っていうのは言いたくないけど、ECDに詞を書いてもらいたかったね。俺は。ラップを。

(今里)ああーっ!

(高木完)「僕のためにラップ、書いてくれない? 俺、それをやるから」っつって。だからそうしたら、それを発表できたじゃん。それがやりたかったね。それは、あった。ECDの詞、いいなと思っていたから。前も、よく言うけど、簡単なやつでいいんだよ。ECDのは。「ECCは英会話スクール、ECDはラップつくーる」っていう、それとかが大好きで。「ああ、そのセンス、いいな!」って俺はいつも思っていたから。シンプルで、ほとんど意味がないんだけど。でも、そういうほとんど意味がなくてシンプルっていうのが俺の中ではラップだと思っているから。

(今里)うんうん。

(高木完)韻を踏んで、ダジャレで。うん。意味をなしていないんだけど、踏んだところで笑えるっていうのが。これ、きっといまECDがいたら、「あっ、そうそう!」って言うと思うけどね(笑)。ECDの詞は本当に面白いですよ。だから。いま聞いても、本当に古いECDのラップも詞を聞いていると面白くて笑っちゃうもん(笑)。それがラップだよね。わらっちゃうっていうのもさ。ECDにはそういうところがあるよ。うん。ほら、リズムでかっこいいとかそういうのは最近いっぱい増えてきたし、音楽的に聞こえていいって。当時、80年代ってそういうのが意外と少なかったから。言葉を聞かせる派は多かったんだけど。せいこうもそうだったけど、俺は意外とさ、音楽的に聞こえるようにしたいなっていう派だったから。

(今里)ああー。

(高木完)いまはそれが主流になっちゃったんだけど、当時はそういうのはあんまりいなかった。特にラップを意識したそういう、リズムはすごく音楽的に優れているとかそういうんじゃないけど、言葉を大事にしながら聞かすっていうスタイルでやっていて。だから彼みたいなタイプはもういないから、そこの部分もすごい寂しいし。ひとつの心残りはそこだよね。

(今里)それ、でも出がいきなりラップからじゃなくて、そういう他の音楽を聞いてから入ったから、みたいな?

(高木完)ああ、そうだね。それはあるかも。それももちろんあるだろうし。でもECDは言葉の達人でしたよ。結構。これも覚えているんだけど、中目黒で一緒に同じ地域に住んでいて。よく当時さ、ECDと会って話をしていて。「ECDって彼女、いるの?」みたいな話になった時に……(笑)。そういう話をしていて、「いるよ」とかって言って。

(今里)フフフ(笑)。

(高木完)「あ、そう? どこ住んでるよ?」っつったら、「スープの冷めない距離」とかって言っていて(笑)。シャレたことを言うわけよ。「スープの冷めない距離」って聞く? 普通に、男が話していて。

(今里)アハハハハッ!

(高木完)言わないよね? だから詩人なんだよね。そういう意味で。文学的なんですよ、ECDは(笑)。さすがでしたよ。参った。89年、90年ぐらいかな? それは(笑)。

(今里)高木完さんの選曲でECDさんの曲をお届けしながら、高木完さんとはお別れです。どうもありがとうございました。

(高木完)いえいえ、じゃあその笑っちゃうなというところを、これはリリースは90年ぐらいかな? 当時の漫画雑誌をどう、ECDは読んでいたか?っていうのを、これで聞いて笑ってください。ECDで『漫画で爆笑だぁ!』。

ECD『漫画で爆笑だぁ!』



<書き起こしおわり>
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クボタタケシ・石黒景太・本根誠 ECDの思い出を語る

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クボタタケシさん、石黒景太さん、本根誠さんがTOKYO FMのECD追悼特番『SEASON OFF』に出演。STRUGGLE FOR PRIDEの今里さんとECDさんとの思い出を話していました。


(今里)続いてのECDさんと親交の深かったゲストは石黒景太さん、クボタタケシさん、本根誠さんです。よろしくお願います。

(一同)よろしくお願います。

(今里)まず3人の石田さんとの出会いはいつかっていうのを……。

(クボタタケシ)そうですね。僕らから……。

(本根誠)キミドリだね。やっぱりね。

(石黒景太)キミドリだと、『チェック・ユア・マイク』っていうラップコンテストがあって、それのデモテープを石田さんに送って。石田さんが主催だったんですよね。

(今里)チッタですよね?

(クボタタケシ)クラブチッタ。俺がなんか、プロフィールとか、なんかしょうもないプロフィールを書いて。で、この間石田さんがそれをアップしていたんだよね。「見つかった」っつってね。そこからだよね。うちらの出会いはね。

(石黒景太)そうですね。

(クボタタケシ)まあ、個人的には知っていたから。で、しゃったのはたぶん……。

(石黒景太)デモテープを渡した時なんじゃないかな?っていうのは。

(本根誠)もうその時は「メジャーフォースのECDだ!」って感じ?

(石黒景太)そうですね。

(本根誠)もう石田さんはデビューしてるんだよね。

(クボタタケシ)89年ぐらいかな?

(本根誠)『Pico Curie』の後だ。

(今里)レゲエの時って、知ってます?

(石黒景太)たぶんその時、レゲエスタイルのヒップホップをやっていたんですよね。

(クボタタケシ)CHIEKO BEAUTYとかと。

(石黒景太)あと、テレビに出てなかったっけ? 深夜の。デモを渡して以降、話したのは代官山にあるデタントっていう洋服屋があって。インポート物みたいなものを売っていて。その頃は全然、そういうヒップホップっぽい、トミー・ヒルフィガーとかああいうやつとか、そういうのを売っているところが全然なくて。で、そこでよく石田さんがいて。声をかけて。「このティンバーランド、どこで買ったんですか?」とか(笑)。あと、スニーカーとか。とにかく、石田さんは服をすごいチェックしていて買っているっていう。

(クボタタケシ)たぶんティンバーランドを日本で最初に履いた人っていう。

(石黒景太)そうそう。そういう話を石田さんにずっと、俺が一方的に聞いていたみたいな(笑)。

(クボタタケシ)俺はほら、うちは90年代前半は中目黒に住んでいたから。

(本根誠)ああ、そうだよね。地元が同じだったんだ。

中目黒のECDの幽霊が出る家

(クボタタケシ)で、石田さんも中目だったから。で、歩いて本当30秒ぐらいのところだったから、いつも家に来ていたりして。で、石田さんの家っていうのは幽霊が出る……。

(本根誠)木造だよね。

(クボタタケシ)幽霊が出るアパートだったから。

(本根誠)トイレに入ると、なんでか知らないけど軍手が散乱してんのよ。トイレに。

(石黒景太)アハハハハッ!

(本根誠)たぶんその頃のバイトで使った軍手をそのままトイレに捨てるんだと思うんだけど(笑)。

(クボタタケシ)で、その頃は毎日電話とかに留守電が入っていて。「ECDでーす! あ、クボタ? 今日ね、下北の○○でね、ああいうレコード買ったんだよね。では、ECDでした!」っていうのが結構毎日来るのよ。なんか、「俺の彼女かな?」って感じで。「すげーな」って思って。

(石黒景太)アハハハハッ!

(本根誠)キミドリといるとね、明るい石田さん。

(クボタタケシ)だからみんな、「しゃべんないよね」ってよく言うんだけど、めっちゃしゃべるから。

(本根誠)実はね、そうよね。話好きよね。石田さんは、本当はね。

(今里)では、本根さん。

(本根誠)俺は、あれよ。音楽ライターをやっていたから、2回インタビューしたことがあるの。音楽ライターとして。で、彼も当然、覚えてくれていて。で、俺がエイベックスに移って、「ああ、うれしい!」って自慢して歩いている時に、CISCOのあそこの階段、あるじゃん? あそこのところで「あ、ECDだ」って思って。すれ違って、もう偉そうに名刺を出して。「ちょっとウチでやんねーか?」ぐらいの空気で言ったら、それが後で『いるべき場所』っていう彼の自伝的な小説で「エイベックスに声をかけられてすごい怪訝だった」って(笑)。

(石黒景太)アハハハハッ!

(本根誠)「だけどキミドリにも声がかかっているっていうから、話を聞いてみようかな」っていう。石黒くんたちにも自慢して、「エイベックスだぜ!」って言っていた時だから。

(クボタタケシ)でもね、うちらはその頃の印象は……で、エイベックスの話、最初はキミドリにね。

(本根誠)最初にキミドリに「エイベックスに移ったんだ。レコーディングやろうよ!」って言って。それから1、2ヶ月後ぐらいに石田さんにそうやって名刺を渡して。でも、キミドリがトロいから、ECDのレコーディングがどんどん始まっちゃって……みたいな。

(石黒景太)アハハハハッ!

(本根誠)で、あれなのよ。話が2017年に飛ぶんだけど。16年ぐらいかな? あのね、まだガンだってわかる前に、知り合いの某出版社が、やっぱり『さんぴんCAMP』ブームです、みたいなので、『さんぴんCAMP』を回想した本を出そうって言っていたのね。で、もうDEV LARGEが亡くなったりとかあって。これは石田さんに紹介したいと思って、家の近所の喫茶店、あるじゃない? そこに集まった時に、会って出版社の人を前にして、「お断りします」って言って。でも、その時にECDが「だけど、俺はやりたいことがあるんで、話を聞いてください」って、逆に出版社の人に言ったのが、「キミドリの本を書かせてくれ」って言っていたの。

(今里)おおーっ。

(本根誠)で、出版社の人も俺もびっくりしちゃって。一応ちゃんと持って帰ってくれたんだけど、あっさり企画がボツって。会社で「それは売れないと思います」って言われて。それはあったね。ECDは本当はキミドリをまとめたがっていたの。

(今里)読みたいですけどね。

(本根誠)読みたい。ECDが書いたキミドリは俺は読みたかったけど。

(石黒景太)あと、そうそう。俺、本を書き始めた時とか、いきなり完成されている文体で。「これ、どこで書いていたんだろう?」みたいな。

(本根誠)ああー。最初は『レゲエ・マガジン』で音楽評論家をやっていたもんね。

(石黒景太)ああ、そうなんですか!

(本根誠)俺らなんかよりも全然前にやっていて。荏開津さんなんかと同じぐらいの時にもうやっていたの。でも、「もうやめるんだ。ラップの詞しか書かない!」って言っていた時期もあった。「音楽評論はやらない」みたいな時期があったね。俺とかね、カッティング・エッジの時代だから、ギャラもいい時代だったから、ECDは結構楽しくお酒を飲んでいる時代のECDなんだよね。俺が知っているECDって。

(今里)ああー。

(本根誠)結構日本酒党でね。

(クボタタケシ)石田さんにはお金を毎月40万払って、うちらには全然払ってくれないっていうやつね。

(石黒景太)フハハハハッ!

名プロデューサー・ECD

(本根誠)『ブギー・バック』っていう最初の大ヒットがあったのでね。石田さんを「この人はプロデューサーとしてすごいんじゃないのか?」って社内で評判になって。全部ね、自分で仕切る人なんですよ。トータルプロデュースができる人っていうか。で、大まかなお金の話をすると、「OKです!」って言って、その後はちゃんと自分でレコーディングのブッキングをやってくれて。ちゃんと、なんか知らないけど予算も収まるっていう。

(クボタタケシ)名プロデューサー。

(本根誠)名プロデューサーなのよ、石田さん。その頃。

(石黒景太)フフフ(笑)。

(今里)結構でも、石田さんは早いっすよね。

(本根誠)新譜、ねえ。

(クボタタケシ)亡くなる直前までずーっと聞いていたから。

(本根誠)それは自分で言っていた。「ヒット曲があった時代の人間だから、俺は。ポップスみたいな感じがないと、なんか嫌なんだよね」って。ECDがカッティング・エッジの時によく言っていたのは、「メジャーなヒットになるかどうかは全然時の運だからわからないけど、ストリートスマッシュみたいなのを目指したい」って言って。で、「そういう可能性のある人をいっぱい集めましょうよ、本根さん」って。結構前向きな提案を、日本酒を飲むとしだすんだよね。そこはちゃんと狙っている人だった。

(石黒景太)「新しいものはいいことだ」っていう風に思っていたんじゃないかなって。

(本根誠)新譜を聞くのが好きだった。

(石黒景太)だから別にいいか悪いかはまだジャッジできないけど、新しいことは善っていう風な感じがあったから、新しい人もどんどんフックアップっていうか、紹介したりしていて。

(本根誠)と、同時に、新しいものって評論しづらいじゃない? たぶんそこを解析していくのが彼は楽しいんだと思うんだよね。どんどん知っていくことが楽しい。自分なりに消化するのがすごい好きだったよね。

(石黒景太)「石田さんってどんな人?」っていうのって、結構いろいろと年代によって……。

(本根誠)なんかアル中になって髪の毛が伸びている時期とかもあったよね。サックスとか吹き出しちゃってさ。参ったな……みたいな時とかあったよ。

(クボタタケシ)あれは切るのが面倒くさかっただけだって。

(本根誠)ああ、そうなのかな? うん。

(今里)クボタくん、なんかありますか? 印象的なものは。

(クボタタケシ)いっぱいありすぎて……本当に最後もうちら、石黒と今里とみんなで呼ばれて。

(今里)最後、クボタくん、「これからブリッジだから」って……。

(クボタタケシ)ああ、亡くなる日。そうそうそう。

(今里)で、「なにかけたらいいか、教えてよ」って石田さんに言っていたじゃないですか。

(クボタタケシ)もう石田さんが亡くなる寸前で。「みんなでしゃべりかけてください」って看護婦さんに言われて。で、うちらみんなで話していたんだよね。「石田さん、何かけたらいい?」って。まあ、そんなの聞かないから、それで起きてくれないかな?って。

(石黒景太)アハハハハッ!

(本根誠)ああーっ、えらいね。

(クボタタケシ)だから「石田さん、朝だよ」とかって言って起こしていたからね。で、本当は石黒が「いまからフリースタイルするからね、石田さん!」っつって。

(石黒景太)アハハハハッ! 

(本根誠)明るく送ったんだね。

(中略)

(本根誠)(Illicit Tsuboi ECD MIXを聞き終えて)ツボイくんもデビュー戦がECDだもんね。エンジニアとしての。なんか俺に言っていたのは、都立大のリンキィっつってタンゴスの人がやっているスタジオで。「A.K.I.のDJの子がエンジニア始めたんで、行きましょう」って連れられて行って。「こんなところなんだ」って。最初はクライアント、ECDしかいなかったはずだよ、ツボイくんも。

(クボタタケシ)『ホームシック』が最初なのかね? 95年……でも、俺、その『ホームシック』の中に入っている『いっそ感電死』とか『MINI MEDIA』とかは94年だったから……。

(本根誠)たぶんそれが最初ぐらいだよ。と、思うね。それで、新しいもの好きの中のひとつが、「デザイナー石黒」なのよ。

(石黒景太)でも、そこから変わってないっていう。

(本根誠)デビュー戦がやっぱりECDじゃん? デザイナーデビューですか、石黒さん。

(石黒景太)ああ、そうですね。

(本根誠)懐かしいね、そのステッカーね。

(石黒景太)ECDくん。

(本根誠)そう(笑)。

(今里)最初はどんなオファーだったんですか?

(石黒景太)たぶん周りにあんまりいなかったから。ジャケットに関しては、最初の頃、エイベックスの頃とかは割と自分なりにヒップホップをイメージしていたんですけど……2000年以降はもう一貫してテーマがあって。俺の中では「ホラー」みたいな……(笑)。

(一同)フフフ(笑)。

(石黒景太)もうずーっと、なにがどうしても。結婚して、子供ができてもホラーみたいな感じに。俺の中ではそういうストーリーで。で、もうとにかく子供ができて悩んでいるとか、これ自体がもうホラーなんじゃないか?っていうようなテーマでずーっと作っていて。

(本根誠)いや、でもね、あれなんだよ。レコーディングの段取りとかプロデュースとか音楽の方向性はもうばっちりで、なにも言うことはないんだけど。俺が、彼が在籍中に苦戦したのはアーティスト写真撮りなのよ。

(今里)ああーっ!

(本根誠)なんて言うか、要するにそんなルックスは良くないじゃん? だけど、俺が見ているECDはすごいかっこいいのね。好きだし、尊敬している。みんなそうじゃない? でも、それが写真になると、普通のおっちゃんなんだよね。それがもうジレンマで。毎回、毎回。たぶん石黒くんも「どうしよう?」っていうのはそこだったと、正直思うんだけど。やっぱり植本(一子)さんの写真になってから、もう全然敵わないと思った。フォトグラファーで撮れるものじゃないっていうか。写真一発で引きずり込まれるようなのは、やっぱり植本さんになってからで。

(今里)うんうん。

植本一子さんの写真の力

(本根誠)そう。だから植本さんともっと早めに知り合っておいてほしかったっていうのはカッティング・エッジ時代のディレクターの……あの写真があって、この音源があればみたいなさ。もう言ってもしょうがないことシリーズその1で。うん。

(今里)さっき、その『ビッグ・ユース』のジャケが……。



(石黒景太)そうそう。だからね、2000年代は一子ちゃんとかと付き合って結婚し始めた頃、なんか石田さんのジャケットの中の写真とかを一子ちゃんのやつを……なんか、俺の中では急にすごい柔らかい石田さんみたいなのがなんか……俺の中では「ホラー」なのに(笑)。

(一同)フハハハハッ!

(石黒景太)「これ、使うべきか?」みたいな風に思っちゃって。それだけ、写真がフィクションで俺が考えていたものよりも、本当の写真の現実の方が勝ってしまったみたいな(笑)。

(本根誠)俺、思うんだけど、ディレクターってお金にする商売じゃないですか。なんでも、もう目に見えるものを全部金にしてやる!っていうのがディレクターとかプロデューサーの仕事じゃないですか。だから、売らなきゃいけないんだけど、なかなか売れないじゃないですか。そうすると、自分に言い聞かせる言い訳が出て来るの。で、俺はいまでも本当にそう思っているんだけど、作った音楽が人の中に入って、人のクリエイティビティを引っ張り出す力があると、俺は仮想論しているんだ。ECDの音楽とか、たとえばベルベット・アンダーグラウンドとか、ヴァン・ダイク・パークスとか、そういう聞いた人が刺激されて……たとえばプロモーターでもおでん屋でもなんでもいいんだけど、本業。そのそれぞれのライフスタイルに何か絶対に貢献する力が強い音楽だと俺は信じている。

(今里)うんうん。

(本根誠)そうそう。それでなきゃ、みんなからこんなに愛されないと思う。セールスだけで言ったら全然だって、ねえ。そんなメジャーではないじゃん。やっぱりECDの力は、中に入って引っ張る力だと俺はずーっと思っていて。

(石黒景太)本当にあと、常に若いファンをアップデートしているっていうのは。あと、びっくりするのは、ヒップホップのミックスでECDの曲が結構いつも入っていたりとか。

(クボタタケシ)まあでも、思うけど。CD……日本人ラッパーっていうか、世界中でもこれだけCDを出しているラッパー。もう20枚ぐらい出しているから。そんなラッパー、いないんじゃない?っていう。

(本根誠)そこはすごいよね。書籍も含めたら、すごい数やっているしね。

(石黒景太)やっぱり常に、ロックを作っているんじゃないですか? あんまり、ゆるくならないじゃないですか。

(本根誠)そうそうそう。ロックだよ、まさしく。

(石黒景太)だからロック……そういう痛みみたいな部分も含めて。ちょっと大人が顔をしかめる的なやつをずーっとやり続けているからどんどんアップデートを。自分をさらけ出してラップするのとか、辛いじゃないですか。

(本根誠)いや、そう思うよ。あの、預金残高を毎日出し始めた時は「うわーっ!」って思ったけどね。俺はね。「そこまでやるか!」みたいなさ。でも、その後にどんどんどんどんドキュメンタリータッチになっていって。

(石黒景太)そうですね。だからやっぱりある程度リスキーなことをやり続けたから、若い人は……。

(本根誠)俺とかもやっぱり、人の預金残高なんか見たくないから「うわっ!」って思うじゃん? でも、それって「うわっ!」って思わせるっていうことは、キャッチーなんだよね。彼の行動は。「どう思っても、嫌いになっても別にいいや!」みたいな、そういうのはあると思うんだよ。絶対に彼は。

(クボタタケシ)まあ、いいものをいっぱい残しましたよね。

(石黒景太)そうだよね。

(今里)最後に、クボタタケシさんの選曲でECDさんの曲をお送りして3人とはお別れです。

(クボタタケシ)はい。『ホームシック』から『いっそ感電死』。

(今里)石黒景太さん、クボタタケシさん、本根誠さん、ありがとうございました。

(一同)ありがとうございました!

ECD『いっそ感電死』



<書き起こしおわり>
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