宇多丸さん、高橋芳朗さん、DJ YANATAKEさんがNHK FM『今日は一日”RAP”三昧』の中でラップ・ヒップホップの歴史を振り返り。1990年代のヒップホップ黄金時代についてたっぷりと話していました。
(宇多丸)さあ、ということでラップの歴史を紐解く第三部。ラップの、本当にカンブリア爆発というか。たぶんサンプリングマシーンを使いこなすという技術が浸透して、それによって割と手軽に誰でも……この言い方をすると語弊があるけど、誰でも名曲が作れるようになったというか。そういう時代な気がしますよね。ラップの動き、1980年代後期から1990年代。これはまたね、別のゴールデンエイジがやってきたということです。
(高橋芳朗)うん。
(宇多丸)象徴的なのは、先ほども言いましたけども『Yo! MTV Raps』がいつ始まったんですか?
(高橋芳朗)1988年の9月ですね。
(宇多丸)ということで、映像的に見れるようになって。
(高橋芳朗)あと、8月には『The Source』というヒップホップマガジンが創刊されます。
(宇多丸)これはヒップホップ専門誌。
(DJ YANATAKE)同じ年なんですね。始まったのね。
(高橋芳朗)これがまたね。
(宇多丸)この『The Source』というか、ヒップホップ専門誌、批評会が果たした役割、90年代頭あたりで。このコーナーの途中あたりで重要な役割が出てきますので。この『The Source』という雑誌のことをよく覚えておいてください。ということで、80年代末。いわゆる、いままで僕らが聞いてきたものと一線を画する「ニュースクール」という動きが出始めます。これは一言でいえば、どういう感じ? いままでのラッパーのマッチョなイメージを覆す……。
(高橋芳朗)そうですね。否定するというか、ひっくり返す感じですよね。
(宇多丸)ひっくり返す感じで、非常にちょっと内省的だったり、おとなしい感じだったり。あるいは……。
(高橋芳朗)オタクな感じとか。
(宇多丸)オタクな感じとかもありな。
(DJ YANATAKE)ファッションとかもね、わかりやすく変わりましたよね。
(宇多丸)そうですね。ゴールドチェーンをジャラジャラで、それこそLL・クール・Jみたいにさ、素肌にゴールドチェーンジャラジャラ、みたいな。日本人には絶対に真似しようがないやつじゃなくて、もうちょっとね、日常的な。それこそ、ボタンダウンシャツを着ていてもおかしくない感じの。
(DJ YANATAKE)金のぶっといネックレスじゃなくて、手作りの革のメダリオンとか。
(宇多丸)まあアフロセントリックといって、アフリカ回帰。だから非常に意識が高い、お利口な若者たちというかね、そういう感じのイメージの若者たちが出てきた。代表的なグループはジャングル・ブラザーズ……これ、ジャングル・ブラザーズの話は後ほど、BOSEくんの話にも出てくるんで。ジャングル・ブラザーズは取っておきたいと思いますが。ア・トライブ・コールド・クエスト。そしてなによりもデ・ラ・ソウルでございます。
(高橋芳朗)うん!
(宇多丸)このデ・ラ・ソウルが1989年に『3 Feet High and Rising』というアルバムを出します。まあ、その前からすぐれたシングルを出していましたけど。とにかく、デ・ラ・ソウルが普通にチャートでヒットしましたよね。デ・ラ・ソウルがブレイクしたということで、特に日本のラッパーはめちゃめちゃホッとしたんです。つまり、日本でラップをする時に、さっきの(パブリック・エナミー)『Fight The Power』みたいに、それこそ「虐げられた黒人たちの歴史の怒りをぶつける!」みたいな時に、「俺たちはどうコミットすればいいわけ?」って思っていた我々が、「ああ、割と日本人の感覚に近いようなラッパーも出てきたし、俺たちは俺たちでいいんだ!」って心底思えたのはやっぱりニュースクールの登場。特にデ・ラ・ソウル。
(高橋芳朗)「僕たちもラップしていいんだ!」っていう。
(宇多丸)はい。そしてまさにデ・ラ・ソウルのその大ヒットシングルが「俺は俺でいいんだ」っていう、そのテーマだった。しかもビデオが、まさにさっきの『Yo! MTV Raps』でいっぱい流れましたけども。マッチョなラッパーたちをちょっと揶揄するようなね。「笑っちゃうよ、ああいうの」っていうようなビデオだったりして。日本人ラッパーとしては特に勇気をもらった。あと、ネタ使いもこれまでのジェームズ・ブラウンとかのいなたいファンクから、こちらはPファンクをサンプリングしてというあたり。音像的にも新しかったということで。非常にここからの時代はみなさん、曲が一気に華やかになってまいりますので、聞きやすくなってきます。それではお聞きください。1989年、大ヒットしました。デ・ラ・ソウルで『Me Myself And I』。
De La Soul『Me Myself And I』
(宇多丸)はい。非常にポップですよね。デ・ラ・ソウルで『Me Myself And I』をお聞きいただいております。
(高橋芳朗)デ・ラ・ソウルってアルバムだとね、ネタとしてスティーリー・ダンを使ったりだとか。あとホール&オーツを使ったり。あと、子供用に言葉の教材?
(宇多丸)フランス語のね。
(高橋芳朗)フランス語の教材を使っていたりとか。そういうサンプリングのネタがすっごいカラフルになって。
(宇多丸)さっき言った、要はビースティ・ボーイズぐらいまではやっぱりオールドスクールの現場で使われていた、実は定番だったブレイクビーツのネタが元になっていたりするんだけど、デ・ラ・ソウルで一気にネタ完全解禁っていうか。もう何をネタにしてもいいんだっていうことになって、自由度が一気に広がったという感じですね。あと、ラッパーのスタンスとしても自由度が高まったということで。デ・ラ・ソウルのブレイクは本当に一大エポックだと思いますね。
(高橋芳朗)日本のラップにとっては本当にそうですね。
(宇多丸)そうなんですよ。じゃあちょっとニュースクール、このジャングル・ブラザーズ、デ・ラ・ソウル、ア・トライブ・コールド・クエスト。あとクイーン・ラティファ。いまだに女優でも大活躍していますけども。あと、モニー・ラブ。まあネイティブ・タンというクルーを組んでいたりなんかしてね。そのネイティブ・タンからやはり、これね。リストを作っていて、トライブをかけないわけにはいかない。
(高橋芳朗)アハハハハッ!
(宇多丸)でもトライブなんか、どれをかけるの?っていう話だけど。名曲が多すぎて!
(高橋芳朗)まあでも、この曲のネタ使いも当時、すっごい衝撃的でしたよね。
(宇多丸)さっきの「ネタ使いの自由度が高まった」っていうのを象徴するような。これはファーストアルバムからですか?
(高橋芳朗)そうですね。
(宇多丸)僕、でもね、トライブのファーストアルバム、いまだにタイトル、長すぎて覚えられないです。
(高橋芳朗)『ピープル・ナントカ』ね(笑)。
(宇多丸)そう(笑)。『People’s Instinctive Travels and the Paths of Rhythm』……『ピープル・ナントカ』って(笑)。アハハハハッ! じゃあね、トライブのファーストアルバム『ピープル・ナントカ』から1990年のアルバムですけど、そこからカットされました『Can I Kick It?』。
A Tribe Called Quest『Can I Kick It?』
(宇多丸)はい。ということでア・トライブ・コールド・クエストのファーストアルバム『ピープル・ナントカ』から(笑)。『Can I Kick It?』を。
(高橋芳朗)ルー・リードの『Walk on the Wild Side』という曲をループしているんですね。
(宇多丸)ちなみに、ア・トライブ・コールド・クエストはさっき言ったネイティブ・タンの中でもやっぱり頭一つ抜けていてビッググループになっていくというか。次から次へ、このファーストももちろん素晴らしかったけど、もう歴史的革命的名盤のセカンド『The Low End Theory』。そしてサードの『Midnight Marauders』とか。その先にも……また時代が変わっていく。後ほど、J・ディラが登場する話なんかも触れると思います。ちなみにこの時間帯、たっぷり使えます。この90年代は名曲が多すぎて。85分使えるんで。
(高橋芳朗)約1時間半ね(笑)。
(宇多丸)いま10分すぎたから、あと75分使えるから!
(高橋・ヤナタケ)アハハハハッ!
(宇多丸)もうやりたい放題です。いきますよー、やりたい放題。まあ、そん中でもね、かけきれない曲は……サー・ミックス・ア・ロットとかね、売れていたのにね。お尻のセットでこうやって歌っていたりするんだからさ。
(高橋芳朗)はいはい。あと、トーン・ロックの『Wild Thing』とか。
(宇多丸)そうだよ。普通に売れたのはそっちだよ。ヤング・MCとか。
(高橋芳朗)『Bust A Move』とかね。
(宇多丸)2・ライブ・クルーとかね。
(高橋芳朗)『Me So Horny』。
(宇多丸)まあ、後ほどシーンの概観みたいな話はしたいと思いますが。ということで、ナードなというかオタクな感じ。おとなしい感じの子たち。ニュースクールが台頭してきたわけですけど、同時期に先ほど、スクーリー・D。覚えてらっしゃいますかね? 『PSK, What Does It Mean?』。
(高橋芳朗)まあ、ギャングスタ・ラップのルーツですよ。
(宇多丸)あるいは、アイス・T。これは映画俳優としても活躍していますからご存知の方も多いでしょう。『Colors』なんか。アイス・Tなどをルーツとするギャングスタ・ラップが本格的に台頭。で、その立役者となったのが最近、伝記映画がもう世界的にも大ヒットしましたし。素晴らしい映画だったから。『ストレイト・アウタ・コンプトン』で改めて知った方も多いんじゃないでしょうか? N.W.A.というね。これは何の略かは私は言うのをちょっと控えておきますが……。
(高橋芳朗)ちょっと言いづらい。
(宇多丸)いわゆる「Nワード」が含まれておりますが。まあ、ギャングスタ・ラップの代表格N.W.A.が登場するということですね。
(高橋芳朗)世界でもっとも危険なグループですよ。
(宇多丸)N.W.A.はやっぱりどこが革命的だったわけですかね? やっぱりリリックの内容……アイス・キューブという稀代の天才ラッパーがいてというところもありますしね。あと、キャラがね。これは映画を見るとわかりますけど、個々のキャラが立っている。そしてもちろん、トラックメイカーとしてこれはヒップホップ史上でまあ、ベストプロデューサー。
(高橋芳朗)ナンバーワン・プロデューサーと言っていいんじゃないですか?
(宇多丸)ドクター・ドレーを擁するということで。まあそういうN.W.A.ですけども。とりあえずN.W.A.、聞いてもらいましょうか。荒っぽい曲ですね。こちら、1988年の曲です。N.W.A.で『Straight Outta Compton』。あ、補足?
(高橋芳朗)映画『ストレイト・アウタ・コンプトン』、みなさんご覧になった方も多いと思いますけども。
(宇多丸)見ていない方は見てください。いい映画です。
(高橋芳朗)あれで見ちゃうと、N.W.A.の捉え方がまた当時とちょっと違うところがありますよね。
(宇多丸)なんかすごくいまの問題意識に合わせた描き方をしてますよね。
(高橋芳朗)ここ数年、ポリスハラスメントが問題になっていたりして。白人警官が黒人に暴力をふるったりするという。
(宇多丸)まあN.W.A.の代表曲で、今日はNHKだから控えますけども。『F*ck The Police』っていう曲がありますけども。それに合わせたような描写になっているけど、そんな意識高い系の要素は微塵もないですよね!
(高橋芳朗)そうですよね。当時は全然そんな感じじゃなかったっていう。
(宇多丸)もっと、単に本当のワルがドーンと来たっていう感じでしたよね。
(高橋芳朗)このジャケットもなんか、グルッとメンバーが囲んで、ピストルをカメラに向けているという。
(宇多丸)最後に見る瞬間の画がこれは嫌だという。ということで、準備はよろしいでしょうか。N.W.A.で1988年の曲です。『Straight Outta Compton』。
N.W.A.『Straight Outta Compton』
(宇多丸)はい。ラップだけ聞いてもどんだけメンバーのキャラが立っているかっていうのがわかるかと思います。
(高橋芳朗)しゃべりだそうとした時にイージー・Eのラップが来て。
(宇多丸)最後、やっぱりね! 最後の甲高いのがイージー・Eというね。
(DJ YANATAKE)全然これ、曲の間は休まらないですね(笑)。ああだこうだしゃべって(笑)。
(宇多丸)N.W.A.で『Straight Outta Compton』を聞いていただきました。だからこの曲は、まあギャングスタ・ラップを象徴する1曲でもあるけども、マイクパス物っていうかさ。ラップの大きな魅力で、いろいろとキャラクターが立ったラッパーが次から次へとマイクを渡していって、どんどん次から次へと出てくる楽しさっていうね、これもありますし。あと、やっぱりこれ、言っている内容が超怖いとかってさ、面白いのは映画を見た方ならわかると思いますが、アイス・キューブは全然大学に行っていたりして。
(高橋芳朗)インテリですから。
(宇多丸)本人たちは別に……まあギリでイージー・Eがドラッグディーラーだというぐらいで。ギャングでもなんでもないんだけど、実際に彼らの周囲にあった怖い話みたいなのを見事なストーリーテリングでまとめあげるという。そして顔がきっちり怖いという。
(高橋芳朗)アハハハハッ! 眉毛が10時10分になってますから。
(宇多丸)アイス・キューブは顔が怖いのがスキルっていうのはやっぱりありますよね。わからない方は「アイス・キューブ」でね、検索をしていただくととてつもない顔が出てきますからね。
#nowplaying アイス・キューブ – Better Off Dead / AmeriKKKa's Most Wanted pic.twitter.com/nEgbMSx32V
— Straight Outta Rokunohe (@riaaka0811) 2018年1月14日
(高橋芳朗)でもやっぱりイージー・Eのラップが来るとちょっと怖っ!っていう感じに。緊張が走りますよね。
(宇多丸)あのね、弱っちい声で怖いことを歌われると怖いっていうのは……これ、弱っちいかはわからないけど、甲高い声っていうか。これはこの後にサイプレス・ヒルのB・リアルとか。あとね、アバブ・ザ・ロウのCold 187umとかね、そういう系譜があるんですよ。日本だとだからD.O.くんがああいう甲高い声で怖いことを歌うっていう系譜を見事に。彼はよくわかっているなという風に思いますね。
(高橋芳朗)イージー・Eが来ると本物のバイオレンスが入ってきたな!っていう感じがしますね。
(宇多丸)要するにさ、本来音楽とかやってねえだろ?っていう感じがね、いいんですよね。ということで、あとN.W.A.はやはりもうひとつ重要なのは、コンプトンというのはLAの街なわけで。アイス・キューブなんかは「別にコンプトン出身じゃないのに」って言っているんですけども。要は、ヒップホップの中心地が、特に売れているラップはもうこの時点でニューヨークじゃなくなってきてますよね。全然ね。LA……たとえばさっき挙げたトーン・ロックとかは全然西海岸だったりして。
(DJ YANATAKE)そうですね。
(宇多丸)ということで、地方にどんどんヒップホップの盛り上がりが拡散していくというか、移っているという感じですね。たとえば、マイアミの2・ライブ・クルー。2・ライブ・クルーはもうずーっと人気がありましたよね。猥褻な歌詞で人気でしたしっていうあたりで、地方に移っていくという話。ヨシくん、お願いします。
(高橋芳朗)そうですね。ここでいちばん注目したい代表的存在がですね、テキサスのヒューストンから出てきましたゲトー・ボーイズ。
(宇多丸)テキサスって要するに、後にヒップホップの中心地が南部(サウス)にニューヨークから移っていっちゃうっていうか。そんぐらいになっちゃう。その先駆け的なことでよろしいんでしょうか?
(高橋芳朗)そうですね。もう、N.W.A.がブレイクしたことによって小型N.W.A.って言ったら申し訳ないけど、そういうのがバンバンバンバン、アメリカの地方で出てくるわけなんですけど。その中でもゲトー・ボーイズがいちばん衝撃だったかなという。
(宇多丸)そう。まさにギャングスタ・ラップだけじゃなくて、ギャングスタそのものもN.W.A.の影響で増えちゃったということはクーリオという、『Fantastic Voyage』とか『Gangsta’s Paradise』という曲でヒットを飛ばして。俳優としても活躍していましたけど、クーリオに私、直接インタビューした際にですね、クーリオさんがやっぱりすごく腹立たしげに「あいつらが出てきたおかげでギャングが全国に増えて暴力沙汰・死亡が増えてとんでもないことだ!」って怒ってましたけどね。そういうことでじゃあ、地方……これからお聞きいただくのはゲトー・ボーイズですね。
(高橋芳朗)はい。
(宇多丸)ゲトー・ボーイズのこれからお聞きいただく曲のアルバム。1991年のアルバム『We Can’t Be Stopped』というアルバムなんですけど。みなさん、これぜひお手元にスマホやパソコン等ある方は画像検索をしてください。このジャケット、ブッシュウィック・ビルさんというラッパーが銃で目を?
(高橋芳朗)ガールフレンドに痴話喧嘩で目を銃で撃たれて病院に運ばれてきたという。
(宇多丸)その瞬間の写真がね。痴話喧嘩じゃねえか! 別にギャングと関係ねえだろ!っていう感じが。
Geto BoysのWe Can't Be Stopped、ジャケ #zanmai pic.twitter.com/p7CzNs0bJi
— imdkm (@S_T_A_Y_P_U_F_T) 2018年1月8日
(DJ YANATAKE)めっちゃ目を怪我してるんだけど、病院の前で記念撮影しているっていう(笑)。
(高橋芳朗)フハハハハッ!
(宇多丸)だから「撃たれた!」って。だってほら、横のスカーフェイスとかはおめかししてるじゃん? だからジャケを撮る気満々ですよね。とりあえずね。「写真、撮るぞ!」っていうね、このジャケ。たぶんポップ・ミュージック史上に残る悪趣味なジャケですね。
(高橋芳朗)強烈なジャケでしたね。本当にあれは。
(宇多丸)じゃあ、ゲトー・ボーイズはヨシくん、曲紹介をお願いします。
(高橋芳朗)じゃあ聞いてください。ゲトー・ボーイズで『My Mind Playing Tricks On Me』です。
Geto Boys『My Mind Playing Tricks On Me』
(宇多丸)はい。ゲトー・ボーイズ『My Mind Playing Tricks On Me』を聞いていただいております。1991年。これ、すごい売れたですけど。先ほどのセンセーショナルなジャケットについての本人たちの証言を……。
(高橋芳朗)『チェック・ザ・テクニーク』という本で、当時の供述があるんですけども。メンバーのウィリー・Dが「アルバムを全部終わったと思ったら、ブッシュウィック・ビルが撃たれた。とにかく俺たちはアルバムを出さなきゃいけない状況まで来ていたんだけど、まだジャケットができていない。誰のアイデアかは知らないけど、『そうだ。すぐに病院まで行って、向こうで撮ろう!』」と(笑)。
(DJ YANATAKE)わざわざ行ったの?(笑)。
(高橋芳朗)それで実際に本当にあのままで。「作り物だ」って言う人もいっぱいいたけど、完全にあれは本物だと。
(宇多丸)結構目が飛び出ちゃって。
(高橋芳朗)それでブッシュウィック・ビルはあのジャケットの写真について、後悔の念を表しているという。
(宇多丸)ああ、あんなのをジャケにしちゃって?
(高橋芳朗)「あのジャケットを見ると、いまでも胸が痛む。俺が経験した個人的なことだから」って(笑)。
(宇多丸)そりゃそうだよ!(笑)。
(高橋芳朗)「あんなことをさせたのは大間違いだった」っていうね(笑)。
(宇多丸・ヤナタケ)フハハハハッ!
(宇多丸)笑っちゃあ失礼ですけどね。
(高橋芳朗)でも、そのぐらい衝撃な。
(宇多丸)ただまあ、あのジャケのインパクトもあって売れたっていうのもあるでしょうからね。ちなみに、その地方からどんどん群雄割拠をしてくるという意味では、後に一大中心地になっていくアトランタからジャーメイン・デュプリというね、一大プロデューサーが出てきて。クリス・クロスの『Jump』っていう曲が大ヒットしたりとか。
(宇多丸)同じくアトランタから、もうアトランタを代表する大グループ、アウトキャストがデビュー。93年。
(高橋芳朗)あと、テキサスからもUGKが1992年にもうデビューしていますね。
(宇多丸)で、実際にもう売れているのはそっちの方だったりするんですよね。で、いままで言ってきたのは、デ・ラ・ソウルとかがたとえばサンプリングというか。音楽像的な可能性を切り開いた。あるいは、ラッパーのスタンスの、いろんなやり方があるよというのを切り開いた。で、ラップをやる地方もいろんなところに。一言でいえば、ヒップホップ・ラップの拡散の時代じゃないですか。それが思うに89年、90年ぐらいに起って。で、みなさんご存知MCハマー。あるいはヴァニラ・アイスとかそういうのがポップヒットを飛ばしたという。
(高橋芳朗)これが1990年ですね。
(宇多丸)あ、いま後ろで流れているのはクリス・クロスの『Jump』。1992年ですね。『Jump』はかっこいいですよね。
(宇多丸)ハマー、出ますかね? あ、来ました。ちょっとみなさん、聞いてみましょう。
(宇多丸)はい。ということでみなさんご存知MCハマー。大ブレイクして。その後に白人ラッパーのヴァニラ・アイスというのが登場して。ラップは一気にポップでクロスオーバーなヒットを飛ばすようになったんですが……で、たぶんロックと同じ道筋を言ったら、その白人ラッパー……まあ後にね、エミネムっていうめちゃめちゃな怪物ラッパーが登場するんですが、それはまた置いておいて。このままヴァニラ・アイスとかばっかりが売れて、黒人アーティストはそんなに売れなくなって、みたいな。そういう、要するにエルヴィスがロックンロール・キングであるような歴史というのになりかねなかったところで、やっぱりヒップホップは強烈な揺り戻し、バックラッシュ、自浄作用という感じが起こって。
(高橋芳朗)そうですね。
(宇多丸)そこでやっぱり、先ほど言った『The Source』という専門誌が非常に硬派な批評的土壌を作ったんですよね。で、ちゃんとオールドスクール回帰みたいなのも1990年代初頭に起こったりとか。そういうハマーとかヴァニラ・アイスとか、そういうポップな感じのラップに対する批判的な……曲も出しましたよね。サード・ベースっていう。これも白人ラップグループだけど、サード・ベースの『The Gas Face』っていう曲で強烈にハマーとかをディスったりっていうのもありましたね。というあたりで強烈にハードコア化への揺り戻しが起こる。これはすごくヒップホップの歴史の中で重要な出来事だと思っているんですけどね。ああ、これはサード・ベースの『The Gas Face』ですね。
(DJ YANATAKE)全然個人的なことなんですけど、さっきInstagramに今日のこの番組の告知をしたら、このサード・ベースのMCサーチから「3RD BASS」ってコメントが来たんですよ。「俺の曲、かけろ!」ってことだと思うんだけど。かかってよかったなって。
(宇多丸)アハハハハッ! じゃあちょっと『The Gas Face』を聞こうよ。
(しばし曲を聞く)
(宇多丸)はい。サード・ベースね。
(DJ YANATAKE)よかった! かけたよー!(笑)。
(宇多丸)MCサーチさん、ご満足いただけたでしょうか? あの、ヤナタケさんは個人的にサード・ベースが来日した時に……。
(DJ YANATAKE)たまたま高校生の時なんですけど、ちょっと知り合うきっかけがあって。来日期間中にずーっと一緒にいたんですよ。高2の夏休みなんですけど。
(高橋芳朗)すごい体験だね!
(DJ YANATAKE)すごく体験で。そのことはインターネットを探していただければ、出てくるんで。興味ある方は見てみてください(笑)。
(宇多丸)まあ、ということで、やっぱりロックンロールの歴史から学んだというべきか、ヒップホップがものすごくヒップホップの純粋性というか、それを守るために自浄作用が本当に起こって、ハードコア回帰が起こる。あるいは、オールドスクールっていうか、ヒップホップの元の精神に帰れ!っていうそういう動きが強烈に起こって。もう91年には90年までに流行っていたようなポップな感じのラップは全然いなくなっちゃいましたよね。駆逐されたというか。
(高橋芳朗)完全に駆逐されたっていう感じですね。
(宇多丸)ねえ。ただし、音楽像としてポップ化したというか。非常に聞きやすくなった面というのはそのままに。要するに、進化した部分はそのままに、アティチュードはハードコアにっていう姿勢。これを統合したようなグループが登場する。象徴しているあたりで、ノーティ・バイ・ネイチャーというグループ。ちょっとこう、バットを持っていたりとか、見た目はめちゃめちゃ怖い。
(高橋芳朗)廃墟でみんな立っているんだけども、曲は結構ポップ。
(宇多丸)曲はポップ。非常に乗りやすい曲であったりするというあたり。象徴的なものをお聞きください。1991年の曲です。ノーティ・バイ・ネイチャーで『O.P.P.』。
Naughty By Nature『O.P.P.』
(宇多丸)はい。ということでノーティ・バイ・ネイチャー。アティチュードはハードながら、曲はジャクソン5『ABC』をネタにしてということで、めちゃめちゃ聞きやすい。この後もね、たとえば『Hip Hop Hooray』っていうね、いまだに僕、ライブで「hey, ho!」っていうのをやってね。『ウルフ・オブ・ウォールストリート』でね、ジョナ・ヒルとディカプリオが船上ではしゃいでいるシーンでおなじみの(笑)。
(高橋芳朗)あれでちょっとバカソングみたいになっちゃったけどね(笑)。
(宇多丸)フハハハハッ! っていう、『Hip Hop Hooray』なんて曲もあったりしますが。そんな感じで割とヒップホップシーンがポップさとハードコアさとの折り合いをつけていく。そういうのが割と早い段階で……たったまた1年でね、風向きが変わるのがすごいですよね。一方で、ロックミュージシャンにも造詣が深い高橋芳朗さん。やっぱりこんだけヒップホップが盛り上がってくると、いろんなジャンル的なクロスオーバーというか。
(高橋芳朗)そうですね。結構オルタナティブヒップホップみたいに言われるようなアーティストが出てきて。アレステッド・ディベロップメントとかね。
(宇多丸)アレステッド・ディベロップメントは実は日本のアーティストに与えた影響がすごく強くて。たとえばRIP SLYMEのPESとかはめちゃめちゃアレステッド・ディベロップメントのスピーチというリーダーの影響をめちゃめちゃ受けていると思いますけどね。とかね。
(高橋芳朗)はいはい。あと、サイプレス・ヒルとかね。
(宇多丸)後ほどね、サイプレスはちゃんと曲を聞きましょう。サイプレスはロックシーンからもめちゃめちゃ支持を受けましたよね。
(高橋芳朗)あと、ヒップホップアーティストとロックアーティストのコラボも割と積極的に行われるようになって。有名なところだと、パブリック・エナミーとアンスラックスの『Bring The Noise』。
(宇多丸)『Bring The Noise』のアンスラックスバージョンとかね。
(高橋芳朗)あと、アイス・Tがボディ・カウントっていうハードコアバンドをやったり。
(宇多丸)それこそね、この頃のアイス・Tは本当に物議を醸しまくって。話題にもなっていましたし。
(高橋芳朗)あともうちょっと先の1993年ぐらいなんですけど、ヒップホップとロックの共演だけで構成されたサウンドトラックの『Judgment Night』っていう。
(DJ YANATAKE)これがね、大好きだったなー!
(宇多丸)じゃあ、『Judgement Night』からなんか……。
(DJ YANATAKE)いやいや、なんですかね。あんまり日本でヒップホップを語る時、意外とこのへんのロックとの結びつきが語られないのが腑に落ちないぐらい、その頃にすっごい流行っていたのに……っていう。
(高橋芳朗)じゃあ、サイプレス・ヒルをかけてから行きましょうか。
(宇多丸)いま、チラッと名前が出ましたサイプレス・ヒル。とにかくB・リアルというラッパーのものすごい甲高い声と、セン・ドックっていうもう1人のラッパーの野太い声のこのコントラスト。
(高橋芳朗)あと、DJマグスという……。
(宇多丸)DJマグスのトラックの荒々しさ。そしてもう言っていることが怖すぎるというね(笑)。ということで、サイプレス・ヒルの1991年。これはアルバムを出した直後はあんまり話題になっていなかったんだけど、ジワジワジワジワ、「このアルバムはヤバい!」って話題になってブレイクしましたね。サイプレス・ヒルで『How I Could Just Kill a Man』。
Cypress Hill『How I Could Just Kill a Man』
(宇多丸)ねえ。「理解できませんよ!(Here is something you can’t understand)」っていうね。
(高橋芳朗)怖い、怖い(笑)。
(宇多丸)サイプレス・ヒル『How I Could Just Kill a Man』でした。ということで、ちょうどこのトラックを作っているDJマグス。結構一世を風靡したというか。ロックファンからもすごい支持を受けていましたけど。ちょっとそれで思いついて。僕がヤナタケに「あれをかけようよ!」っていまリクエストしたのは、最近だとLDH、EXILE TRIBEの作った映画『HiGH&LOW』の世界で鬼邪高校という……。みんな大好き、鬼邪高校のテーマソングとして。
(高橋芳朗)フハハハハッ! またその話してる……(笑)。
(宇多丸)おなじみ、『Jump Around』という曲。これ、DOBERMAN INFINITYがね、これは実はカバーなわけですね。元はあれは1992年かな?
ハウス・オブ・ペインという、これはアイリッシュを打ち出したグループですよね。そのハウス・オブ・ペインの『Jump Around』ということで。いまだにやっぱり、鬼邪高校で「デーン!」って、あのイントロがかかるだけでやっぱりアガるじゃないですか。いま聞いてもアガるんだっていう。ねえ。村山さんの顔が浮かんでくるという(笑)。ハイローの話になっているよ(笑)。ということで、元の曲をお聞きください。ハウス・オブ・ペインで『Jump Around』。
House Of Pain『Jump Around』
(宇多丸)はい。これを聞いていただけるとDOBERMAN INFINITYのカバーがラップの聞こえというか、フロウの部分まで完全にコピーしているのが分かります。いやー、鬼邪高校。みんな大好き鬼邪高校がね(笑)。
(高橋芳朗)アハハハハッ! まさかの……まさかのハイロー(笑)。
(宇多丸)まさかのハイロー話ということですねー。
(高橋芳朗)ちょっとじゃあロックとヒップホップの融合みたいなところで。ヤナタケセレクションを。
(DJ YANATAKE)そうなんですよね。その当時から日本でも結構いろいろとあったと思うんですけど、ヒップホップも僕、遊ぶ場所で種類がわかれていたような気がして。渋谷・六本木で遊ぶ人と、原宿・新宿・下北沢で遊ぶ人たちでちょっとヒップホップでもね、聞く種類が違ったような気がするんですよね。
(宇多丸)新宿はちょっとロック寄りなね。
(高橋芳朗)そうなんですよ。なんで、そういう方面ではもう、めちゃくちゃ流行っていたし。普通にクラブでかかってモッシュとかもしていたんですよね。そういう状態があったんですよね。
(宇多丸)じゃあ、それを象徴するような?
(高橋芳朗)象徴するようなのは、さっきも言ってましたけどもパブリック・エナミーの『Bring The Noise』という曲をロックバンド、スラッシュメタルバンドのアンスラックスが……。
(宇多丸)「デレレレーッ! デレレレーッ! ベーイス!」。
(高橋芳朗)フフフ(笑)。
(DJ YANATAKE)なんて言うんですかね? エアロ・スミスの曲をラン・DMCがやったんじゃなくて、今度はバンド側の方の人からヒップホップにアプローチがあったということもすごくエポックな感じだったし。当時これで本当にめちゃくちゃ暴れまくっていたのを本当に思い出すんで。これをぜひ聞いていただきたいなと思います。それではパブリック・エナミー with アンスラックスで『Bring The Noise』。
Anthrax & Public Enemy『Bring The Noise』
(宇多丸)はい。ということでパブリック・エナミー&アンスラックスで『Bring The Noise』。これね、リクエストも来ていました。(メールを読む)「もともとメタル野郎です。アンスラックスの『Attack of the Killer B’s』でこの曲を聞いてぶっ飛びました。メタルとヒップホップのミクスチャーの先駆けだったと思います。かけてください。お願いします」ということで、かけました。
(DJ YANATAKE)この頃、本当にレッド・ホット・チリ・ペッパーズとかレイジ・アゲインスト・ザ・マシーンとかがグワーッと盛り上がってきたのもそうだし。ヒップホップとロックがいちばん本当に近づいた年だったんじゃないかと思うのと。あと、エポックなのはビースティ・ボーイズのサード・アルバムの『Check Your Head』。あれで自分たちが……彼らは楽器もできたので。自分たちが演奏した音をサンプリングして曲を作るという、また新しいね。
(宇多丸)ビースティの『Check Your Head』は革命的アルバムですよね。ちょっと一瞬聞こうか。
(DJ YANATAKE)これは『Pass the Mic』という曲です。
Beastie Boys『Pass the Mic』
(宇多丸)はい。ビースティ・ボーイズ『Pass the Mic』です。
(高橋芳朗)サイプレスと一緒にツアーとかもしていましたね。たしかね。
(DJ YANATAKE)そうですね。すごいあのへんがつながっていて。
(宇多丸)もうLAに本拠地をセカンドから移していますからね。ビースティ・ボーイズはね。
(DJ YANATAKE)で、さっきちょっと裏でかけていたんですけど、ハウス・オブ・ペインの『Jump Around』の次に出たシングル『Shamrocks and Shenanigans』っていうのの『Butch Vig Remix』っていうのがあって。それもロックリミックスになっているんですけど。で、そのブッチ・ヴィッグさんっていうのはサブ・ポップレーベルっていうニルヴァーナとかもかつて所属していたレーベルのボス。その手によるリミックスがあったりとか。
(宇多丸)ああ、そうなんだ!
(DJ YANATAKE)いろんな方面で……あとはミクスチャーだとフィッシュボーンっていうバンドがいて。もう本当に大好きなんですけど。そのビデオとかはスパイク・リーが監督してとか。結構そういう、ロックと本当にいろんな密接なつながりがあったところなんですよね。
(高橋芳朗)いろいろ思い出してきた。KRS・ワンがソニック・ユースとかREMとかと共演したりとか、ありましたよね。
(宇多丸)だいぶだから、他のジャンルにしっかり市民権をというか、むしろイケてるのはヒップホップだっていう感じにだんだんとなってきた時代という。
(DJ YANATAKE)逆にロックの人たちがヒップホップを取り入れたいみたいな感じの時期だったんじゃないでしょうか。
(宇多丸)はい。そんな90年代、さらにというか、ある意味90年代に起こった最大の事件というか。さっきのN.W.A.のプロデューサーだったドクター・ドレーがイージー・Eと袂を分かって。もちろんそれまでも素晴らしい作品を作ってきたんだけど、独り立ちした途端、まあネクストレベルに完全に行ってしまった。ドクター・ドレーの時代がやってくるわけですね。
(高橋芳朗)自らデス・ロウレコードを立ち上げるとともに、ギャングスタ・ラップをより聞きやすくした。ポップ化したような。
(宇多丸)そうですね。トラックもそうだし、内容ももう、あんまり人殺しとか怖いことは歌わずに、楽しもうぜって。好きなものをカマして楽しもうぜみたいな、そういう方向にシフトしていったというね。まあ、ギャングスタ・ラップのポップ化と言ってもいいかもしれません。
(高橋芳朗)Gファンクとかね。
(宇多丸)Gファンクと呼ばれる、トラック的にも非常に特徴的なということで。さらに、やっぱりドクター・ドレーが僕、第一線で勝ち残り続けてきた理由のひとつに、ラッパーを選ぶ、選球眼ならぬ選ラッパー眼というか。それがもうずば抜けているんですよ。
(高橋芳朗)審美眼はすごいですよ。
(宇多丸)だって、まずアイス・キューブ。で、そのあとにD.O.Cっていうね、アルバム丸ごと歌詞とかを書いたすごい優れたラッパーのD.O.Cがいて。で、さらにこのデス・ロウではスヌープ・ドッグ(スヌープ・ドギー・ドッグ)というね。で、このスヌープ・ドギー・ドッグはさらにまた新世代感というか。全然マッチョじゃないというか。
(高橋芳朗)ひょろひょろのね。
(宇多丸)で、フニャフニャフニャフニャ、メロディックにラップして。で、ビデオで僕、印象的だったのはカメラを見もしないっていう。だから僕はギャングスタ・ラップ界に登場したデ・ラ・ソウルじゃないけど。そういうニュースクールが来たなっていう感じがすごいしたんですけど。
(高橋芳朗)いまはスヌープっていうと、ちょっとおもしろおじさん化しているところがあるけども。まあ、殺気を感じたというか。怖かったですよね。
(宇多丸)何を考えているのかわからない感じがね。ということで、時代を変えたGファンク。それを象徴する1曲ということで。これはヨシくん、紹介をお願いします。
(高橋芳朗)じゃあ、聞いてください。ドクター・ドレーで『Nuthin’ But A G Thang feat. Snoop Dogg』。
Dr. Dre, Snoop Dogg『Nuthin’ But A G Thang』
(宇多丸)はい。ということでドクター・ドレー feat. スヌープ・ドギー・ドッグ。当時ね。いまはスヌープ・ドッグですけども。『Nuthin’ But A G Thang』でした。でね、このアルバム『The Chronic』。ヒップホップ史上に残る名盤。私はこれね、『Nuthin’ But A G Thang』もいいんですけど……『Let Me Ride』が聞きたいんで。僕のリクエストです。『Let Me Ride』!
(高橋・ヤナタケ)アハハハハッ!
Dr. Dre『Let Me Ride』
(宇多丸)これね、ちょっと注目してください。途中で半端小節から次のバースが入るという、これはドクター・ドレーが得意としているところで。ここがかっこいい!
(Dr. Dre)「Just another motherfucking day……♪」
(宇多丸)かっこいいーっ! これですよ! 『Straight Outta Compton』の入りとかもそうだけど、ああいうの。
(高橋芳朗)これはでも本当に車に乗りながら聞きたい感じの曲ですよね。
(宇多丸)もう、全然。俺、免許持ってないのにね(笑)。
(高橋芳朗)僕もないです(笑)。じゃあ、ちょっとGファンクをたたみかけますか?
(宇多丸)たたみかけましょう! もう一発! 稀代のスーパースター、スヌープ・ドギー・ドッグの記念すべきソロデビューアルバムから。行きましょうか。『Who Am I (What’s My Name)?』。1993年の曲です!
Snoop Dogg『Who Am I (What’s My Name)?』
(宇多丸)ねえ。だいぶ華やかに。ウェイウェイ感が出てきましたよね!
(DJ YANATAKE)アハハハハッ! ウェイウェイ感(笑)。
(高橋芳朗)これはでも、(ジョージ・クリントン)『Atomic Dog』のこのビートの旨味を引き出した感じが最高です! 気持ちいいです。
(宇多丸)うん! ドクター・ドレーのプロダクションの特徴として、サンプリング時代……まだまだ、実はこの時代はサンプリング全盛期の只中に、演奏というか。ミュージシャンに演奏をしてもらって、そのいちばん気持ちいいところを。で、いくら繰り返して聞いても飽きないループみたいな。最小の、いちばん気持ちいいループを見つけるというか。でも、それが実は音楽でいちばん難しいことっていうか。だし、できればいちばんかっこいいことで。それを量産してしまう男だからドクター・ドレーは恐ろしい男ですよね。
(高橋芳朗)すごかったなー。はいはい。
(宇多丸)あと、これもちょっと触れておかなきゃいけない。
(高橋芳朗)話がちょっと前後しますが、さっきはロックとヒップホップの融合みたいな話をしましたけど、ヒップホップとR&Bの距離がすごいグッと縮まってきたタイミングでもあるんですね。で、1991年にはクイーン・オブ・ヒップホップ・ソウルとしてメアリー・J.ブライジが登場します。それを仕掛けたのが後にバッドボーイを興すショーン・パフィ・コムズ。彼がヒップホップの名曲をバンバンバンバン使って。いま、後ろでかかっていますね。これは『Real Love』ですか。オーディオ・トゥーの『Top Billin’』とかを使ったりとか。
(宇多丸)そうだね!
(高橋芳朗)まあ、「ちょっとあざとい」とかよく批判されていましたけども。
(宇多丸)いやいや、でも僕はこの『Real Love』は『Top Billin’』の特徴的なビートパターンとメロディーが完全に有機的に絡んでいて。これは来たな!って思いましたよ。あとは?
(高橋芳朗)TLCも同じ年に出てきます。R&BグループのTLCにレフト・アイっていうラッパーが入っているんだよね。
(宇多丸)最初から、デフォルトでいるというね。
(高橋芳朗)これがまた、そのヒップホップの盛り上がりを象徴するようなグループかなと思います。
(DJ YANATAKE)TLCも92年だ。
(宇多丸)どんどんね、ヒップホップと歌モノの境目って……たとえばもう現在では境目はないじゃないですか。シームレスじゃないですか。そういう時代にどんどんなっていくという感じですかね。
(高橋芳朗)でもメアリー・J.ブライジの『Real Love』は本当にさっき宇多丸さんも行っていましたけど、衝撃的で。このループ感のあるトラックに歌が乗っているって、なんじゃ、こりゃ?っていう。
(宇多丸)しかもそれがちゃんといい歌感になっているという、驚くべき。
(高橋芳朗)これは鮮烈でしたね。
(宇多丸)ということで、いろんなヒットを飛ばすような世界を……ドレーとかはポップチャートでも売れるような。一方でね、これはやっぱり日本の、しかも東京・渋谷の近くで放送しているわけですから、これは宇田川町的にね。そこのレコ屋の店員さん!
(DJ YANATAKE)あ、はい。すいません。
(宇多丸)レコ屋の店員さん的に当時、日本人。特に東京の子たちが熱狂していた音楽像っていうと、やはりニューヨークサウンドというか。90年代東海岸サウンドの世界っていうのがあるわけですよね。甘美な世界が。
(DJ YANATAKE)これにね、またここに狂わされた世代がいっぱい今日は聞いてるんでしょうね!
(高橋芳朗)アハハハハッ!
(宇多丸)これがね、でもこれは僕は持論として、やっぱり日本人が聞いていちばん親しみやすいタイプのヒップホップだと思うんですね。で、その代表格として、ピート・ロックというプロダクションがおりまして。さまざまな名曲を手がけているわけですが。ピート・ロック、これはどれを取ったっていいんだよ? ピート・ロック&CL・スムースというグループで本人は活動していましたけども。どれをかけますか?
(高橋芳朗)じゃあ、手堅いところで行ってみましょうか。ピート・ロック&CL・スムースで『They Reminisce Over You』です。
Pete Rock & CL Smooth『They Reminisce Over You (T.R.O.Y.)』
(宇多丸)ピート・ロック&CL・スムース『They Reminisce Over You (T.R.O.Y.)』。この「T.R.O.Y.」はヘビー・D&ザ・ボーイズという素晴らしいグループ。後にヘビー・DさんはモータウンのCEOになったりするぐらいなんですけど、そのザ・ボーイズのダンサーのトロイ・ディクソンさんっていう方が亡くなっちゃって。彼に捧げられた曲ということでございます。
on this day in 1990, Troy Dixon, better known as Trouble T Roy, died an accidental fall at the age of 22. #TROY pic.twitter.com/1h21lgriZj
— Vinnie the Chin (Saifullah) (@vinnie_paz) 2017年7月15日
1992年。ピート・ロック&CL・スムースの『Mecca and the Soul Brother』というね、もう名盤!
(高橋芳朗)素晴らしいですね。ソウルフルなサウンドで。
(宇多丸)ねえ! これはヒップホップをあんまり聞いたことがない人でもすごく聞きやすいトラックが揃っておりますので。あと、CLスムースの渋い声。いい声してますねー。いい楽器、持ってるね!っていうことでございます。ということでね、みんな大好き東海岸90年代ヒップホップ。
(高橋芳朗)ピート・ロックが出たら次はね!
(宇多丸)ピート・ロックと来たら……
(宇多丸・高橋)DJプレミア!
(宇多丸)ということでね。なんでしょうか。この語り口に熱がこもる感じは? DJプレミアさんというのはギャング・スター。これ、さっきから言っているギャングスタ・ラップとは違う、グループ名のギャング・スター(Gang Starr)というグループがありまして。グールーさんというラッパーとDJプレミアの2人組なわけなんですが、このプレミアさん。非常にストイックなというか、これがまた日本人好みの、もう侍感すら感じさせる……。
(高橋・ヤナタケ)アハハハハッ!
(宇多丸)もう侘び寂びすら感じさせる。まあ、これプレミアさんの曲はどれをかけるか?
(高橋芳朗)もう本当に神がかってましたね。出す曲出す曲クラシックに。
(DJ YANATAKE)僕は当時、渋谷のレコード屋さんで働いていたんですけど。これ、本当によく言うんですけど。ピート・ロックとかDJプレミアっていう名前を貼っておくだけで全員がそのレコードを2枚ずつ買っていくっていう。自動的に倍売れるっていう。
(宇多丸)ワハハハハッ! DJはね、2枚使いするために2枚買うんだよね。
(DJ YANATAKE)そうですね。番組冒頭にも言いましたけど2枚使いして同じところを繰り返したりするのがヒップホップのDJの技術だったりするんで。それをみんなやりたいので。
(宇多丸)だから「ピート・ロックプロデュース」「DJプレミアプロデュース」って書くと無条件に。
(DJ YANATAKE)もう貼っておくだけでいいんですよ。
(宇多丸)無条件に。
(高橋芳朗)そうです。売上、倍です!
(宇多丸・高橋)フハハハハッ!
(高橋芳朗)あと、この頃は、これもヒップホップの大きなトピックですけども。1992年にビズ・マーキーがギルバート・オサリバンの『Alone Again』という曲を無断で使って……もう替え歌状態で出したんですよね。それで訴えられて、サンプリングがあんまりしづらくなってきちゃった。
(宇多丸)要するに、使うんなら巨額のお金を払わなきゃいけなくなっちゃって。それが演奏の方にトラックが移行していくひとつの要因ではあるんですけど。そんな中で東海岸、サンプリングの美学にこだわる男たちは工夫をしてね。いわゆる「チョップ&フリップ」という、サンプリングのネタを細かく刻んで、元ネタがわからないレベルにして、しかも組み替えてクリエイティブなことをやっていくという。
(高橋芳朗)そして芸術的なループを作り出すという。
(宇多丸)ということで、やはりチョップ&フリップの代表曲ですか? DJプレミアの。
(高橋芳朗)うれしそうな顔してますね!(笑)。
(宇多丸)いやー、だってこれは名曲。これは……ちょっとー! ワハハハハッ!
(高橋芳朗)じゃあ、宇多丸さん。行っちゃってくださいよ!
(宇多丸)それでは1994年。ギャング・スターで『Mass Appeal』!
Gang Starr『Mass Appeal』
(宇多丸)はい。ギャング・スターで『Mass Appeal』を聞いていただいております。もうかっこいい! いま聞いてもやっぱりかっこいいもんはかっこいいなー。
(高橋芳朗)結構このプレミアが手がけた曲のシングルとかは日本がいちばんレコードを売ったみたいな話、よく聞きますよね。
(DJ YANATAKE)そうなんですよ。僕、レコード屋で7年半ぐらい働いたんですけど。その働きはじめぐらいの時にリリースされたとはいえ、僕が辞める時ぐらいまでずーっと売れ続けていたし。たぶん日本だけで本当に数万とか売れているんじゃないかな?って。
(高橋芳朗)後ろでね、ジェルー・ザ・ダマジャの『Come Clean』がかかっていますが。
(宇多丸)『Come Clean』。これとかね……。
(高橋芳朗)びっくりしましたけどね。
(宇多丸)か、かっこいい~っ! 非常に日本人好みで。あと、今日は取り上げきれないけど、Diggin’ in the Crates Crew(DITC)。ニューヨークの本当にストイックな正統派ヒップホップみたいなのにも我々はすごく熱狂しました。けども……やはり、実はアメリカ全体というか、売れ行きとか世界全体で見ると、やっぱりもう圧倒的に西高東低の時代に入っちゃうんですよね。こういう東海岸の渋いヒップホップとかはもうヒップホップマニアが聞くものになってくる。で、実際に売れているのは西海岸だったり、あるいはもう南部とか違う地域のギャングスタ・ラップだったりした。
それに対する東海岸からの、ギャングスタ・ラップに対する東海岸からの回答みたいなものが93、94ぐらいにポンポンポンと出て。それがまた次の時代の流れを作っていくという。先ほど、渡辺志保さんのコラムコーナーでも1曲、かかりましたが。やはりこれは外すわけにはいかない。ウータン・クランを聞きましょうかね。ウータン・クランはどうしますかね?
(高橋芳朗)じゃあ、この曲でアゲアゲで行きましょうか。ウータン・クランで『Wu-Tang Clan Ain’t Nothin Ta Fuck Wit』です。
Wu-Tang Clan『Wu-Tang Clan Ain’t Nothin Ta Fuck Wit』
(宇多丸)はい。『Wu-Tang Clan Ain’t Nothin Ta F**k Wit』ってなっていましたけどね。今日はできるだけね、クリーンバージョンを。まあ、そうじゃない時も時々ありますけどもね。ウータン・クラン、ちょっと説明をしておくと?
(高橋芳朗)ニューヨークのスタッテン・アイランドから出てきた、デビュー当時は8人体制だったのかな?
(DJ YANATAKE)まあ、何人いたかは定かじゃないけど(笑)。
(宇多丸)その定かじゃない感じ。ジャケットにもう顔を隠して……顔を出さないメンバーがいたりとか。あと、やっぱりサンプリング時代の中にあっても、いくらなんでもこの音の汚さ、何なんだ?っていう。このザラザラした音と、そしてテクニカルなラップ……特にメソッドマンというスーパースター。そしてオール・ダーティー・バスタードという、たぶんヒップホップ史上でもいちばんどうかしている人。まあ、亡くなってしまいましたけど。
(高橋芳朗)アハハハハッ! レイクウォン、ゴーストフェイス・キラー。もうタレント揃いでしたね。
(宇多丸)ド渋のスキルを持った人たちが集まって……というスーパースターチームですよね。
(高橋芳朗)あと、まあサブカルっぽいっていうか、カンフー要素を入れたりとかさ。
(宇多丸)そうそうそう。ショウ・ブラザーズとかのマニアックなカンフー映画ネタがいっぱい入ってきたりして。そういう、存在全体のサブカルチャー感というか面白みがありましたよね。
(DJ YANATAKE)世界観が完全にできあがっていて。でも、新しかったですよね。
(宇多丸)ジム・ジャームッシュの映画にちょいちょい出てきたりする。この間の『パターソン』にもメソッドマンが出てきましたんでね、ご存知の方もいるんじゃないでしょうか。さあ、みんな大好き90年代ヒップホップ。先ほど、ギャングスタ・ラップに対する東海岸からの回答ということで、グループではウータン・クラン。そしてソロラッパーとしてはやはり、ナズですよね。ナズは名盤『Illmatic』というね、いまだに聞き継がれている名盤を、要は東海岸最後の希望みたいな感じで。
(高橋芳朗)本当にニューヨークシーンの総力を結集して、こいつをなんとかして盛り立てようという、そんな感じで出てきたんですね。
(宇多丸)で、実際にそれが超名盤でという感じでしたけど。でも、いまだにナズは全然生き残っているわけで。やっぱりその時のはハイプじゃなかったっていう感じですよね。さあ、ナズはなにをかけるの?
(高橋芳朗)はい。ピート・ロックとプレミアの曲はさっきかけたんで、ラージ・プロフェッサーの……。
(宇多丸)あっ! メイン・ソースのね……ラージ・プロフェッサーの話をする時間はなかった! 申し訳ございません!
(高橋芳朗)アハハハハッ!
(DJ YANATAKE)一応いま裏でね、メイン・ソースをかけてますけども。
(宇多丸)ありがとうございます。ああ、素晴らしい。これはメイン・ソースというグループ。ラージ・プロフェッサーも当時、東海岸を代表する名プロデューサーですけども。
(高橋芳朗)まあ、ナズをフックアップした人ですね。
(宇多丸)ああ、そうかそうか。
(DJ YANATAKE)同じ高校の先輩みたいですね。
(高橋芳朗)ああ、そうか。
(宇多丸)あと先ほどね、サード・ベースのMCサーチさんとかもナズのプッシュには尽力していますよね。ということで、ナズの……。
(高橋芳朗)ナズはこちらを行ってみましょう。『It Ain’t Hard to Tell』です。
Nas『It Ain’t Hard to Tell』
(宇多丸)はい。ナズで『It Ain’t Hard to Tell』ということです。(マイケル・ジャクソン)『Human Nature』ネタということで。
(高橋芳朗)何年か前に『Nas/タイム・イズ・イルマティック』というドキュメンタリー映画が公開されて。それを見ればこのアルバムに対する理解はグッと深まるんじゃないかと思いますね。
(宇多丸)要は、Gファンク以降のギャングスタ・ラップをポップに昇華しながら、東海岸らしいリリシズムというか、見事な比喩表現とか。あとすごく巧みなライミングであるとか。すごくテクニカル。
(DJ YANATAKE)このへん、さっきの『The Source Magazine』の下りとか。
(宇多丸)ああ、そうだ。『The Source Magazine』。ヒップホップの自浄作用が強く働いた批評的空間としての専門誌『The Source』という。それのアルバム・レビューがあって、5本のマイクで評価するわけですね。
(DJ YANATAKE)5つ星みたいな感じですね。
(宇多丸)で、4本マイクがつけば相当いいアルバムっていう感じなんですけど、ナズのこの『Illmatic』というアルバムはいきなり5本マイクをドーン! クラシック認定! みたいな感じで大騒ぎされたということでございます。
An Asian woman gave us @Nas' 5 Mic 'Illmatic' review in 'The Source' @missinfo #History pic.twitter.com/UZfpqunjNp
— Mikey Fresh (@MikeyFresh1) 2017年3月8日
(高橋芳朗)うん。
(宇多丸)ということでナズといえば、やはりクイーンズのラッパーということで。クイーンズ・ブリッジのラッパーですけども、クイーンズ……ちょっとすいませんね。90年代、みなさんほら、『8マイル』とか見ていると、『8マイル』のバトルシーンでかかるから。これは。
(高橋芳朗)オープニングですよ。
(DJ YANATAKE)あとは決勝のビートかな?
(宇多丸)モブ・ディープで『Shook Ones Part II』。お聞きください。
Mobb Deep『Shook Ones Part II』
(宇多丸)(曲を聞きながら)これもね、わけのわからないところからラップが入るのがかっこいいんだよ。
(高橋芳朗)これ、でもこの殺伐とした感じはすごいものがありましたよね。
(宇多丸)このだから、ザラザラしたというかモコモコした感じが東海岸サウンド。で、そこにちょっとディレイのかかったホーンが飛んだりするとピート・ロックサウンドっていうか。モロに90年代ヒップホップという感じがするということで。
(高橋芳朗)『Shook Ones』の基本的なかけ方として、まずインストをかけて、それから戻してから行くっていうのが定番でありましたよね。
(宇多丸)これは各自で聞いてください。まあ、メンバーのプロディジーは亡くなられちゃいましたけどね。結構ね、その後亡くなられたラッパーが結構いますから
(高橋芳朗)そうですね。
(宇多丸)じゃあ、その流れで。亡くなられたラッパーといえば、朝ビッグネームでザ・ノトーリアス・BIC(ビギー)がいますけども。まあビギーこそ、まさにギャングスタ・ラップの興隆を東海岸的に解釈しきったというか。もっとも成功した東海岸のラッパーの1人ですよね。
(高橋芳朗)Gファンク以降のギャングスタ・ラップにイーストコースト流儀のリリシズムみたいな感じですかね。
(宇多丸)そしてさらに、さっきのプロデューサーとしてもご存知の方も多いでしょう。ショーン・パフィ・コムズという非常に切れ者商売人というか。その男が絶妙な塩梅で……要は人気とか尊敬とかは落とさないけど、ちゃんと曲としてはポップみたいな、そういうバランスでやってみせたということですね。あ、いまバックでかかっているのはザ・ノトーリアス・BIGの『Unbelievable』。これ、DJプレミアのね。
(高橋芳朗)ザ・ノトーリアス・BIGのデビューシングルが『Juicy』っていう曲で。これはA面はエムトゥーメイの『Juicy Fruit』という曲をサンプリングした、割とそれこそ西海岸のラッパーとかがやりそうなメロウなレイドバックした……。
(宇多丸)全国的にポップチャートで売れそうな曲。なんだけど、カップリングで。
(高橋芳朗)B面でニューヨークハードコアなDJプレミアの『Unbelievable』を持ってくる。
(宇多丸)しかもDJプレミアの新時代を切り開いた傑作ですからね! かっこいいー! かっこいいが……こんなのをいちいち聞いていると時間が足りないので、ザ・ノトーリアス・BIGはこちらの曲にしましょう。1994年。アルバム『Ready to Die』。これもストーリー仕立てで、聞くとドスンと来る。その後に亡くなっちゃったことを考えると重たいものがあるアルバムですが。『Ready to Die』よりザ・ノトーリアス・BIGで『Big Poppa』。
The Notorious B.I.G.『Big Poppa』
(宇多丸)はい。ザ・ノトーリアス・BIGで『Big Poppa』。
(高橋芳朗)アイズレー・ブラザーズの『Between The Sheets』ですね。
(宇多丸)まあキャッチーですよね。で、みなさんご存知の方もいらっしゃるかもしれませんが、このザ・ノトーリアス・BIG。これは東海岸のアーティストなんですけども、西海岸。先ほどのドクター・ドレー率いるデス・ロウ。なんかこう、ちょっと東西抗争シーンみたいなのが盛り上がって。それはラップのいわゆるバトルの歴史というか。戦って競い合うという建設的な戦いならよかったけど、本当の暴力に発展していってしまい、1996年9月13日に2パックが……後ほど、曲を聞いていただきますが。いま、『オール・アイズ・オン・ミー』という2パックの伝記映画もやっていますけども。
(高橋芳朗)うん。
(宇多丸)2パックがまず射殺され、そして翌年の1997年3月9日にはザ・ノトーリアス・BIGが銃殺されてしまい、そしていまだに真相が全くよくわからないままという。
(高橋芳朗)犯人がまだ捕まっていない。
(宇多丸)非常に後味が悪い結末になってしまったんですけども。
(高橋芳朗)もともとこの2人は仲が良かったんですけどね。
(宇多丸)そうそう。このあたりのくだりも映画に出てきますけどね。ということで、ちょうど『オール・アイズ・オン・ミー』もやっていることですし、2パック、デス・ロウ時代の……インタースコープ時代もありますけど、デス・ロウ時代の代表曲ということで。1995年のこちらの曲をお聞きください。2パックで『California Love』。
2pac feat Dr.Dre『California Love』
(宇多丸)いまね、これ歌っているのはロジャー・トラウトマンという、ザップというグループの。本人が呼ばれてきていて。で、ロジャー・トラウトマンも亡くなっちゃいましたからね。なかなかちょっとね、いたましいのが……。
(高橋芳朗)2パック、刑務所から出所してデス・ロウに入って最初のシングルですね。で、ナンバーワン。
(宇多丸)ビデオは完全に『マッドマックス3』っていうことですよね。『California Love』をお聞きいただきました。ということで、このパートの最後の曲。大急ぎで行ってみましょう。
(高橋芳朗)ちょっとシーンのトップアーティストがバタバタと銃殺されるという、音楽史でも最悪の事態になっていたわけですけども。
(宇多丸)逆にこれで、ちょっとそういう暴力的なのはやめようぜっていう空気にはなってきましたけどね。
(高橋芳朗)でも、そういう中でも新しい動きも確実に出てきていて。Qティップにフックアップされた、ジェイ・ディー。
(宇多丸)Qティップはア・トライブ・コールド・クエストのラッパーであり、プロデューサーでありという男でございます。
(高橋芳朗)彼が見出したジェイ・ディー(J・ディラ)というプロデューサーがデトロイトから出てきたり。あと、ニューヨークではロウ・カスというアンダーグラウンドレーベルがあって、そこからモス・デフとかタリブ・クウェリとかカンパニー・フロウみたいなのが。
(宇多丸)割と知的で、ちょっと……ポップじゃない方向ですよね。アンダーグラウンドなという感じの。
(高橋芳朗)アンダーグラウンドはアンダーグラウンドで結構活性化されていくんですけど、ちょっとメインストリートとの二極化がガッとついてくるような時代ですかね。
(宇多丸)うんうん。でも、その中でやっぱりJ・ディラの影響はすごく大きくて。これもさ、日本人がすごい好きなタイプというか。浮遊感あふれるシンセとかの使い方とか、好きな人は多いですし。影響をものすごく与えている。
(高橋芳朗)フォロワーは大変に多いですよね。
(宇多丸)で、まあJ・ディラのいちばんポップな曲というか、代表作。お聞きください。1995年。本当にこれは、それこそRIP SLYMEとかはこれの強烈な影響でやっているということがわかると思います。ザ・ファーサイドで『Runnin’』。
The Pharcyde『Runnin’』
(宇多丸)はい。ファーサイド。ファーサイドはロサンゼルス、西海岸のニュースクーラーというかね。フリースタイル・フェロウシップとかね、そういうような動きがありました。
(高橋芳朗)ソウルズ・オブ・ミスチーフとかね。
(宇多丸)ソウルズ・オブ・ミスチーフはオークランドですよね。ということで、非常にお聞きいただければ後のRIP SLYMEに強烈な影響を与えたのがわかるファーサイドの『Runnin’』でございました。J・ディラというね……J・ディラも亡くなっちゃったわけなんですね。
(高橋芳朗)そうですね。若くして亡くなっています。
(宇多丸)亡くなったといえば、先ほど2パックの曲をかけましたけども、私ね、2パックに直接話を聞いたことが……これはなかなかレアで。デジタル・アンダーグラウンドというグループから2パックは最初、出てきたんですけども。デジタル・アンダーグラウンドとして日本に来た時。ソロとしてデビューするはるか前。っていうか、デジタル・アンダーグラウンドとしてレコードを出す前かもしれない。その2パックに直接インタビューする機会があって。まあ、デジタル・アンダーグラウンド全体にインタビューしていたんですけど。もうデジタル・アンダーグラウンドのメンバーはいっぱいいて。はっきり言ってこんな日本人のガキのインタビューなんか真面目に受けてくれないわけですよ。そんな中、「なんだい? なにを聞きたいんだい?」ってまっすぐ目を見て、僕と話をしてくれたのが2パックで。
(高橋芳朗)へー!
(宇多丸)なおかつ、「僕もラップをやってるんですけど」「ラップ、やってんのか?」って彼がヒューマンビートボックスを始めて、その上で僕はラップをして。
(DJ YANATAKE)おおーっ!
(高橋芳朗)すごい体験してますね!
(宇多丸)さらにその後、ライブがあって。デジタル・アンダーグラウンドのを見に行ったら舞台上から僕のことを見つけて、ワーッ!って指差して。前にいた女の子が「ああーっ! 私のこと指差した!」「いや、俺だよ」って思ったんだけど。終わった後に挨拶みたいなのがあって。そこで2パックが来て。「お前、指差したの、わかった?」みたいな感じだったので。これは自慢です!
(高橋芳朗)アハハハハッ!
(宇多丸)ただもちろん、ソロとしてこういう大ブレイクしてからはもちろん会えてないですけども。
(DJ YANATAKE)でも2パックと話したことがある日本人って、他にどんぐらいいるんですかね?
(宇多丸)なかなかいないかな。
(高橋芳朗)コラボしてますからね。
(宇多丸)コラボですから!
(高橋芳朗)すさまじい体験をしてるなー。
(宇多丸)というね、さっきから「直接聞いたんですが……」っていう。もうこのネタは僕、終わりです。直接聞いたネタ、終わりです。ということでみなさん、90年代が終わってしまいました。アメリカヒップホップの90年代が終わって、この後の、90年代その頃日本はどうだったか? そしてその後に2000年代に入ってしまいますので。その頃、90年代日本もとてつもないことになっている! この後のパートもお楽しみにしてください!
<書き起こしおわり>